『憲法第九条の思想』について講演した久野収氏は、ネットの情報によりますと、明治43年に生まれ、京都帝国大学を昭和9年に卒業しています。哲学者、評論家として有名で、戦後日本の政治思想や社会思想に大きな影響を与え、「戦後民主主義」の形成に寄与した人物の一人だということです。
「さらに、久野は言う。」「専門的な軍備体系とおさらばした、デモクラシーによって国を守り、アジアを守り、世界を守る気概。」「軍備によらない非武装攻勢、正真正銘の平和攻勢による、予防的防衛の道が開かれていないかどうか、この方向を慎重に吟味しなおしてみる必要がある。」
「武装による先まわり反撃よりも、非武装による抵抗の方がずっと有効なのではないか。」「米ソ両国が愛用する原水爆のような 秘密兵器”は、非武装的防衛力には、全く必要ありません。」「真実に立脚した組織的宣伝こそ、軍備と切れた平和攻撃の最大の武器なのです。」
「彼は、対外宣伝こそが非武装防衛の根幹と考えているらしく、次のようにも言っている。」「 すべてのマスコミ機関を動員して、正真正銘の平和運動を、展開しなければならない。」
「報道機関を、1つの国家的目的のために動員しようというのだから、社会主義国か、戦争中の日本と同様になる。」「彼の平和攻撃には、マスコミの動員だけでなく群民蜂起、いわゆるゲリラ戦を主張しているような個所もある。」
「久野は、次のようにも言う。」
「国民が、自主的に自分を組織した防衛運動こそ、最大の反撃力であり、その気概と方法が、国民のあらゆる部分にみなぎっている時、非武装的反撃力は、武装的攻撃力のはたしえない、抑止効果を発揮するのである。」
「 自衛戦力なき自衛という、一見もっともらしいスローガンにひそむ、 悲惨なる結果について、これを主張するものたちは知っているであろうか。」「このことを充分検討したのであろうか。久野には、論理を尊ぶべき哲学者とも思えぬ、我田引水の独断もある。」
「中国戦線における日本軍の場合でも、国民政府支配下の地域より、民衆の大部分が敵となった中共軍の勢力圏のほうが、はるかに残虐行為が多かった。」「主要な原因はこのためであった。」
「何やら抽象論ばかりで分りにくい哲学者久野の文章の中で、次の個所は珍しく理解しやすい。本音を書いているから、文が明解なのかもしれない。」
「たとえしぶしぶであっても我々の国をあけわたし、奴隷になっても、生命、財産、国土を温存するのが、いちばん被害が少くてすむ方法であることは、いうまでもありません。」
「防衛力をもたずに丸はだかでいる方が、屈辱や強制や占領を度外視すれば、マイナスやロスが少いのは、明らかである。」
なるほど、敵が攻めてきたら、戦わずに殺されるというバカな学者の話は、こういう理屈の延長なのかもしれません。左翼学者の意見には常識がありませんので、若槻氏も反対しています。
「 屈辱や強制や占領を度外視した防衛論などは、この世に存在しない。」「外国からの屈辱や強制や、占領を防ぐのが、防衛なのだ。」「彼の言おうとしていることは、日本が他国の侵略を阻止しようとしたら、内乱を覚悟しなければならない。」「そういう事態を回避しようとすれば、外国の軍事力を前にして、屈辱と強制に甘んじなければならないが、戦争の被害よりはまだましだろうというわけである。」
天皇制廃止論者である若槻氏なので、何でも賛成とはいかないのですが、久野氏への批評に関する限り同意します。戦力を放棄して外国に占領され、屈辱や強制に甘んじるなどと、こんなたわごとを、どこの国の哲学者が言うでしょう。自分の妻子、あるいは両親が、他国に無無残に殺されて、誰が甘受すると言うのでしょう。
氏のような左翼学者の妄言が、敗戦後の70年間で全国に広がり、日本の歴史を蔑視する人間を育てました。それだけでなく国を守るために亡くなったご先祖たちを、犯罪人として否定するような馬鹿者まで粗製乱造しました。
「戦争になったら、私は逃げる。」、と言った森永卓郎氏は、東京大学の卒業生です。国家有為の人物を育てようと、明治政府が作った大学が、今ではこんな腑抜けの人間を社会に出すようになりました。恥を知らない森永氏はテレビで活躍し、新聞や雑誌に意見を乗せ、日本崩壊のため頑張っています。
ですから獅子身中の虫の育ての親の一人である久野氏を、容認することができません。同時に「憲法問題研究会」につきましても、容認する気になれません。
この面倒なブログを、果たして子供たちが読んでくれるのかどうか。自信を失いそうになりますが、本日はここまでとし、続きは次回です。
偏狭な思想で頭がいっぱいになった人間は、こんな言葉でしか語れないのかもしれません。
「バカは、死ななきゃ治らない。」
(あちらに言わせれば、私がそう見えているに違いありません。)
極端に軍隊を嫌い、なんでも話し合い解決できると信じる人は今も多いです。
熊本地震の時「自衛隊の作るカレーは要らない」と横断幕を掲げていた連中を思い出しました(笑)
自衛隊以外に大勢の被災者の食事を提供できる組織は存在しないのに、炊き出しは民間ボランティアが作るべきだと理想を掲げて被災者の怒りを買っておりました。
拙いブログを読んでいただき、感謝します。
森永氏は、卓でなく、卓郎だったんですね。早速訂正いたします。
おごる平家は久からず、左翼学者たちの天下も先が見えてきました。そろそろ保守の人々も、彼らのようにならないため、自らの驕りを注意すべき時期なのかもしれませんね。
最近の学習院、皇族の眞子妃・・だったと思いますが、
学習院大学に上がられず、同志社大学へ進まれた後、
留学の道を選ばれた様に心得ます。
その原因として、最近の学習院大の、教授陣の左傾化が
進んでいる事が原因ではないとの指摘を聞きましたが、
今回の貴記事で、得心できました。その源流は、久野教授辺りだった訳ですね。
同氏の「自称平和論」・・やはり粗雑の印象を免れません。
奴隷になってしまっては、他国による統治あるのみ。
国民の生命、財産や国土が保全される訳がないのは、
幼稚園児でも分る理屈だと思いますが。
とまれ、こうした思考が戦後の多数派となってしまった
悲劇は、計り知れぬものがあると、拙方も思います。
終盤に名の上げられた、森永卓郎教授もその系統でしょう。
経済面は相当に秀逸の様ですが、政治思想面は二流。
後、個人趣味面も、若手女性アイドルの追っかけだったり、好感できるものではありません。
持ちつ持たれつ・・・
一人が落ち込めば、もう一人が肩を叩く !
「何の、これしき! 前を見よ! 進め!!」
そういうことですね。頑張りましょう。
あなたと云う国花が希望の光をさしてくれる、
これこそが二輪草なのだと意を強くしております。
持ちつ持たれつ・・・
一人が落ち込めば、もう一人が肩を叩く !
「何の、これしき! 前を見よ! 進め!!」
日本人、日本人同士、身を置くポジションで敵味方、裏表、時代はスピードをあげて?
空いっぱいの青空、日の翳る山の稜線が薄朱く茜色に染まりはじめた。
平穏な一日が終わる、自由を謳歌できる日本に乾杯 !
明るく行こうぜ! メソメソするな! オーライ !?
優秀な者が逝き、悪い者が残ったと、そう言われる方が沢山おられます。けれどもそれは、日本人の心を知らない人の言葉ではなかろうかと、最近考えるようになりました。
いつの時代でも「めくら千人、目開き千人」だと、思っています。強国アメリカが日本の再興を恐れ、徹底的な弱体化を計った戦後、マッカーサーを含め、アメリカは左翼勢力を利用しました。保守を根絶することが占領軍の目的でしたから、憂国の士たちは「時期が来るまで」、口をつぐんだのです。」
多くの国民が左翼の反日ぶりに疑問を抱き、左翼思想の矛盾に気づくには、やはり70年という年月が必要だったのだと思います。この流れはマスコミが言う、「日本人の右傾化」でなく、「日本人の目覚め」だと思います。
「和をもって、尊しとなす」日本人の心は、危機が到来するまでは、周りとの調和を第一と考え、自分の気持ちを控えます。
これまで多くの日本人が、横暴な反日左翼を放置してきましたのは、勇気がなかったのでなく、敗戦国を荒療治する米国の力に屈するしかなかったのです。これこそあなたが言われる、歴史の悲運でしょう。
しかしやっと今、多くの人が、声を上げる時が来ました。このままでは、中国や韓国の言うがままにされ、アメリカの従属国からの脱却もできないと、やっと国民の多数が声を上げ始めました。
ですから私は嘆くのでなく、明るい光を見ております。国を忘れた教授たちに、生息する場所をいつまでも、提供してはなりません。左翼教授の任命権(人事権)を持つ教授会を、まともな組織に戻さなくてはなりません。天下りで糾弾されている文部官僚は、今度こそ、大学との癒着を断ち切り、偏った教授会の改革に手を染めることでしょう。
歴史の曲がり角に来ています。いつもの貴方のように、楽観的に、明るく、明日の日本を語ってください。
日本は優秀な人材を戦争で失ってしまった、悪いのが残った事が悲劇なのだ。
学徒動員を始め日本再興の為に必要な人材を失った事は返す返すも無念である。
戦後、シベリアから引き上げて来た兵隊の中にどれだけ共産スパイに仕立て上げられた者がいたか?
戦後は真の愛国者を育てる土壌になかった、日本に弓を引く売国奴の闊歩が日本の国力を停滞させる。
その中に哲学者、評論家として日本を左傾斜させて行くonecat01さんが俎上にあげる者達がいたのである。
その現象は今日まで引きずっている、大学に巣う左翼教授たち、日本が呻吟する筈である。
国を憂う先達の言葉だった、日本の為に必要だった人達が無念を腹に収めて靖国に眠っている、
その人達の無念に答えて参拝すべき高位に有る人が他国に遠慮して参拝出来ぬ不条理。
先達の嘆きがここに有る、「必要な人が逝って、必要でない害毒が残った!」 ああ! 日本よ !?