ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『 ジャカルタ日本人学校の日々 』 - 7 ( 元残留日本兵 )

2020-12-22 22:11:37 | 徒然の記

 今回のブログは、氏の著作を離れた、ネットの情報です。そのまま転記します。

 「第二次世界大戦中の1942 ( 昭和11 ) 年3月から、 1945 ( 昭和20 ) 9月の終戦時まで、「『蘭印』と称される、当時のオランダ領インド、」「現在のインドネシアの、日本統治について説明する。」

 まず、えっと驚きました。約4年もの間、日本がインドネシアを統治していたと知るのが、最初の驚きでした。

 「この時期は、インドネシア史における、最も重要な時代のひとつである。」「オランダ領東インドは、1819年以来オランダの植民地にされていた。」「しかし、ドイツによって、オランダ本国が1940 ( 昭和15 ) 年に占領されたため、」「オランダは大日本帝国軍に対抗し、同植民地を守る能力がほとんどなくなった。」

 「日本の陸海軍は、ボルネオへの最初の攻撃から、3か月も経たずに、」「オランダ軍および、連合軍を圧倒した。」「当初は、大部分のインドネシア人が喜び、オランダの植民支配からの解放者として、日本側を歓迎した。」「日本は、オランダが禁止していた、『インドネシア』という呼称を、」「公の場で使用することを、解禁した。」

 「しかしながら日本軍は、占領後しばらくすると、オランダ同様に、結社や集会、政治に関する言論、行動、」「および、民族旗使用の禁止を布告し、インドネシア民衆の期待を裏切ったこともあった。」

 「また戦争遂行にあたり、現地のインドネシア人に対し、厳しい規律の日本式の軍政や、」「皇民化が施され、飢饉を招いた籾の強制供出や、防衛強化のための過酷な重労働を課せられた者もあり、」「戦時下の艱難辛苦に耐えるよう期待されていることを、彼らが悟るにつれ、」「その感情が変化していった、『負』の側面もあった。」

 オランダの圧政から、インドネシアを解放したはずの日本軍が、今度は自分たちが、圧政者になったという説明になり、この記述は、私が知る事実と異なります。

 「こうした立ち位置の違いにより、功罪の両方の意見や、認識があるものの、」「厳しい教育により、優秀な人材が育成されたことや、」「英語やオランダ語ではなく、インドネシア語が公用語になったことなど、」「日本の軍政施策が、結果的にインドネシアや、インドネシア民衆のために役立った、」「『正』の面があることも、重要な事実である。」

 ネットの情報を書いた人物が、左翼系の人間であるのは、「民衆」という言葉を使っていることから、推察できます。私なら、「インドネシア国民」とか、「インドネシアの庶民」という言葉を使います。

 「1945 ( 昭和20 )年8月の、日本降伏時にも、」「インドネシアの大半が、依然として日本の占領下にあった。」「この占領は、オランダにとっての深刻な課題であり、オランダの植民地支配を終わらせるものとなった。」

 「また、その終結時までの変化は、非常に多彩かつ尋常ならざるもので、」「その後の経緯として、インドネシア革命が、」「ほんの3年前には、実現不可能な方法で可能になった。」「オランダは、この元植民地を奪還しようと画策し、外交的、軍事的、社会的な、」「厳しい戦いが、5年にわたって行われ、最終的には1949 ( 昭和24 )年12月に、」「オランダが、インドネシアの主権を認めることとなった。」

 最後の文章は、いったい何が書かれているのか、私には意味不明です。この説明では、どのようにインドネシアが独立をしたのか、読者には分かりません。私は憤りを抑えながら、ネットを検索し、私の知る別の情報を探し出しました。

 「第二次世界大戦終結後、スカルノが独立宣言をしたにも拘らず、」「オランダが、再び植民地化を試み、」「イギリスなどの支援を受けて、戦争が勃発した。」「日本軍解体後、現地に残っていた旧日本軍将兵が、多くの武器を独立軍の手に渡し、」「独立軍将兵の教育や、作戦指導をするとともに、自ら戦闘に加わるなどした。」

 息子たちと、「ねこ庭」を訪問される方々は、二つの説明を読み比べてください。左翼系の人物の叙述は、オランダが、インドネシアの独立を認めず、イギリスの支援を得て戦争を仕掛けたことを、語っていません。残留していた、旧日本軍将兵については、全く触れていません。私の知る、インドネシアの歴史を、もう少し転記します。

 「独立戦争の終結後、インドネシアでは、多くの元日本兵が、」「独立戦争への功績を讃えられ、叙勲されている。」「インドネシア残留日本兵は、記録の上では総勢で903人と言われている。」

 「インドネシア残留日本兵が作った互助組織、『福祉友の会』は、」「日本に留学する日系インドネシア人学生に、奨学金を与えるなど、」「日本とインドネシアの、架け橋としての役割も果たした。」「元残留日本兵は、毎年行われるインドネシアの独立式典にも呼ばれているが、」「死亡したり、高齢で体調が悪化したりなどで、参加者は減っていき、」「2014 ( 平成26 ) 年の式典には、1人も参加できなかった。」

 私の知る歴史には、事実だけが記されています。旧日本軍兵士が大活躍したとか、独立戦争に多大な貢献をしたとか、そういう宣伝はありません。

 「2014年8月25日、小野盛(インドネシア名:ラフマット)が、94歳で死去した。」「小野は、行方不明者を除くと、最後の残留日本兵とされ、」「これで、残留日本兵は、全員死亡したとされた。」「小野の葬儀は、インドネシア国軍が執り行い、」「棺には、インドネシアの国旗が被せられ、カリバタ英雄墓地に埋葬された。」

 ジャカルタ日本人学校の先生たちが、日本の統治を、生徒にどのように教えていたのか、私は知りません。しかし文脈からしますと、「東京裁判史観」そのものでした。「インドネシアに迷惑をかけた、申し訳なかった。」・・と、そんな響きでした。これでは、インドネシアの国旗で覆われ、カリバタ英雄墓地に埋葬された、日本軍兵士は浮かばれません。

 だから私は、反日左翼が好きになれず、本の書評を続ける気持ちがなくなりました。ご容赦ください。

コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
«  『 ジャカルタ日本人学校の... | トップ | 夫婦春秋 »

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (あやか)
2020-12-23 09:16:24
今回の『ジャカルタ日本人学校の日々』は、良いシリーズですね。
ほのぼのとした思いで拝見しています。

こういう、海外の日本人学校というのは、むしろ、健全だということがわかりました。

大東亜戦争中、および直後に、日本軍兵士や軍属でインドネシア独立闘争に加わった人が
多数いたことは、お聞きしております。

私も、子供のころ、少年少女雑誌で、吉住留五郎(インドネシア名は、アリフ・ヨシズミ)というかたが、インドネシア独立に協力した逸話を
読んだ事があります。非常に痛快で、しかも感動的な物語でした。

それから、インドネシアのとなりのマレーシアでも、日本青年の谷豊(マレーシア名は、モハメッド・アリ・ハリマオ)という人が、
マレーシア独立ゲリラを指揮して、英国軍や悪徳中国商人とたたかったそうです。
ちなみに、この谷豊青年をモデルにした冒険ドラマが、昭和30年代にテレビが普及したころ、放映されてたそうですね。 
確か『快傑ハリマオ』という題名で、あるいは、猫様は御存知かも知れません。
(ちなみに、、この快傑ハリマオは、日本では最初のカラ-テレビ放送だったらしいです)

いずれにしても、大東亜戦争中および直後に、インドネシア・マレーシア方面で、日本の快傑青年たちが、日本とアジアのために戦っていたことは、
わたしたちの誇りです。


✨さて、今日は、上皇陛下の御聖誕の日です。上皇様ご夫妻の御多幸と御長寿をお祈りしています。
返信する
お礼 (onecat01)
2020-12-23 14:49:31
 あやかさん。

 吉住留五郎氏については知りませんが、マレーシアのハリマオについては、記憶にあります。

 こんなところで結びつくとは、考えてもいませんでした。石井氏の著書には、上皇両陛下が同校を訪問された時のことも書かれていました。

 インドネシアの人々と仲良くし、インドネシアのことを学んでくださいと言われたそうです。先生たちは、いっそう「教育の国際化」に励み、「体はインドネシア、心は日本人」という生徒を少なくしようと頑張ったそうです。

 このことも、ブログにすればよかったのかもしれませんね。

 今年も残り少なくなりました。風邪など引かぬよう、ご自愛専一に。
返信する
日本人学校についての難しさ (HAKASE(jnkt32))
2020-12-23 23:59:18
今晩は。今回の貴連載も一読レベルで恐縮ですが、
登下校に必須のスクール・バス運行のあり方を含め
、日本人学校を運営する事の難しさが垣間見えた様
に思います。

こうした環境で学び育ち、今までにない国際的視野
や感覚を持つ新しい日本人達とどう向き合って行く
べきかを今から考えておく必要の一方、左派容共勢
力の不良な影響で、国旗・国歌に対する敬意を持っ
た扱いが不十分な所など、現代の我国が抱える病理
も炙り出された感がありまして。

戦中のインドネシアと我国の関わりも、慎重な理解
を要すると改めて思います。インドネシア国の独立
に当たり、残った旧日本軍兵士が加勢して戦った話
は拙者もざっとは存じていましたが、それは教科書
にも新聞にも載らなかった史実でした。

現地でどの様に教えられていたかは、拙者ももう少
し踏み込んで知りたい気もしますが、左派勢力が折
に騒ぎ立てる様な「迷惑」ばかりではなかったはず
だと心得ます。

まだまだ記すべき事もあるかもですが、この辺りに
させて頂きます。今回連載も、お疲れ様でした。
返信する
お礼 (onecat01)
2020-12-24 13:23:45
 HAKASEさん。

 退屈な私のブログを、いつも読んでいただき感謝しています。反日・左翼のため、戦後の日本が歪められいてることが、こうした読書でも教えられます。

 頑迷な保守が、ふんぞり返る日本にしてもダメですが、反日左翼が、ここまで卑屈にさせた日本も、ダメですね。

 何事も、貴方のような中庸が肝心です。反日勢力が、実態以上に大きく見えるのは、やはり「トロイの木馬」たちの仕業です。

 悪法である「憲法」を水戸黄門の印籠のように掲げ、「反日左翼の学者」たちが、日本だけが悪かったと意見を言い、それを「反日左翼マスコミ」が、365日間全国発信しますから、国民が洗脳されます。

 今回の米国の大統領選挙での、アメリカマスコミの偏向報道の酷さをみていますと、日本のマスコミの歪みが分かります。

 国民の支持率は、3%未満の党ばかりですから、自民党の議員諸氏が、目を覚ますときです。「害虫駆除」をしなければ、ズルズルと日本がダメになります。

 「日本学術会議」民営化、「電波オークション」、「国会議員の二重国籍禁止」、「スパイ防止法」など、国民の委託を受けているのですから、自信を持って進めるべきです。

 貴方のブログに、コメントを入れる日が来れば良いのですが・・。申し訳ありません。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

徒然の記」カテゴリの最新記事