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『近代の戦争』 ( 事前の準備 )

2021-07-20 17:13:06 | 徒然の記

 前回まで、義親侯の自伝『最後の殿様』の書評を綴りました。教えられることが沢山ありましたが、それはやはり侯から見た日本史に過ぎませんでした。薩長閥軽視という偏見のない、もっと客観的な事実が知りたいと、そんな気持ちにさせられました。

 本棚には、会社勤めをしていた頃に買い、そのままにしている本があります。『近代の戦争』〈全8 巻〉です。明治時代から、大東亜戦争が敗戦となった昭和時代までの、戦争ばかりをまとめた本です。本棚を見ると、題名だけで気が重くなり、今日まで放置してきました。

 人物往来社が昭和41年に、シリーズものとして出した本で、侯の著作の7年前です。参考のため、書名・著者名を紹介しますと、下記の通りです。

   1.  『日清戦争』   工学院大学教授 松下芳雄

   2.  『日露戦争』   東京大学教授 下村冨士夫

   3.  『第一次世界大戦』 早稲田大学教授 洞富雄

   4.  『満州事変』   武蔵大学教授 島田俊彦

   5.  『中国との戦い』  評論家 今井武夫

   6.  『太平洋戦争(上)』 早稲田大学助教授 大畑篤四郎

   7.   『太平洋戦争(下) 』 早稲田大学助教授 大畑篤四郎

   8.   『年表・地図編 』

 著者の中で私が名前を知っているのは、洞富雄教授だけです。氏は捏造の南京事件に対し、「20万人以上の虐殺があった」と主張する人物です。ネットで調べますと、次のように紹介されていました。

 「日本の歴史学者として、最初に南京事件の研究をすすめ、その数を20万人以上とする立場を取る。」「『近代戦史の謎』(人物往来社、昭和41年)の「南京アトロシティー」の章に、」「大幅に加筆して、単行本としてまとめたのが『南京事件』(新人物往来社、昭和47年)であり、」「これは日本において、南京事件について書かれた最初の歴史書である。」

 私は平成31年に、田中正明氏が書いた『南京事件の総括』(平成19年刊)を読み、この中で洞教授の名前を知りました。著者の田中氏は、松井石根大将の秘書を務め、松井大将と蒋介石の会談にも同席したという、経歴の持ち主です。

 松井大将は、南京事件の責任を問われ、東京裁判 ( 極東国際軍事裁判 )で死刑判決を受け、処刑されました。氏の怒りは私憤というより、公憤とも言えるもので、松井大将の名誉を回復することに絞られ、GHQの統治下で、秘密裏に執筆作業を進めていました。氏は入手し得る限りのデータを集め、東京裁判での「南京事件」が、GHQによる捏造であることを証明しました。

 その本が、平成19年刊の『南京事件の総括』でした。その中で氏は、昭和41、47年に出版された洞教授の意見も紹介していました。私は今でも教授は、その名の通り「ほら」を吹く人物だと信じています。昭和の後半時代は、反日左翼教授や学者が、嘘もホントもつき混ぜて、日本批判と攻撃をしていた時ですから、今回の『近代の戦争』 シリーズを読むにあたり、洞教授の名前を発見してもそれほど驚きません。

 令和の今もそうですが、昭和時代の後半から平成にかけては、特に反日・左翼の天下でした。出版社だけでなく、新聞もテレビも、学術会議や東大社会科学研究所に巣食う、反日・左翼教授と協力し、国民を騙してきました。叩いても顔を出す「モグラ叩き」のゲームが、国を愛する国民との間で行われてきたのが、戦後の日本です。

 ということで、心の準備をして、読書にかかります。8冊の書評を終える頃には、オリンピックが終わり、「武漢コロナ」も収まり、二階氏も自民党からいなくなり、少しはマシな党になっているのでしょうか。

 仄聞するところによりますと、二階氏は、党内の二階下ろしに対抗し、小池氏や小沢一郎氏と手を結び、「自民党の分裂」を画策しているようです。一時的に自民党の議席が減ったとしても、長い目で見れば、二階氏につながる「獅子身中の虫」が出て行くのなら、日本にとっては良い方向へ行くはずです。

 「温故知新」の読書をしつつ、明日からも、忙しい政界を観察していこうと思います。

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