ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『最後の殿様』 -19 ( 侯の戦争観 )

2021-07-18 05:49:14 | 徒然の記

 侯の「戦争観」を別の言葉で言いますと、「日本人観」です。これをまとめとして、ブログを終わりたいと考えております。

 「日本は、" 尚武の国  " といわれる。」「だがそれは国内だけのことで、国外向けではない。」「日本では明治維新まで過去一千年以上、武器・武具類は全く発達しなかった。」「源平の対立、南北朝時代、戦国戦乱と戦争は多いが、」「西欧の戦いと比べると、それは戦争と言われるほどのものであったろうか。」

 「戦闘形式は集団戦の形をとっているが、実は個人戦である。」「個人の武芸は発達したが、それは軍備というものではない。」「軍備には、軍団を指揮する司令官がおり、部隊の隊長がいて、」「司令官の統率のもと、一糸乱れない戦闘体制がなければならない。」「さらに通信連絡、兵器、弾薬、食料に至るまで、」「兵站部が必要である。」

 武門の棟梁の貴重な意見として、また学徒として、侯の説明を読みました。

 「だがそのような組織的なものは、僕の家の古文書をひっくり返して調べてみても、」「何もない。」「" 尚武の国  " であれば、戦争記録を正確に整備し、」「次の戦争に備えておかなければならないのに、」「そんなことは全く無関心で、戦争を研究した跡などさらさらない。」

 「中国から孫子、呉子の兵法が相当早くから入ってきたが、」「これも、真剣に研究した形跡がない。」「投石器、戦車、装甲車など、それを一切顧みず作ろうともしない。」「依然として飛び道具は卑怯なりと、刀を振り回している。」

 言われてみますと、日本での戦争はその通りでした。西欧のような総力戦でなく、武士同士の戦いが中心で、一般の民百姓は無関係でした。負けた相手の国の男も女も殺されたり、奴隷になったりせず、残虐な殲滅戦ではありませんでした。

 「こう見るとわが民族は本質的に、諸外国人のように執拗な長期戦、」「殺戮戦、侵略戦を、嫌うものがあるのではないか。」「あるは、不得手なのではないか。」「明治維新以後に、西欧の軍政と戦術を取り入れたが、」「模倣しきれなかったのではないかと、思う。」「これを今次大戦に引き伸ばしてみても、その形跡が濃い。」

 侯はその例として、真珠湾攻撃を説明します。

 「昭和16年12月8日、海軍はハワイを急襲した。」「襲撃は成功したが、それだけで引き上げてしまった。」「上杉謙信が武田信玄に一太刀あびせて引き上げたのと、どこが違うのか。」「急襲と同時に部隊を上陸させ、占領確保して前進基地にし、」「執拗に戦闘体制を整えるのが、戦略の本質である。」

 「日本軍はそんな計略も計算もなく、たった数隻の軍艦を沈めただけで、」「勝った勝ったと大騒ぎである。」「壊れたものは修理し、失つたものは作れば良い。」「アメリカは、すぐに盛り返した。」「こんな単純なことが分からないのが、日本民族である。」

 黙って読んでいましたが、次第に私の心が、侯から離れていきました。90パーセントの事実の中に、10パーセントの捏造を入れ、読者をたぶらかすという、反日左翼の主張に似たものを感じたからです。

 真珠湾攻撃をした時の日本には、侯の言う戦略を取る余力が残っていませんでした。残り少ない、血の一滴の石油を使い、やっとの思いで攻撃した真珠湾だったはずです。日本を愛する人物の言葉とは、思えなくなりました。

 「これが日本人の戦争観念である。」「この日本人が、形だけ外国の軍政を模倣したところで、」「粘りっこい外国の集団戦に、どうして勝つことができようか。」「日本人は個人の武芸を重んじるが、それは個人戦であって、」「西欧式の集団戦に、太刀打ちできるものではない。」

 ここまできますと、これはもう自虐思考であり、敗戦思考でしかありません。日本をダメにする反日左翼思想と、どこが違うのでしょう。

 「この観念を持ちながら、今日の自衛隊を議論するなど、」「愚の骨頂であろう。」「形だけアメリカの装備を真似て、何になろうか。」「無用の国費を消費するだけである。」「むしろ全廃した方が、良いだろう。」「もし防衛隊を置くなら、日本人的な戦争観念を取り去った、」「小さな完備したものにすべきだろう。」

 これが、自伝の終わりを飾る侯の言葉です。最後の二行が何を意味しているのか、私には意味不明です。なんでも理解する聡明な殿様ですが、これでは口先だけの評論家と大差がありません。

 侯に欠けているのは、幕末以来、日本の武士や学者たちが、アジアを侵略する欧米列強を見て、危機感を抱き、懸命な努力を重ねた歴史への理解です。長州の吉田松陰と、門下生だった下級武士たちの苦労を知る私には、とても認められない侯の意見です。

 何回目かのブログで述べましたが、或いはこれが、徳川の御三家である侯の限界なのでしょうか。武士や庶民の苦難と国難への理解を、殿様の意地と誇りが邪魔しています。

 「薩長の下級武士と下層公卿が手を組んでやったのが、明治維新だ。」という意識が、幕末・明治を見る目を曇らせ、薩長否定の気持ちが、日本軍の否定へと繋がっています。国を守る軍隊を否定し、侯は日本の国民をどうするつもりなのでしょう。中国やアメリカの属国にしても良いと、軽く考えているのでしょうか。

 本日でブログを終わり、侯の著作は、他の本と束ね、来週の小学校の有価物回収の日に出します。残念ではありますが、これが私の出した結論です。

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4 コメント

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直感の確かさ (onecat01)
2021-07-19 18:44:22
 HAKASEさん。

 義親侯の書を読み、私は侯に引かされるものを感じましたが、貴方は最初から私と違っておられました。

 「こういう捉え方は好ましくないのかも知れませんが、義親侯は「後世に言質を取られない様に
しようとした、」「德川将軍家の末裔ならではの保身の術を心得ていたのだろうかとも愚考する次第です。」

 ブログの最後になり、私はあなたと似たように思いをいたしました。

 「直感の正さ」・・そういうものがあるのだと、勉強いたしました。これからもよろしくお願いいたします。
返信する
「德川一門出」の限界か (HAKASE(jnkt32))
2021-07-19 13:56:07
今回連載もお疲れ様でした。又も貴連載の全貌を追い
きれず恐縮ですが、拙雑感を記させて頂きます。

德川義親侯の遺された文言は、我国歴史の弱点とされ
る近現代史にも触れる所があり その記録自体は評価
する者ですが、あやかさん初め他の各位もご指摘の様
に、我国益を真摯に顧みるレベルには至っていないと
拙者も思います。

折角、全てを前向きに評価すべきではないにせよ、
「2.26」の理論的主導に関わった 北 一輝、大川
周明の両氏とも交流を持たれていた様なだけに、殿
のお立場であれば、その辺りへの踏み込みがあって
もとも思う所。この辺りは拙理想でもありますので
、貴見解と異なる様でしたら退けて下さって結構です。

北さんの「日本改造法案大綱」の一部は 男女参画
など現代でも有用な所も少なくなく、同氏の先見性
を垣間見た想いもする所。時代背景が後少しずれて
おれば、吉田元総理らに伍して 今に続く我国の方
向性を主導できるお立場だったかも知れず、そこを
慮ると 惜しい人材を屠ったものとの想いもありま
して。これは立場こそ違え、大川博士も同様です。

結論への至り方は問題があったにせよ、この方々に
結局は伍せなかった義親侯の軌跡は、結局は「危険
を避け、德川家の体面の為に安全を選んだ」或いは
「我国の戦後の方向をみて、無難な方へ流れた」等
、結果的にせよ 左派勢力と大差ない所へ流れ着い
たのかな・・というのが拙感想でありまして。

我国の古くからの戦史などは相当な観察眼がある様に
感じられ、又 戦後のあり様も、自衛隊の様な小型
国防組織を評価するなど 相応の的確さもありはし
ますが、何かしら根底のお考えが掴みかねる、との
わだかまりの様な印象は 拙者にも残りました。

その所を或いは北、大川の両氏を利用した旧軍部の
主流派の様に、戦後の平和志向を好い様に利用する
左派容共勢力を利する結果となっているのかも知れ
ません。

少し前の貴記事にあった
➀反日左翼学者の追放 ➁反日左翼マスコミの駆逐
➂反日左翼政治家理乃落選・・これらを我々国民の
責任で冷厳に実行する必要を感じる者ですが、義親
侯は、それらを叶える為には少し不足かな・・とも
思う所です。まずは、今回のお礼まで。
返信する
残念な結果 (onecat01)
2021-07-18 11:11:56
 あやかさん。

 本を読みながら書評をすることもありましたが、今回は最後まで読み、その上で始めた書評なので、こんな結果になるとは、意外感があります。

 言葉を吟味し、再読しながら書評をしていると、何気なく読み過ごしていた言葉の中に、反日左翼の忌まわしさを見つけたりしました。

 全体としては憎めない、好人物なので、好印象のまま終わりたいと願っていましたが、やはり妥協できませんでした。

 残念な結果です。

 コメントに感謝いたします。これからもよろしくお願いいたします。
返信する
Unknown (あやか)
2021-07-18 07:59:54
おはようございます。
『最後の殿様』を繰り返し拝読しました。
確かに、徳川義親侯爵は、それなりに立派なかただったかもしれませんが、
猫様もおっしゃるように、少しがっかりした点もあります。

まあ、率直に、申しまして、
このかたは徳川家の出身であることを『ブランド』にして、
その時その時の社会通念にあわせて、当たり障りのないことをおっしゃってた気がします。

大東亜戦争以前のころは、当時の国家社会主義者に同調する素振りをみせられたり、
戦後は、また戦後の通俗論に合わせた戦争観を述べられたり、
結局、侯爵の立ち位置は何なのか?という疑念も、感じます。

確かに、日本人は本格的な戦争の経験はありません。
古代中世の戦争といっても、個人的決闘をちょっぴり拡大したものに過ぎません。

しかしながら、明治時代以後は、日清・日露戦争に勝利し、
また、敗れたとはいえ、大東亜戦争の悲壮な戦いを戦いぬき、
シンガポールを陥落させ、アジア諸国の独立運動を支援し、
それなりの使命を果たしたわけですが、
その点についての、侯爵のもう少し、納得のいく御意見を、お聞きしたいですね。

●ところで、徳川義親侯爵の甥に、
靖國神社宮司をなさっておられた『松平永芳』様がいらっしゃいますが、
むしろこのかたのほうが、立派なかただったと思いますよ。
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