-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

大平山(ホウザヤマ)登山(5)

2013-11-11 12:00:00 | 近況報告

 一生懸命に頂上を目指さなければならない忙しいはずの我が身に、今度は獣が立ちはだかりました。

 下を見ながらひたすら登っていると、前方で「ドサッドサッ」と音がしました。顔を上げると、黒い塊が走っていきます。「とうとう来たか。熊が」と思わず両の平手でパンパンと音をたてました。音をたてて、熊を脅しているつもりですが、何の意味もありません。ただ、気が動転していただけです。スビタレらしい反応と思いませんか。よく見ると、熊ではなくてカモシカでした。しかし、丸々としていて熊のようでもあります。カモシカも「食欲の秋」でしょう。これからもっと食べて、冬越しの準備です。

 カモシカは、最初はバッと逃げて、しばらくすると立ち止まりますので、そうっと逃げた方に進むと、いました。じっと私の方を見つめています。しかも殆ど動きません。カメラを向けて、連射モードで撮ります。何度も取れます。しかし、動きませんので、次第に飽きてしまいました。カモシカはモーともメーとも鳴きません。それでも、20枚ほどは撮れたようです。大分、時間を費やしてしまいました。これも、後で祟ることになります。


畑沢の紅葉(最新版)

2013-11-10 10:00:00 | 近況報告

 平成25年11月9日(土)に畑沢に行きました。ほぼ一週間前にも紅葉が盛りだと投稿しましたが、今回はさらに美しかったので、大平山登山(5)をお休みして、秋の最高の景色をお届けします。葉が落ちて枯れた木のように見えるのは、朴の木だと思います。枝が直線的です。葉は大きくて重いので、他の木よりも早く落葉するようです。大木に美しい黄色の葉を付けている木は、イタヤカエデかと思います。畑沢生涯学習推進センター(旧分校の跡)の向かい側の山です。


大平山(ホウザヤマ)登山(4)

2013-11-09 15:11:54 | 近況報告

 景色をゆっくり堪能しながらの余裕綽々の登山です。今度は景色だけでなく、地面にも気を取られてしまいました。岩石のことは殆ど知らないくせに、石仏をほんの少々齧ってしまいましたので、興味だけは人一倍持ってしまいました。地肌がむき出しになった地面には、岩石も転がっています。山の中腹あたりで、その場所では見かけない岩石を見てしまいました。

 大平山を地質図で見ますと、下部が凝灰岩(火山灰が積もって固まった岩石)で、上部が流紋岩(マグマが地表付近で固まった岩石)となっています。どちらも畑沢の石仏に使われています。特に流紋岩は、立石山と大平山だけにあり、上畑沢の延命地蔵に使われた極めて硬い岩石です。この山の特徴を示すものです。

 ところが、この流紋岩ではない岩石が転がっていました。一つは、頁岩(硬質)です。大昔には石器にも使われたものです。

 

 次は、砂岩状の岩石です。凝灰岩との区別は素人の私には難しいのですが、畑沢の石仏で使われている凝灰岩とは明らかに異なります。

 最後の岩石は、さらに分かりにくいものです。一見、花崗岩(御影石)のようにも見えますが、花崗岩よりも結晶が小さいようにも見えます。

 畑沢の隣接している細野地区の地質図には、頁岩、砂岩の印がありますので、境界に近いこの辺りには様々に混じっているのかもしれません。実際は地質図のとおり、スパッと地質が明確に区分されていません。

 素人の岩石学はこれで幕を閉じます。


大平山(ホウザヤマ)登山(3)

2013-11-08 14:38:20 | 近況報告

 登るにつれて、展望が開けてきました。北西方向には、立石山越しに鳥海山が小さく見えます。

 南西側は村山市の方向です。遠くに葉山が屏風のように横に広がっています。その手前には、背炙り峠がある市境の尾根が大きくしかも紅葉で美しく見えます。背炙り峠古道の乳母木地蔵は、矢印の所です。その右側に杉が3本立っています。この杉は、他の周囲の杉と異なり、先端が丸みを帯びていますので、遠くからも区別できます。逆に左側が、「峠を守る楯」の跡が広がっている尾根です。樹木で隠されています。


大平山(ホウザヤマ)登山(2)

2013-11-07 15:24:22 | 近況報告

 お腹には、十分におにぎりと即席味噌ラーメンが入っています。さて、登りますか。

 大平山へ登るには幾つかのコースが考えられますが、無積雪期に登ったことがありません。大平山の頂上から伸びる尾根は、蛸の足のように四方八方に幾筋もあります。私には全く見当をつけることができません。40年前に登ったの時は積雪期でしかも春初めの堅雪(かたゆき)の時期でしたので、見える場所すべてが「登山道」でした。国土地理院の地図を見ても、インターネットのgooなどの地図でも、畑沢から大平山へ登る道は見つけることができませんでした。唯一、細野からの道が途中まで示されています。

 それでも、大平山の西の斜面には、何年か前に樹木を伐採したときの道らしきものが見えます。山肌の樹木は皆伐され、さらに熊の爪で強く横に引き裂かれたような筋が何本もあります。何ともこれも痛々しい光景ですが、私は単純に、「少なくとも、道らしいところは歩けるはず。しかも頂上近くまであるではないか」と判断してしまいました。実は、そこにも誤算があったのですが、後で苦労することになりました。確かに、道らしいのは「道」でした。樹木を伐採する時、さらに伐採した樹木を運搬する時のための道のようでした。この辺りの樹木を見ると、大体が株立ちをしていましたので、昔から薪や炭焼き用に伐採されていたことが分かります。それでも、昔は橇(そり)を主体にした人力だけで運搬していましたので、山肌を傷つけることがありませんでした。

 しかし、今は重機で比較的、簡単に「道」を作るようになってしまいました。その「道」を私が歩いているのですから、胸が痛みます。「道」はキャタピラーで通行する極めてラフな作り方です。傷口が疼いているようです。