-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

雪が積もっていました。

2013-11-17 21:02:28 | 近況報告

 平成25年11月17日(日)、天気予報では快晴でしたので、期待して畑沢へ出かけましたが、濃霧が一向に消えないないままでした。村山市を過ぎて尾花沢市内に入った途端に、白いものが視野に入ってきました。畑沢はさぞかし一面に積もっていることを想像しましたが、地面が見えました。でも一昨日までは、一面が真っ白で30cmほど積もっていたそうです。除雪車が出動した形跡が残っています。その後、すこし融けたようです。

 雪は積もっても、まだまだ紅葉は残っています。根雪になるのはまだかと思います。いや、思いたいです。

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畑沢老人クラブの芋煮会に参加しました。

2013-11-16 17:05:26 | 行事

 今年、私たち4人の幹事は畑沢出身者の同窓会を計画しましたが、残念ながら中止となりました。それを見ていた老人クラブが、温かく同クラブの芋煮会へ誘ってくださいました。当初は11月の初めに計画されていたようですが、今年の異常気象で同クラブで栽培していたナメコが出てこなかったために、少し遅くなったそうです。開催日の前日に突然、「明日開催からどうだ」との電話をもらいました。私は一瞬、戸惑いましたが、特段、何も予定がありませんでしたので、参加させていただくことになりました。

 9日の午前11時から開催され、集まった方は13人でした。老人クラブに全員が入っている訳ではありませんでした。殆どのお宅の方が70から80歳代ですので、もっと多くの方が該当するのですが、「まだ老人ではない」との御自覚でしょうか。そうであれば、なかなか元気なことです。

 会場は、畑沢生涯学習推進センター(旧 畑沢分校跡)です。私は還暦が過ぎたとはいっても、他の出席者は大大先輩です。お陰様で、畑沢の昔に関することを色々と話してくださいました。

 スズラ貝を食べて美味かった話

 今でも沢蟹が生息しているとの情報

 カラスザッコ(カラスドジョウのこと)がいた昔の話

 大平山(ホウズヤマ)の呼び名が三つある話

 背炙り峠を越えて行くことを昔は「上郷へ行く」と言っていた話

 どの話も、初めて聞きました。

 

 ところで、センターの外は紅葉が美しく、センターの周囲も写真のようにあざやかです。

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大平山(ホウザヤマ)登山(8)…一面がブナ林  そして別れ

2013-11-15 16:36:01 | 近況報告

 頂上での時刻は、既に午後3時半でした。11月におけるこの時間の太陽は、ぐっと高度を落としていて、もう夕方に近い雰囲気です。普通ならば、1時間とちょっとで登り切るべきところを2倍ほどの時間を費やしていました。私の目論見違いというか、適当すぎる人間性に原因があります。いまさら、どのように反省してもしょうがありません。下りはひたすら降りることを心がけるだけです。

 それでも、下る前に早くも目を奪われたものがあります。ブナ林です。大平山は、畑沢からの方向によって三つの呼び方をされています。私が登ってきた西の斜面はマジヤマ(真木山)、その南側はカツラパ(漢字は不明。)と言われています。そして、全く逆に北を向いている斜面がホウザヤマ(寶沢山)です。畑沢では、普通はこのホウザヤマが通用しています。一つの山が三つもの名前を持っているのは、他では聞いたことがありません。山頂にはこのホウザヤマの斜面が大きく続いています。そのホウザヤマの斜面を見下ろすと、何と一面がブナ(橅)林です。「一面がブナ林」などというのは、普通、高い山に行かないと見られないのですがここでは、標高が800m程度で見られます。ブナ林は、いわゆる雑木林と言われる林と比べて、樹木と樹木の間がすっきりとしていて、なかなか、見栄えがします。ただ、このブナ林は原生林ではありません。恐らく、最後の伐採から百年程度しかたっていないと思われ、まだ、太くなっていません。

 

 ブナ林を眺めた後は、ただひたすら転げるように下山しました。登りが藪こぎならば、やはり下りも藪こぎです。登りで着々と蓄えた位置エネルギーを放出するだけですから、体力的には下りはかなり楽です。それでも、下りでは別の問題がありました。低木の幹が容赦なく私の脛(すね)を打ち付けます。後で脛を眺めたら、傷だらけでした。おまけに血だらけでした。

 それでも何とか車がある場所まで、ぎりぎりで明るいうちに到着しました。時計を見ると、4時半です。1時間で降りたようです。いつも山登りをするときは、懐中電灯を持って行くのですが、大平山には不要だと思っていました。危ないところでした。下山完了後に直ぐに暗くなりました。車のヘッドライトを点けて、暫し大平山と別れます。一度目の登山は1974年、二度目が約40年後の2013年、三度目の登山は、何十年後でしょうか。

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大平山(ホウザヤマ)登山(7)…頂上には神様が

2013-11-13 17:36:24 | 近況報告

 予期しない苦労でしたが、ようやく山頂に着きました。直ぐに着くはずが、既に登り始めてから2時間半が過ぎていました。途中の道草が大きく禍しています。道草は、私の小学校時代からの癖です。人生でも道草が多くありました。

 山頂には小さな石の祠がありました。ここだけの話ですが、祠の中を見てしまいました。いつもの私にはない行動パターンです。魔が差したのでしょう。中には「天照皇大神宮」のお札がありました。畑沢で祀ったとは思えません。細野で祀ったものでしょう。細野には神官がいますし、細野は毎年、大平山登山をしています。大平山は、細野地区のシンボルです。祠の直ぐ脇には、三角点もありました。この祠までの登り道は、細野地区の方々が刈り払いをしていました。今年も6月2日に地区全体で登ったようです。

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大平山(ホウザヤマ)登山(6)…烏帽子岩到着

2013-11-12 19:45:21 | 近況報告

 樹木の伐採用に作られた「道」が終わりました。出発点から上を見上げた時は、道の直ぐ上に頂上があるように見えました。でも、これからは全く道がありません。何となく獣道らしきところの藪を掻き分けて進みます。種々の草木が実を付けていました。中でも、ムラサキシノブ(紫式部)の紫色が鮮やかでした。庭の紫式部とは格段の差があります。

 チゴユリも実を付け、葉は枯れています。

今、振り返って考えますと、ここまでが秋空での天国気分でした。

 藪を掻き分けながら直登したのですが、下から見て頂上と思った場所の上の方にまだまだ「山」が続いています。頂上らしく見えたのは、単なる一つの尾根だったようです。尾根の藪は続いています。やがて、大きな家ほどの岩が現れました。まだ見覚えがありました。約40年前に雪上に頭を出していた変わった形の大岩でした。その時の記念写真もあります。

 名前は「烏帽子岩」。昔の武士が頭に被った「烏帽子」に似ています。40年前と比べて、周囲の樹木が岩を覆い隠すように成長しています。反対側に出ようと岩の左側を潜ったその時、強烈な頭への一撃がありました。「こら、40年も無沙汰していたな。スビタレ」と叱られたのか、「よく忘れずに来てくれたな」と褒められたのかは分かりません。岩の尖った部分が、脳天を叩いていました。暫くの間は動けない状態でした。岩は、とても硬い流紋岩です。

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