ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

女性皇族の考え「理解を」- 19 ( プレスコードの優等生 )

2024-12-25 19:07:41 | 徒然の記

  〈 テレ朝 ニュース」に不信感を持つ理由 〉

 GHQの検閲では、記事の内容が禁止項目に抵触しているかどうかが、調べられました。既に紹介しましたが、その30項目が以下になります。

    ⚫︎ 連合国軍総司令官もしくは総司令部に対する批判

    ⚫︎ 極東国際軍事裁判 ( 東京裁判 ) 批判

    ⚫︎ GHQが「日本国憲法」を起草したことの言及と、成立での役割の批判

    ⚫︎ 検閲制度への言及

    ⚫︎ アメリカ合衆国への批判

    ⚫︎ ロシアへの批判

    ⚫︎ 英国への批判

    ⚫︎ 朝鮮人への批判

    ⚫︎ 中国への批判

    ⚫︎ その他の連合国への批判

    ⚫︎ ( 国を特定しなくとも )連合国一般への批判

    ⚫︎ 満州における日本人取り扱いについての批判

    ⚫︎ 連合国の戦前の政策に対する批判

    ⚫︎ 第三次世界大戦への言及

    ⚫︎ 冷戦に関する言及

    ⚫︎ 戦争擁護の宣伝

    ⚫︎ 神国日本の宣伝

    ⚫︎ 軍国主義の宣伝

    ⚫︎ ナショナリズムの宣伝

    ⚫︎ 大東亜共栄圏の宣伝

    ⚫︎ その他の宣伝

    ⚫︎ 戦争犯罪人の正当化および擁護

    ⚫︎ 占領軍兵士と日本女性との交渉

    ⚫︎ 闇市の状況

    ⚫︎ 占領軍軍隊に対する批判

    ⚫︎ 飢餓の誇張

    ⚫︎ 暴力と不穏の行動の煽動

    ⚫︎ 虚偽の報道

    ⚫︎ GHQまたは地方軍政部に対する不適切な言及

    ⚫︎ 解禁されていない報道の公表

 禁止項目がこれだけ広範囲にありますと、新聞は日本の悪口を書くか、占領軍を称賛するか、それ以外は報道できないことになります。

 敗戦国の惨めさとGHQの絶大な権力を、息子たちに知って欲しいと願う「ねこ庭」の気持が、ここからも生まれます。

 「ねこ庭」自身がつい先日まで、この過酷な報道規制を知らなかったのですから、若い人たちを批判できません。つまり、高島キャスター、板倉アナウンサー、河西准教授を責められないと言うことです。

 前回も紹介しましたがもう一つ、大事な情報があります。

  ・「プレスコード」を日本のメディアで一番よく守ったのが、朝日新聞だった。

  ・朝日新聞は「プレスコード」の優等生となり、GHQの信頼が厚かった。

  ・GHQは一番最初に朝日新聞へ情報を与えるなど、朝日新聞を優遇した。

 朝日新聞はGHQが引き揚げた現在でも「プレスコード」の優等生で、「トロイの木馬」の先頭にいると「ねこ庭」は推測しています。

  「鬼畜米英を攻める、勇ましい皇軍」「銃後を守る、健気な女子挺身隊」

  「欲しがりません、勝つまでは」 「聖戦遂行へ、一億の民 火の玉 となれ」

 戦前の朝日新聞は軍の広報機関として戦争を宣伝し、国民を鼓舞していました。それが敗戦と同時に、「プレスコード」の優等生になりました。朝日新聞・大阪本社の役員が、優等生になった理由を説明していました。

 「戦前は軍に協力しなければ、紙もインクも支給されなかった。」

 「敗戦後は、GHQの言うことを聞かなければ会社は潰された。」

 「戦前も敗戦後も、社員たちの生活を守るために、会社はこうするしかなかった。」

 正直な弁明と理解しない訳ではありませんが、報道機関としての朝日新聞は、社員の生活を守ると同時に、国民の魂を守る使命もあるのではないでしょうか。

 朝日新聞は、今もこの「正直な弁明」の延長線上に立つ反日メディアと、「ねこ庭」は考えていますが、訪問された方々はどのように判断されるのでしょうか。

 マスコミが隠した事実を、高島キャスター、板倉アナウンサー、河西准教授は知らないのでしょうが、朝日新聞の側に立つ3人に「ねこ庭」は信頼が置けません。

 3人と違う意見を述べている人物がいないかと、ネットの検索をしていて偶然目にしたのが、竹田恒泰氏でした。「女性宮家」反対論を述べる氏を、苦労してでなくたまたま見つけたので、ご先祖様の助け かと思ったりしました。

 そして「竹田氏プロフィール」の紹介を始め、「一水会」とのつながりを知り、テーマが大きく横道へ外れました。

 だがここまで来ればもう安心です。次回からは、下記項目を予定の順番に検討します。( 青色表示の項目が、検討済みです。 )

 ・北海道神宮とは、どんな神社なのか

 ・竹田氏のプロフィール

      

 ・GHQが皇籍離脱させた宮家のお名前と現在の人数

 ・現在皇室におられる方々のお名前と人数

 ・現在残っている宮家のお名前と人数

 ・上皇陛下のNHKを通じた「お言葉」のこと

 ・秋篠宮様のご長女眞子さまのご結婚のこと

 

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女性皇族の考え「理解を」- 18 ( テーマの再確認作業 )

2024-12-25 16:35:32 | 徒然の記

 「ねこ庭」を訪問されている方々も、シリーズが「一水会」会員の経歴検討まで進みますと、本来のテーマが何であったのか分からなくなられたのではないでしょうか。

 「ねこ庭」自身もテーマへ戻るため、気持の切り替えに苦労しています。シリーズの発端となった11月30日の千葉日報の記事を、もう一度読み返します。

 赤坂御用地の岩場での、秋篠宮様、紀子様、佳子様、悠仁様の写真が掲載されています。5段組みの記事はページの 4分1 弱を占め、大きな活字のタイトルです。

 「秋篠宮様 59歳」「女性皇族の考え「理解を」」

  ・秋篠宮様は30日、59歳の誕生日を迎えられた。

  ・これに先立ち、東京赤坂御用地の赤坂東邸で記者会見し、皇族数確保策として、女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持する案を巡り、

  ・「該当する皇族は生身の人間で、その人たちがどういう状況になるのか、少なくとも宮内庁は、その人たちがどういう考えを持っているかを理解しておく必要がある。」と述べた。

 記事では宮様の「ご発言」の真意が分からないため、情報を探すと下記タイトルの

  ・秋篠宮様の「皇族は生身の人間」発言で宮内庁長官「反省」

 この記事で宮様の真意が分かるのでないかと、期待しながら読みました。

  ・宮内庁は、影響を受ける皇族の考えを理解する必要があると指摘されたことを受けて、西村泰彦長官が12日の定例記者会見で

  ・「まさにそのとおりで、十分お話を伺う機会はなかったと反省している」と述べました。

 NHKの報道は宮様の「ご発言」の全部を掲載していましたが、真意はやはり曖昧でした。

 ネット内を検索していますと、(「サタデーステーション」の 11月30日OA記事である ) と註書きした「テレ朝 ニュース」の記事がありました。

 同社の高島彩キャスター、板倉朋希アナウンサーとゲストの名古屋大学の河西准教授の三人が、宮様の「ご発言」を解説していました。

  1.   高島彩キャスター

  ・秋篠宮さまは会見で、女性皇族が結婚後も皇室に残る案について言及されました。

  2.   板倉朋希アナウンサー

  ・衆参両院の議長と各党代表者らの協議の「中間報告」では、皇族数の確保のため女性皇族が結婚後も皇室に残る案について、『おおむね共通認識が得られた』としていますが、いまだに結論は出ていません。

  3.   名古屋大学の河西准教授  :

   ・今回秋篠宮さまは、「皇室の制度にかかわる発言は控える」とした上で、かなり踏み込んだ発言をされた。皇族も人生設計に大変困るということで、もどかしさがあるのではないのでしょうか。

 偏見と言われる方がいるのかもしれませんが、三人の意見を読み、「ねこ庭」は次のように考えました。

  ・「テレ朝 ニュース」はテレビ朝日が配信しているニュースサイトで、反日左翼メディアの先頭に位置する「朝日新聞」の系列です。

  ・従って三人の人物は、保守の立場にいないと推測されます。

  ・皇室の崩壊につながる「女性宮家」を否定していないと言うことは、アメリカの「対日方針」への協力にもつながります。

 最近の「ねこ庭」は、アメリカの「三段階の関与」を検討していますので、GHQが行った「プレスコード」が頭から消えません。くどいと思われるかもしれませんが、復習しました。

  ・「プレスコード」とは、連合国軍占領下の日本において、GHQによって行われた新聞などの報道機関を統制するために発せられた規則で、これにより検閲が行われた。

  ・「プレスコード」基づいて、記事などが発禁処分にされた。

  ・占領開始前からの計画に従い、個人的な手紙などにも検閲の手が回った。

  ・この事実は当時の一般大衆には知らされず、出版・報道関係者以外に広く認知されたのは、のちの事である。

  ・検閲は、GHQの情報担当のG-2・ウィロビー少将所管下の民間検閲支隊 ( CCD ) によって実施された。

 過去記事の再確認になりますが、「ねこ庭」が朝日新聞系列の「テレ朝 ニュース」に不信感を持つ理由が、次回で理解して頂けるのでないかと思います。

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女性皇族の考え「理解を」- 17 ( 鈴木氏の孤立 )

2024-12-24 09:13:37 | 徒然の記

   〈 鈴木邦男(すずき くにお )氏 〉

 鈴木氏の左傾については、他の右派団体からの批判攻撃があったことをウィキペディアが説明しています。

   ・右翼団体「民族革新会議」と「盛道烈士會」の盛義一 ( もり よしかず ) らが、高田の馬場の一水会事務所近くで街宣

     ⚫︎  鳩山由紀夫と木村三浩のクリミヤ訪問への抗議

     ⚫︎「一水会」創設メンバー犬塚博英の名を汚していることへの抗議

     ⚫︎「一水会」と木村三浩は、右翼と名乗るなという要求、  をした

   ・以降、「一水会」は右翼、新右翼を名乗っていない

 また「一水会」内部では、以下の動きがありました。

   ・平成22年、「一水会」の関連組織「統一戦線義勇軍」の針谷大輔が、鈴木への敬意を表しつつ、鈴木の発言を批判

   ・平成24年、「一水会」創設メンバーである四宮正貴が鈴木の発言を批判

   ・平成26年、「一水会」創設メンバーでのちに離脱した犬塚博英が、鈴木に絶縁宣言

   ・平成27年以降、鈴木は「一水会」の顧問を辞任し、単なる肩書きだけの「元最高顧問」「元顧問」「元代表」となる

   ・右翼、左翼、アナーキストに限らず、多くの活動家は自決または病死、あるいは事件の犯人として収監されている。

   ・その中で不器用ながらバランス感覚に長け、要領のいい性格でもある鈴木邦男は長生きをし、自由な活動を続けてきた。

 「一水会」の顧問を辞任し肩書きだけの「元顧問」となっても、左傾活動をやめないのですから「ねこ庭」も匙を投げます。というより、組織人としての節度のなさに失望しました。
 
 ウイキペディアの、皮肉な説明を紹介します。

   ・外国人参政権を支持するため、李英和(リ・ヨンファ ) が主催する在日党の集会に参加

   ・鈴木は「納税など住民としての義務を果たしている定住外国人にとって、参政権は当然の権利、それを認めることが、日本人の民族意識を希薄にするとは思わない」と主張

   ・一水会内部から批判の声があったが、鈴木は「必要なのは右翼や左翼という看板ではなく、個人の判断。組織は勉強する場として残ればいい」と言った

   ・よど号乗っ取り犯で、偽米ドル札事件で逮捕された田中義三激励のため、タイ・チョンブリ刑務所を木村三浩と訪問

   ・田中は「共に闘っていけると感じました」と答え、鈴木は「四十歳を過ぎれば右翼も左翼もないですよ。意気投合しました」と言った

   ・平成27年12月辻元清美の応援団の一人として、政治資金規正法に基づく「資金集めのパーティ」に参加

 これでは「一水会」のメンバーから絶交され、孤独をかこつことになっても同情する余地がなくなります。

 ここまで来れば「毒をくらわば皿まで」で、残っている塩見孝也と沢口友美、雨宮処凜両氏の経歴を予定通り紹介しようと思います。

 「ねこ庭」を訪問される方々は、「一水会」メンバーの紹介を始めたのが、保守人竹田氏への違和感を検討するためだったことを、思い出して頂ければ有り難いと思います。

  〈 塩見孝也の経歴 〉

  ・昭和16年大阪市生まれ、平成29年死亡、76才。

  ・日本の新左翼活動家活動家、元赤軍派議長・最高指導者、テロリスト

  ・「日本のレーニン」と呼ばれ、「一向健」の組織名・ペンネームで知られた

  ・京大在学中から「共産主義者同盟 ( ブント )  」の活動家となり、京都府学連書記長、社学同書記長

  ・ブントの活動に飽きたらず武装闘争を主張、京大を2年で中退

  ・昭和44年、関西ブントを中心に「共産主義者同盟赤軍派」を結成、議長に就任

  ・メンバーは京大、同志社大、立命館大を中心に400人、軍事委員長は大阪市立大の田宮高麿

 「大菩薩峠・赤軍派リンチ事件」と「よど号ハイジャック事件」はテレビと新聞がトップニュースで伝えましたから、今でも覚えています。しかしその中心人物が塩見孝也だったとは、知りませんでした。

  ・昭和44年秋、大阪、東京で交番・パトカーなどを襲撃した大阪戦争、東京戦争等を指揮

  ・同年11月に、「大菩薩峠事件」の失敗で主要幹部を含む53人が逮捕、大打撃を受ける。

  ・塩見は武装蜂起による「世界共産主義革命」実現のため、「国際根拠地論」を提唱

  ・労働者国家キューバを根拠地とし、軍事訓練を行った革命軍を各地へ送る意見を主張

  ・昭和45年、「フェニックス作戦」と名づけたハイジャックを計画し、下見を重ね具体的な計画作成

  ・実行部隊のメンバーを決め、同年3月後半の実施を決定したが、寸前の3月警察に塩見が逮捕

  ・塩見の逮捕後、実行部隊は既定方針どおりハイジャック決行

  ・3月31日、田宮高麿をリーダーとする9名が、羽田空港で日本航空よど号をハイジャックし、北朝鮮に亡命( よど号をハイジャック事件 )

  ・塩見はよど号事件の共謀共同正犯、破防法などで起訴、昭和57年懲役18年の刑確定、府中刑務所収監

  ・平成元年12月出所、平成29年小平市の病院で死去、満76才。

 武装蜂起による「世界共産主義革命」を主張していた塩見は、こうして一生を終えていますが、昭和45年当時の世界情勢を考えた時、彼の意見は果たして現実的だったのかと疑問を抱きます。

 「世界共産主義革命」を主張していたトロッキーは、スターリンの路線と対立して国外へ逃れ、昭和15年に暗殺されています。次に過激派学生が憧れた「世界共産主義革命」論者は、「ねこ庭」の記憶が正しいとすればチェ・ゲバラです。その彼は昭和42年、ボリビア革命の戦闘中に捕えられ銃殺されています。

 世界の共産主義はむしろ、自国を中心とした民族共産主義革命が主流だったはずです。スターリンだけでなく、毛沢東もホーチミンも、国際的連携を取りながら先ずは自国の共産主義革命を優先していたのではなかったでしょうか。

 武装蜂起による「世界共産主義革命」は、多くの国民に受け入れられることのない、現実を遊離した学生時代そのままの思考と「ねこ庭」は考えます。日本共産党委員長の宮本賢治氏が、党の方針を議会制を通じた平和革命路線へ転換し、毛沢東の武力闘争主義と決別していたことを考え合わせますと、その感を深くします。

 塩見の生涯もまた、「戦後日本史の大河」の流れに消えた泡沫 ( うたかた ) の一つだったのかもしれません。

 竹田氏が、彼らとどこまで親交があったのか知る由もありませんが、これ以上「一水会」の人々の経歴紹介を続ける意味が感じられなくなりました。

 本シリーズの目的は、「宮様ご発言」の真意を知るため下記項目の検討でしたが、「竹田氏のプロフィール」から大きく脇道に逸れました。

 ・北海道神宮とは、どんな神社なのか

 ・竹田氏のプロフィール

 ・GHQが皇籍離脱させた宮家のお名前と現在の人数

 ・現在皇室におられる方々のお名前と人数

 ・現在残っている宮家のお名前と人数

 ・上皇陛下のNHKを通じた「お言葉」のこと

 ・秋篠宮様のご長女眞子さまのご結婚のこと

 今回で経歴紹介に区切りをつけ、次回はGHQが去った後「現在皇室におられる方々のお名前と人数」の検討作業へ戻ります。

 前途遼遠の感です。多忙な師走、時間のない方はスルーして下さい。

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女性皇族の考え「理解を」- 16 ( 型破りの右翼 ? )

2024-12-23 16:06:27 | 徒然の記

 鈴木氏の経歴紹介が続いていますが、保守か左翼かという二元論で進めてきた「ねこ庭」は、氏の出現で頭の中が混乱しました。

  〈 鈴木邦男(すずき くにお )氏 〉

  ・昭和54年4月、東郷健の芝居「悲しき人類」が竹中労のプロデュースで上演。天皇を揶揄した不敬なシーンで、鈴木と四宮正貴が客席から舞台上に乱入

  ・昭和56年12月、ソ連大使館に抗議、乱入。暴力行為の容疑で警視庁から捜索を受け、その際に捜査令状を破ったとして公文書毀損と公務執行妨害の現行犯で逮捕、23日間の留置

  ・同年、一水会と連携する組織として「統一戦線義勇軍」を設立。初代議長は「一水会」代表木村三浩、初代書記長は清水浩司(のちの見沢知廉)

  ・昭和57年9月、「スパイ粛清事件」・・見沢が新しい右翼団体の設立に際し、一人のメンバーを公安のスパイと疑い、他の4名と共にバールで殴打し青木ヶ原の樹海に埋めた。

  ・相談を受けた鈴木は木村三浩と協力し、見沢らと遺体を静岡の朝霧高原に埋め直した。

  ・同月実行犯の4名が、見沢と共に逮捕され、鈴木は任意同行を何度も求められたが逮捕を免れた。( 後に見沢は自殺 )

  ・昭和59年、「新雑誌X」に天皇を揶揄したイラストを掲載した東郷健と再び敵対。一水会の構成員が東郷を襲撃したため、逮捕

  ・平成2年、「一水会」と中核派の五十二日間戦争がおこる。

  ・平成5年10月20日、野村秋介が朝日新聞東京本社で拳銃自決。

  ・平成7年、新宿にロフトプラスワンが開店。鈴木は、開店直後から常連となり、出演者となる。

  ・登場人物の一人となり、かつて敵だった赤軍派元議長の塩見達也や、宅八郎、佐川一政、奥崎謙三らと交流する。

  ・平成8年、雨宮処凜 ( かりん ) と出会う。タイで投獄された田中義三を激励

 ここまでになりますと、「一水会」の会員たちから批判が出て、平成11年に代表を辞任し顧問となります。

  ・平成11年、アメリカによるイラク戦争に抗議し、イラクへ渡航。イラク訪問団のメンバーは、木村三浩、塩見孝也、雨宮処凛、大川豊、PANTA、竹田恒泰他

 何度も言及する気になりませんが、竹田恒泰氏がこのような人物たちとイラク訪問をしているのが、ひっかかります。「女性宮家」反対、「選択的夫婦別姓」反対を主張する氏が、なぜ左傾の人々とイラク訪問をしたのでしょうか。

 鈴木氏の経歴紹介でプログの焦点がずれてしまいましたが、「一水会」メンバーの紹介を始めたのは、保守論人竹田氏への違和感を検討するためでした。

 「皇室護持」では保守人だとしても、「アメリカの属国からの脱却」を語らない氏は本物の保守人と言えないのでないかと、そのための「一水会」メンバーの経歴紹介でした。

 脇道に外れ森の奥へ入りましたが、しばらく竹田氏を脇に置いてこのまま進むことをご容赦ください。

  ・平成18年、鈴木はかつて日本共産党を追放された筆坂秀世と対談し、『私たち、日本共産党の味方です。』を出版。

  ・平成21年『右翼は言論の敵か』を出版し、週刊AERAの「現代の肖像」で特集される。

  ・平成23年、二度にわたり北朝鮮へ渡航、元赤軍派よど号グループと交流

  ・平成25年、辛淑玉 ( シン・スゴ ) の依頼により、「ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク」(  のりこえねっと ) の共同代表に就任。

 ウィキペディアによりますと、この頃の氏は、「今の自分は右翼度30%、左翼度70%で、四捨五入したら完全な左翼であるのにいつまでも右翼と言われる。」と述べていたそうです。

  ・右翼活動初期はテロルを是とし、憲法改正を論じていた鈴木邦男だが、時代の変遷とともに、差別と戦争に反対し、平和憲法の貴重さを語るようになっていった。

 ウィキペディアの説明ですが、ここまで意見を変えるのでは、さすがに「ねこ庭」も氏を保守人と呼ぶ気を無くします。

 組織のトップが敵勢力と融合してしまうのでは、「一水会」の運動そのものが成り立たなくなります。会員だけでなく、古くからの幹部の批判も高まりました。

 次回は鉄の団結を誇った「一水会」メンバーが、鈴木氏から離れていく様子を述べます。

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女性皇族の考え「理解を」- 15 ( 鈴木氏の孤独 )

2024-12-23 10:35:30 | 徒然の記

 本日も、「一水会」の代表となった鈴木氏の経歴を紹介します。

 〈 鈴木邦男(すずき くにお )氏 〉

  ・「一水会」の主催で、森田必勝の追悼である野分祭を毎年、行う。

  ・昭和48年、防衛庁が催事でストリッパーを呼んだことに怒り、抗議した末に乱入する事件を起こして逮捕

  ・このことにより産経新聞を懲戒解雇となり、鈴木は「一水会」の専従活動家となる

  ・産経新聞勤務の経歴が記者だったと誤解され、週刊誌や月刊誌の原稿を書く仕事をコネでもらい、日銭を稼ぐ。

 ウィキペディアの説明は、筋を通した逸話と感心して読むべきかの、しょぼくれた話と嘆くべきか判断に迷います。

  ・昭和50年、右派系の新聞「やまと新聞」に連載していた、「東アジア反戦武装戦線」についての文章が、左翼系の出版社である三一書房社長の竹村一の目に留まり、『腹腹時計と〈狼〉』として刊行される。

  ・「東アジア反日武装戦線」は昭和47年に結成され、連続企業爆破事件を起こし昭和50年にメンバーが逮捕された。

  ・この本は、右翼が左翼の本を書いたとして、左右接近だと話題となり、竹中労や太田竜と知り合うきっかけとなった。右翼陣営からは概ね不評だったが、野村秋介からは高評価を得、野村や鈴木らが新右翼と呼ばれるひとつの理由にもなった

  ・「東アジア反戦武装戦線」の構成員が、自決をも辞さぬ態度を示したのを見て、鈴木は「戦前の血盟団のようだ。先を越された」と衝撃を受け、右翼系の『やまと新聞』に『〈狼〉たちと右翼武闘派』という連載を始める。

 これが左翼系の三一書房社長の目にとまり注目され、この頃から氏の左傾が始まっているようです。

  自分の道をひたすらに求め、大義のため死を厭わない人間は、時として右でも左でも命をかける者の姿に心酔します。
 
  どうやら鈴木氏は、こう言うタイプの求道者だったのかもしれません。

 前回このように述べて氏を評しましたが、以下の経歴を読みますと、どうやらでなく、間違いなくそうだったようです。

  ・昭和50年12月、「乱世’75 を撃つ大演説会」が渋谷公会堂で開催され、竹中労、沼正三、羽仁五郎らと会う。

 竹中氏はアナーキスト・ルポライター、沼正三氏は奇譚小説を書く覆面作家という正体不明の人物で、羽仁五郎氏は有名なマルクス主義歴史学者です。

  ・同年、「一水会」が『月刊レコンキスタ』を創刊。現在に至るまで発行されている。

  ・昭和52年には、戦前に活躍した右翼活動家を訪ね歩き、『証言・昭和維新運動』を著す。末松太平や小沼正 ( おぬま しょう  ) といった先輩の言葉は、60年安保以降の右翼である鈴木に深い影響を及ぼす。

 末松太平氏は「ねこ庭」の過去記事で取り上げたことがありますが、昭和11年2月の2・26事件を支援したとして、軍法会議で禁錮4年の判決を受けて免官になった陸軍軍人です。

 小沼正は、「血盟団」のメンバーで井上準之助蔵相を銃殺した有名なテロリストで、鈴木氏は、彼の「日本精神は左翼である」という言葉に感銘を受けています。

  ・鈴木は「左右を弁別せざる」として、竹中労、牧田吉明、塩見孝也ら左翼、アナキストとも交流し、たとえ反対陣営に対しても、学べること、共闘できることを模索した。

 ここまでの説明を読みますと、氏は保守活動家と言えなくなります。右でもなく左でもなく、右でも左でもあるという人物の仲間入りをしたということです。

 いい加減な人間と勘違いされるかもしれませんが、道を求める真摯な人間も求道が過ぎるとこのようになるという見本でないかと考えます。氏のために弁明するとしたら、「ねこ庭」は次のように言います。

 「氏は間違いなく、典型的な日本人の一人である。」

 善か悪か、右か左か、正義か不正義かと、私たちは「二元論」で考える習慣を長く経験していますが、本来の日本人の思考としてもう一つあることを忘れています。論理を優先する「二元論」でなく、「義理・人情」という感性的思考です。

 理屈や理論でなく、人と人が情という感性で共鳴する思考で、義侠心という言葉が分かりやすいのかもしれません。

 小沼正の「日本精神は左翼である」という言葉を、「ねこ庭」が解釈しますと次のようになります。
 
  「義のために命を投げ出す日本精神は、マルクス主義のため命をかける左翼と通じるものがある。」
 
 敵同士でも、命懸けで助け合うという個人関係がここから生まれます。中途半端な人間同士でこのような関係になれませんので、氏はもう一つの思考パターンをする日本人として、小沼の言葉に心酔したのではないでしょうか。
 
 「ねこ庭」は個人としての氏を受容しますが、国際情勢を考えた時の、日本の保守人としては肯定する気になりません。
 
 氏は選択的夫婦別姓制度に関して、「左右関係ない問題として議論するべき」と述べていますが、皇室を崩壊させる左派の意見に賛成する可能性を否定していませんので、「ねこ庭」の考える保守人の範疇から外れます。
 
 「一水会」の仲間が、次第に氏から離反していくのも無理のない話で、ウィキペディアが紹介する次の氏の嘆きも、当然の結果と考えます。

  ・年末、1人でいると、いろんなことを考える。オレは1人だ。淋しい、孤独だ、と思う。でも、運動に突っ走って、死んだ人も多い。獄中にいる人もいる。

  ・その人たちのことを考えると、申し訳ないと思う。真面目で、思いつめたから死んだんだ。獄中にいるんだ。

  ・それなのに俺は勇気がないから、卑怯だから、そこまでやれなかっただけだ。そして、外の世界で、自由に生きている。俺の方が「犯罪者」だと思う。

  ・年の瀬は、そんなことを痛切に感じるんですよ。(中略)幸い、全ての事件は時効を迎えた。亡くなった人、獄中にいる人には本当に申し訳ないと思っている。本当に悪いのは私です。

 酷な感じもしますが、氏が反省していると思われる事実を、次回もウィキペディアの解説からいくつか紹介いたします。息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々には、氏を批判する材料としてでなく、戦後史の事実として知ってもらいたいと思います。

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女性皇族の考え「理解を」- 14 ( 鈴木邦男氏の経歴 )

2024-12-22 15:33:26 | 徒然の記

 〈 鈴木邦男(すずき くにお )氏 〉

  ・昭和18年福島県生まれ、令和5年東京にて死去、79才

  ・政治活動家、「一水会」名誉顧問、思想家、文筆家、プロレス評論家、河合塾講師

  ・「ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク」( のりこえネット )共同代表、コリア国際学園後援会発起人

 肩書きを見てわかる通り氏は通常の保守活動家でないため、「型破りの右翼活動家」「異色の政治活動家」と呼ばれているそうです。

 しかし氏の生い立ちを読みますと、型破りでも異色でもない、一人の真摯な生き方をする若者の姿が見えてきます。詳しくなりますが、後で参考になりますのでウィキペディアの説明を紹介します。

  ・税務署勤務だった父親の都合で、秋田県、宮城県と、高校生の頃まで東北地方を転々とする。

  ・横手に住んでいた時は、ジャーナリストのむのたけじがよく家に来ていた

  ・母親が病気になった時、「生長の家」の地方講師の祈祷によって治癒したことがきっかけで、以降、鈴木家では母親が熱心な信者となった

  ・昭和35年、山口乙矢 ( おとや ) が起こした浅沼稲次郎刺殺事件をテレビで目撃し、同じ17歳の少年が社会のことを考え、人の命を奪い、自決するということに衝撃を受ける。

  ・昭和36年春休み、浅草の「大日本愛国党」を訪ね、総裁の赤尾敏と対面する

  ・昭和38年、早稲田大学政治経済学部に入学。「生長の家」学生道場に入る。

  ・当時の「生長の家」は、左翼運動が強い時代において右翼思想・愛国主義を強める活動に熱心だった

  ・鈴木は信仰の日々とともに、「生長の家学生会全国総連合(生学連)で書記長を務め、左翼学生との殴り合いを含む学内の闘争に奔走する。

  ・昭和42年早稲田大学卒業、学生運動を続けるために大学院に進学。

  ・昭和44年全国学生自治体連絡協議会(全国学協)を結成、初代委員長に就任

  ・しかし、全国学協の書記長だった長崎大学の安藤巌らと対立し、わずか1ヶ月で退任させられる。このとき鈴木と対立した陣営(安東の他に椛島有三など)が、のちに「日本会議」を結成している。

 同じ時期に卒業していますが、学部が違ったせいでしょうか、氏については何も聞いたことがありません。当時を思い返しながら、保守系、左翼系の学生たちの顔や姿を懐かしく思い出します。

  ・この事件により鈴木は失意の中で、別の大学に入学して学生運動をやり直すことを考えたりと、大きなダメージを受けるが、「生長の家」の創設者である谷口雅春が「やまと新聞」に、「鈴木君は将来、国士になるでしょう」と書き鈴木の将来を鼓舞した

 しかし氏は、昭和45年早稲田大学大学院を中退します。左翼学生の過激な殺傷事件や破壊活動が世間から疎まれ、左翼学生運動が退潮し、皮肉なことに自らの運動も敵を失ってしまいます。

 仙台の実家へ帰り、地元の書店の店員として働きますが、縁があって産経新聞社に入社します。記者ではなく、販売局や広告局で仕事をしていたと言います。

 ここで先に紹介した「阿部勉氏の経歴」の下記部分と一致点が生まれます。

  ・昭和45年、元早大の鈴木邦男と渋谷で偶然再会し、鈴木が一時的に阿部のアパートに居候した

  ・三島事件により「楯の会」解散の後、鈴木邦男、犬塚博英、伊藤邦典、田原康邦らと月1回集まっていた

 再び鈴木氏の経歴に戻ります。

  ・昭和45年11月25日三島事件が起こり、三島由紀夫の行動にも衝撃を受けたましたが、友人だった森田必勝の自決が、鈴木の胸をえぐった。

  ・運動をやめて一般の仕事をしていた自分と、三島と共に命を投げ出すまでの活動を続けていた森田との対比の中で苦悩し、再び鈴木は政治運動に駆り立てられていく。

  ・昭和47年、森田必勝と三島由紀夫二人の意思を受け継ごうと、「一水会」を設立する。創設メンバーは、自身の他に阿部、犬塚博英、四宮正貴といった面々であった。

  ・鈴木は阿部を尊敬していたが、年長者のため、鈴木が代表となった。

 「一水会」の代表が阿部氏でなく鈴木氏になった理由が、ここで分かりました。年長者だった鈴木氏に、阿部氏が一歩譲ったということです。礼節を知る阿部氏だったと言えますが、「一水会」のためには裏目に出たのかもしれません。
 
 次回の経歴を読みますと、鈴木氏の左傾への動きが見えてきます。なぜ氏が「型破りの右翼」と呼ばれるようになったかも、分かると思います。自分の道をひたすらに求め、大義のため死を厭わない人間は、時として右でも左でも命をかける者の姿に心酔します。
 
 どうやら鈴木氏は、こう言うタイプの求道者だったのかもしれません。
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女性皇族の考え「理解を」- 13 ( 木村三浩氏の経歴 )

2024-12-22 10:21:05 | 徒然の記

   経歴を紹介します。

 〈 木村三浩 ( みつひろ ) 氏 〉

  ・昭和31年東京生まれ、68才、日本の新右翼・社会活動家、民族主義者 、愛国政治団体「一水会」代表。

 竹田氏に負けない幅広い活動家で、沢山の肩書きがあります。

  ・一般社団法人世界愛国者交流協会代表理事、元統一戦線義勇軍議長、慶應大学戦没者追悼実行委員会委員

  ・比較憲法学会、三田文学会会、日本ペンクラブ会員。国際組織NASYO(非同盟諸国学生青年会議)元常任理事

  ・愛国者インターナショナル世界大会(準)実行委員、日本クルド交流連絡会顧問、世界愛国者会議 ( モスクワ、パリ、ウイーン等 )に数度にわたり出席

  ・昭和48年、群馬県で開催された日本教職員組合・定期大会抗議活動に高校の先輩と共に参加。本格的に右翼活動に目覚める。

  ・昭和53年、所属していた「日本青年社」の「尖閣列島領有決死隊」の一員として、尖閣諸島に上陸し、灯台を建設

  ・昭和56年、「反米愛国・抗ソ救国・民族自決・反権力」を掲げた新右翼「統一戦線義勇軍」結成に参画し議長就任

  ・アメリカからの独立を求める「ヤルタ・ポツダム体制打破」への活動を展開

 「ねこ庭」は、敗戦後のアメリカの関与から戦後日本史を検討していますが、氏はヤルタ・ポツダム会談から日本を眺めています。

  ・平成4年、「一水会」書記長となり4月にバクダッドを訪問、バース党との間で「反大国主義、民族自決」を原則とする議定書を交わし調印

 青山繁晴氏と西田昌司氏の動画に賛同し、千葉県の片隅で一人「草莽崛起」活動をしている「ねこ庭」と違い、木村氏の活動は本格的です。活動資金がどこから出ているのか知りませんが、同じ保守を志向していても、「ねこ庭」とは別世界の話のようです。

  ・「対米自立」という観点を堅持しつつ、国際的な視点から湾岸戦争以降のイラク、NATO空爆後のユーゴスラビアなどを訪問。

  ・そのほか、フランス、ドイツ、ロシア、リビア、シリア、マレーシアなど各国の民族主義政党・団体と交流し、民族派同士の国際連帯を構築。

  ・平成10年、バクダッドに本部のある国際組織「NASYO」(非同盟諸国学生青年会議)常任理事に就任

 左系の共産党や日弁連だけが世界で活動していると思っていましたが、右派の団体も負けずに動いていました。年金暮らしの人間には縁のない政治活動の話になりますが、日本国内ではほとんど知られていないのではないでしょうか。

 国民に知られなければ、どんな活動をしても「草莽崛起」にはなりません。負け惜しみを言う気はありませんが、マスコミが「トロイの木馬」である限り、木村氏の活動も「ねこ庭」の発信も大同小異ではないでしょうか。

 「貧者の一灯」でしかない「ねこ庭」の発信も、落胆することはないと変な勇気が湧いてきます。

  ・平成12年2月、「一水会」代表に就任

  ・平成14年、ロシア自由民主党のジリノフスキー党首が主催する「世界右翼政党会議」に参加

  ・フランス国民戦線などと共に、「愛国者インターナショナル」会議に参加。南北問題の是正とハングローバリゼーションの活動を展開

  ・平成15年3月、アメリカのイラク侵略攻撃に断固抗議。侵略直前、バクダードでの国際会議でアメリカの侵略戦争に抗議

  ・イラク攻撃の理由とされた「大量破壊兵器」保有疑惑については、一貫して「イラクは大量破壊兵器を保有していない」と攻撃前から主張

 いくら強がりを言っても、木村氏の活動に「ねこ庭」は及びません。そしていよいよこの活動が旧皇族の竹田氏と繋がります。

 息子たちと「ねこ庭」を訪問された方々に分かりやすくするため、竹田氏のプロフイールの一部を転記します。

  ・イラク戦争前の2003年(平成15年)1月、一水会代表の木村三浩らと共に「ブッシュ政権のイラクを止めさせる緊急アピール」発起人となり

  ・同会のイラク訪問団(団長・木村三浩)に、鈴木邦男、塩見孝也、平野悠、PANTA、沢口友美、雨宮処凛、大川豊らと共に参加した

 つまり竹田氏は「一水会」代表の木村氏らと共に、イラクを訪問しています。訪問の善悪を言っているのでなく、他の旧皇族の方々と氏の違いに関心を持っています。

 今ではイラク戦争は「一水会」の意見を妥当としていますが、当時は賛否両論に分かれていました。「ねこ庭」の記憶では、小泉首相はブッシュ大統領を支援していたのではないでしょうか。

 一般的に皇族の方々は政治的主張を避けられ、意見を述べる時があると婉曲に語られます。だから戦争当事者の一方に味方する行動には、簡単に参加されません。

  ・もしかすると氏は、旧皇族の方々の中で異端児なのではないだろうか。

 今回も同じ印象になりますが、まだ氏に違和感はありません。次回は、鈴木邦男氏の経歴を紹介します。

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女性皇族の考え「理解を」- 12 ( 「楯の会」と「一水会」 )

2024-12-21 20:26:44 | 徒然の記

 今回は「一水会」を含めた、竹田氏に関する検討作業になります。

 「一水会」についてウィキペディアの説明を紹介しますが、ここから脇道に入り、しばらく氏と無関係な話になります。( やがて繋がりますので、辛抱できる方はおつき合いください。)

  ・昭和45年11月25日、陸上自衛隊市谷駐屯地の東部方面総監部で「楯の会」会員5人が起した「楯の会事件」で、自衛隊員にに蹶起を促し、

  ・痛烈に戦後日本を批判して自決した三島由紀夫・森田必勝 ( まさかつ ) 両者の行動を、「戦後体制打破」へ向けた果敢な行動と位置付け、

  ・「両烈士らの魂魄を継承する」ため、昭和47年5月30日、「一水会」が創設された。

  ・命名者は阿部勉 ( つとむ ) 。「月に一回、第一水曜日の勉強会」の意味だが、「世界は海洋を通じて一衣帯水である」という意味もある。

 日本中が大騒ぎした事件でしたが、「楯の会」と「一水会」がつながっていることをウィキペディアの説明で初めて知りました。

 阿部氏は「楯の会」と「一水会」をつなぐキーパーソンなので、経歴を省略せず紹介したいと思います。

  ・「一水会」は反共の立場から多くの団体が「親米路線」を取っていたことに対し、戦後日本を米国の従属体制に成り下がってしまったと規定し、

  ・戦前からの思想指導者の影響を受け、日本の完全なる独立を勝ち取る、として「対米自立」「日米安保破棄」「戦後体制打破」を掲げている。

 「一水会」の代表は木村三浩 ( みつひろ ) 、副代表は番家誠 ( ばんか まこと ) の両氏になっていますが、実際には阿部勉氏が中心だったようです。

 同会の政治的主張は、下記6項目です。

  1.  民族主義  2.  民族派          3.  YP ( ヤルタ・ポツダム )体制の打倒

  4.  対米自立  5.  反グローバリゼーション  6.  脱原発主義

 1. 2. は具体的な内容が不明ですが、3.4.5.は「ねこ庭」の意見と同じなので、主張だけを読みますと取り立てて「民族主義団体」と説明する必要を感じません。

 前回、頭の整理が必要と述べた理由は、「一水会」の主要会員の経歴を紹介することで分かって頂ける気がします。

 以下コメントなしで、各氏の経歴を紹介いたします。

 〈 阿部勉 ( つとむ ) 氏 〉

  ・昭和21年秋田県生まれ、平成11年死去 ( 53才 )   政治活動家、民族主義者

  ・三島由紀夫が結成した「楯の会」の1期生で、第5班班長。「一水会」結成参加メンバー

  ・昭和40年 4月、早稲田大学法学部 に入学、この年の暮頃から早大紛争が激化

  ・昭和41年 2月紛争収拾・学園正常化に向け、保守・民族派系の学生組織「日本学生同盟」(日学同)が結成

  ・この運動を全国の大学に拡大して行こうという機運の元、結成メンバーには、矢野潤、宮崎正弘、斉藤英俊、森田必勝、持丸博、山本之聞、伊藤好雄、大石晃嗣、宮沢徹甫などがいた

  ・「日学同」から誕生した「早大国防部」に阿部が入会し、早稲田町の「日学同」本部事務所に住みついた

  ・阿部は森田らと共に、三島由紀夫の引率する北海道の自衛隊北恵庭駐屯地での体験入隊に参加した。

  ・昭和43年に、阿部は三島由紀夫の「楯の会」の第一期のメンバーとなり、三島や持丸博らと「血盟状」をかわした。

  ・昭和45年、元早大の鈴木邦男と渋谷で偶然再会し、鈴木が一時的に阿部のアパートに居候した

  ・三島事件により「楯の会」解散の後、鈴木邦男、犬塚博英、伊藤邦典、田原康邦らと月1回集まっていた

  ・昭和47年に「一水会」(毎月第1水曜日に例会を持とうという意味で)を結成した(代表世話人は鈴木)

  ・阿部は雑誌『土やま心』の編集長を務め、昭和55年には「楯の会事件十周年記念号」を企画

  ・平成4年、「風の会」の野村秋介から、参院選出馬を要請されたが、これを固辞し裏方として活動

  ・翌年の野村の自殺後、追悼祭を「群青忌」と命名したのは阿部だった

  ・平成7年に結党された維新政党「新風」の、初代本部党紀委員長を務めた

  ・平成8年、友人と共同で高田馬場に古書店「閑人舎」開設した

  ・平成11年4月、インターネット右翼団体「鐵扇會」の後見人となる。同年10月膵臓癌のため死去

 氏を参議院選挙の候補者にしようとした野村秋介氏を、ご存知の方が少ないと思いますが、新右翼、民族派活動家として知られた人物です。

 東京に生まれ高校中退後愚連隊に入り、網走刑務所で服役中、5・15事件の三上卓の門下生青木哲と出会って民族主義者となり、自らも三上の弟子となったと言われています。

 野村秋介氏は朝日新聞の本社で、同社役員と会談中に拳銃自殺した人物として記憶されている方が多いのかもしれません。

 マスコミでは報道されませんでしたが、阿部氏の周りには右翼と呼ばれる人々が集まり、知る人ぞ知る活動家だったことは確かなようです。

 次回はそんな氏と共に「一水会」に関わった木村三浩、鈴木邦男、塩見孝也、沢口友美、雨宮香凜各氏の略歴を紹介します。

 なかなか竹田氏の話に繋がらないので、退屈された方はスルーしてください。

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女性皇族の考え「理解を」- 11 ( 竹田氏を通して見る旧皇族像 )

2024-12-20 18:02:35 | 徒然の記

 本日は予定を変更し、竹田氏のプロフィールから得た印象の変化を説明しようと思います。動画で時々見ていた竹田氏の印象というより、氏を通して見る旧皇族像への認識、というべきなのかもしれません。

 全てはウィキペディアが教えてくれた氏のプロフィールで、新しい事実を知ったことに端を発しています。

 「ねこ庭」の勝手な思い込みと言われれば、あるいはそうかもしれませんが、皇族の方々はご自分の考えを述べられる時、私たち庶民のように率直に話されないのだという理解をしています。

 自分の一言が世間に大きな影響を及ぼすことを知っておられるため、何事も控えめに、婉曲に、波風が立たないようにというご配慮が先に立つのだと考えています。

 本日で11回目になるシリーズの目的が、秋篠宮様の「ご発言」の真意を検討するため回を重ねているように、皇室の方々のご意見は時にもどかしいほどの節度があります。

 昭和天皇は記者会見で喜怒哀楽を表に出されず、ほとんど私事を語られず、公 ( おおやけ ) を優先されていました。「温故知新」の読書の知識もありますが、昭和天皇については、自分が拝見してきたテレビ映像の記憶が主となっております。

 皇室の方々の節度との対極にあるのが、竹田氏の姿です。氏は自分の動画で笑顔を見せ、意見と共に喜怒哀楽を視聴者へ伝えています。つまり、旧皇族らしからぬ姿の竹田氏です。

 「女性宮家」反対の意見に賛成しながら、氏の動画を時々しか見ない理由の一つがここにあったような気が致します。

  ・氏は喋りすぎているのではないだろうか。

 動画の内容の多くは、皇室を批判する人々への反論と反証が主だった気がしています。歴史と過去を否定する左系の人々への批判に賛成しながら、氏の動画をほとんど見なかったのも同じ理由だった気がします。

  ・氏の意見は、軽すぎるのではなかろうか。

 「男系相続の皇統を守る」ためには、「11宮家の皇籍復帰」をし、男系男子の安定を図ることであるとの意見にも、賛成しています。

  ・喋りすぎても、軽くても、言論の自由な日本だから、氏のような旧皇族の方がおられても良いのではなかろうか。

  ・率直に、自由奔放に意見を述べられる方がいるから、お姿の見えない旧皇族の方々が窺えるのではなかろうか。

 プロフィールを知るまではそのように考えていましたが、考えが変わりました。

  ・「11宮家の皇籍復帰」で、氏のような旧皇族の方が天皇になられる可能性が出てくるのだとしたら、日本は騒擾の国になってしまうのではないだろうか。

 「憲法改正」と「皇室護持」の二つを、「戦後レジームからの脱却 ( 米国の属国からの脱却 ) 」の最重要項目として「ねこ庭」は考えています。
 
 「戦後日本史の大河」を眺め、アメリカの「三段階の関与 ( 日本弱体化計画 )」に気づくのが保守人であるとも考えています。
 
 以前にも言いましたが「ねこ庭」は、韓国・北朝鮮や中国共産党政府のように、「恨みと憎しみ」からでなく、客観的事実を検討し意見を述べています。
 
 現実問題として考えれば、アメリカは最重要の同盟国であり、経済的にも深い関係にあります。感情的になり、アメリカとの断交を叫んだり、報復を主張したりしているのではありません。
 
 「アメリカの関与」は、アメリカの国益から導き出された同国政府の方針ですから、アメリカにとっては「正義」の実行です。
 
 「ねこ庭」が述べているのは、そろそろ「戦後レジームから脱却」し、日本の国益に立ち意見を言う国になってはどうなのかと言う提案です。国会で野党がするようにアメリカの方針に感情的な批判をせず、正論を述べながら独立を取り戻す方策を進めてはどうかと言っています。
 
 幸いなことに、「日本弱体化計画」を「対日方針」とする勢力は、民主党政権の中にいて、共和党には少数です。「アメリカファースト」を掲げているトランプ政権では、さらに少数になるはずです。
 
 理由は簡単です。「日本弱体化計画」を進めているのが、グローバル勢力だからです。トランプ大統領の敵は民主党内のグローバル勢力で、氏は「アメリカファースト」の旗を掲げて彼らと戦い、アメリカ国民とアメリカの豊かさを取り戻そうとしています。
 
 「戦後レジームからの脱却」の旗を掲げた安倍元首相とトランプ氏は、グローバル勢力との戦いで意見が一致したのではないかと「ねこ庭」は推測しています。
 
 グローバル勢力に支配されたバイデン政権によって暗殺された安倍氏を、トランプ氏が今も忘れていないと言う強いメッセージが次の二つではないでしょうか。
 
  ・外務省が打診してきても、反安倍の石破首相には就任前に会わない。 
 
  ・安倍昭恵氏はトランプ氏が自ら招待し、夫人と共に私邸で食事をする。
 
 話が竹田氏を離れてしまったと思われるかもしれませんが、そうではありません。
 
 「女性宮家」反対論を述べる氏は、自らを日本を正しい姿にするために活動をしている保守と言い、動画の視聴者もそれを信じています。しかし氏は、日本を正しい姿にするための「戦後レジームからの脱却」と、アメリカの「三段階の関与 ( 日本弱体化計画 )」について、何も語りません。
 
  ・もしかすると氏は、旧皇族の方々の中で異端児なのではないだろうか。
 
 そうでないとしたら、ここまで自由奔放に活躍している氏に賛同し、活動を始める旧皇族の方が出て来ても不思議ではないはずです。どなたの顔も見えないところからして、「ねこ庭」はそのように考えます。
 
 スペースがなくなりましたので、「一水会」を含め氏に関する検討作業は次回に続きます。申し訳ありません。
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女性皇族の考え「理解を」- 10 ( 竹田氏のプロフィール )

2024-12-19 21:32:27 | 徒然の記

 竹田氏は、読者登録数8万人の「竹田恒泰チャンネル 2 」の動画を持っており、時々見ていますから全く未知の人物ではありません。

 主としてウィキペディアの情報で調べていますが、学徒として検討するのは初めてなので、新しい発見が沢山あります。

  〈 竹田氏のプロフィール 〉

   ・昭和50年東京都生まれ、49才

   ・評論家、作家、実業家、皇学館大学非常勤講師

   ・株式会社エクスチェンジャーズ、株式会社前方後円墳代表取締役、「令和書籍」社長。

   ・利尻昆布ラーメン「くろおび」オーナー ( 東京都内に2店舗 ? )

 代表取締役社長と社長、オーナーの区別がよく分かりませんが、ユーチューバーとして忙しいだけでなく、氏は多彩な活動をしています。ラーメン店まで経営していました。

   ・旧皇族の竹田家(旧竹田宮家家)出身

   ・竹田宮恒久王と昌子内親王の曾孫であり、男系では北朝第3代崇光天皇の19世、竹田宮恒徳王3世。

   ・女系では明治天皇の玄孫 ( やしゃご ) で、今生天皇(徳仁)の三従兄弟にあたる。

 氏が旧皇族であることが分かりますが、皇族の複雑な系図を記憶していないため頭の中で繋がりません。

   ・日本オリンピック委員会 ( JOC ) 前会長の竹田恒和の子。

   ・松濤幼稚園、慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高校を経て、エスカレーター式で慶應大学法学部で環境学を専攻して卒業する。

 安倍内閣の時、当時会長だった竹田氏が東京オリンピックを誘致した時、巨額の賄賂を使ったと新聞で騒がれました。そのせいもあるのか、ウィキペディアの説明もなんとなくぞんざいです。

 「竹田恒和の子」と書き、「エスカレーター式で」とまるで学力がなくても卒業できると言わんばかりの説明です。普通なら経歴の説明に、このような余計なことを書きません。

   ・イラク戦争前の2003年(平成15年)1月、一水会代表の木村三浩らと共に「ブッシュ政権のイラクを止めさせる緊急アピール」発起人となり

   ・同会のイラク訪問団(団長・木村三浩)に、鈴木邦男、塩見孝也、平野悠、PANTA、沢口友美、雨宮処凛、大川豊らと共に参加した

 一水会については民族主義団体と聞いたことがありますが、活動の内容もメンバーの名前も知りません。今の日本では「ねこ庭」のブログも左翼系の人から「右翼」と呼ばれますから、民族主義という名前がつけば「極右」と言われてもおかしくない気が致します。

 そのような団体と関係しているとは、氏は予想していた以上に活動範囲の広い人物でした。ウィキペディアは紹介していませんが、正しい日本の歴史を教えるため「竹田学校」を動画で開設し、校長も務めています。

 旧皇族の方々の情報が全くない中で、竹田氏の目覚ましい活躍ぶりに、というより破天荒な行動に学徒はついて行けなくなりそうです。

 北海道神宮にとっては明治天皇の玄孫だけで十分なのに、全国発信の動画で「皇室護持」を熱く語るのですから、ホームページでのお手伝いは積極的な協力ではないのでしょうか。

 ということで、今回の検討結果も「ねこ庭」の推測ということになりますが、訪問された方々はどのように考えられるでしょうか。

 次回は予定外になりますが、竹田氏について「ねこ庭」の率直な印象を語ろうと思います。破天荒な行動に学徒はついて行けなくなりそうですと、述べた後、一水会について調べ、さらにその感を深めました。

 過激な思想と行動をする一水会メンバーの複雑な言動を、たった今ネットで調べました。右でもなく、左でもなく、かといって右でもあり左でもありという、一水会のリーダーたちの姿を知り、複雑な思いをしています。

 そういう人々と、旧皇族の竹田氏が協力している事実をなんと理解すれば良いのか。一度頭の中の整理をしてみたくなりました。

 「現在皇室におられる方々のお名前と人数」と「現在残っている宮家のお名前と人数」についてのご報告は、その後にいたします。ご容赦ください

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