『きけ わだつみのこえ』の読者の声
これは平成30年3月に、「ねこ庭」がネットの情報で見つけた、『きけわだつみのこえ』を読んだ読者の感想文です。
意見を寄せた人がどんな人物なのか分かりませんが、50年前の学生だった自分と重なるような気がします。 (「ねこ庭」が岩波書店の文庫本『きけわだつみのこえ』を読んだのは、昭和40年頃でした。)
〈 読者 1 〉
・最近は、想像力の乏しい若者が多い。
・戦争がいかなる悲劇かをよく考えないで、日本に集団的自衛権の行使を認めるべきだとか、交戦権を認めるべきだとか、核武装するべきだとか、好戦的な主張をする人がいる
・それ自体は、今の日本では思想の自由を侵してはならないから、許されることなのだ。残念ながら。
この人は、「最近の若い人は」と書いていますが、ご本人もおそらく30~40代の若い人である気がします。
集団的自衛権、交戦権、核武装という言葉に反応して、即座に「好戦的主張」という言葉に結びつけてしまうところが、そっくり岩波書店的思考です。
〈 読者 2 〉
・日本を戦争が出来る国に逆戻りさせたいと考える、思想の自由は認める。
・しかしそう主張する前に、『きけわだつみのこえ 』 は読むべきである。
・「故・上原良司氏の文章を読めば、戦争になると、国家は個人に対して、どんなにやりたいことがあっても、どんなに大切な家族がいても、死ぬことを強要する、と言うことが分かる筈である。
読者1 の人も、読者2 の人も分別のある人らしく、憲法が保障する「思想の自由」を尊重しています。「戦争ができる国に逆戻りさせたい」人間は、多くの国民の中にいないのに、岩波書店や朝日新聞の言葉に染まるとこうなります。
自分たちの意見がGHQが作った「自虐史観」であることに気づいた時、二人の新しい出発になるのではないでしょうか。
〈 読者 3 〉
・22歳にしてこれほど、思想を錬磨した優秀な人材が、何千人も無駄に死なされたのである。
・それが戦争である。かかる悲惨が繰り返されて良いとは私には思えない。
・上原氏の文章を読んで、なお「戦争をしたい」という人は、気の毒だが知能が低いか、人間の悲しみを理解する感受性が、欠落しているのではないかと思う。
この人も、岩波書店の優等生で、戦争を繰り返そうとしている国民がほとんどいないのに、好戦的な人間が溢れていると勘違いしています。今何才になられているのか分かりませんが、普通の知能を持つ人なら、「ねこ庭」が現在しているように自分の無知を恥じているのかも知れません。
〈 読者 4 〉
・上原氏の遺書は、何百ページにもわたる『きけわだつみのこえ』の、最初のたった一文だけである。
・このあと、延々と、涙なくしては読めない文章が続く。
・それでも、戦争をしたいのなら、戦争になったら、まず自分から志願して下さい。と申し上げる。
学生時代を思い出しますと、「ねこ庭」も読後には反戦・平和を願う気持に駆られ、亡くなった学生に深く同情しました。自分と同年代の学生たちの遺書だったので、涙無しに読めませんでした。
息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々に、4人の方の意見を紹介しているのは、批判や否定のためではありません。反日・リベラルの出版社と大手マスコミが協力すると、どれ程大きな影響を若い人たちに及ぼすかという実例を、自分の経験を踏まえて紹介しています。
真摯に本を読み、日本の未来を考えているから、4人の方は意見を述べています。このような真面目な人が、その後両論併記の『戦没学生の手記に見る15年戦争』を読んだ時、意見がどのように変化するのか。
あるいは「温故知新の読書」で、「戦前戦後の日本史の大河」を自分で眺め、「GHQによる三回の関与 ( 日本弱体化計画 ) 」を知った時、この方たちの意見がどのように変化するのか。
4人の読者の意見は、言葉遣いは似ていますがどう読んでも過激な反日・左翼の主張ではありません。日本を「恨みと憎しみ」から攻撃しているのでなく、憂国の思いで言葉が発せられている気がします。
その後知識を得た後での4人の方の思考の変化・・ねこ庭」は、そこに期待と関心を寄せながら、感想文を紹介しました。余計な寄り道だったような気もしますが、自己反省のためにも、記録に残したくなりました。
次回は、びっくりする事実が、最初の記事から見つかりましたので楽しみにしていてください、と言った本題に戻ります。