今週の日曜日のことだ。
孫に会いに行ったら、子どもたち(1歳~6歳)5,6人が群れて遊んでいるのだ。
思わず、
「えっ
こんな世界があったの?」
しばし、言葉を失った。
突然、タイムスリップして私が子どもだった頃(ほぼ半世紀前)を思い出した。
ゴロベーという野球をして遊んだことを。
近所の子どもたちが数人集まって、見通しのいい道路を使ってゴムまりを転がして、それを打つ簡単な野球である。
もちろん、ベースは2塁までしかない。
いわゆる三角ベース。
年は、おみそと呼ばれる入学前の子どもから、小学校4,5年生までいろいろ。
入学前の子どもも遊べるよう、ゴロでピッチャーがゴムまりを投げる。
おみそというのは、ピッチャーの投げるボールが入学前の子どもでも打てるよう、ゆっくり投げるためのハンディキャップ。
こうすれば、年齢・性別に関係なく、みんなが遊べる。
道路は、舗装されているがほとんど車は通らない。
まさに、「人生の楽園」であった。
それと、ほとんど同じ世界が目の前にあるではないか。
やっていることは、ちょっと違う。
縄跳びをしている。
でも、子どもたちが群れて遊んでいることは同じ。
そして、上の子が下の子のめんどうを見ていることも同じ。
1歳になる孫娘も、2~3歳になる近所のお姉ちゃんに手を引かれて一緒に遊んでいる。
年齢の幅が広いことも同じ。
車が来ないことも同じ。
大人が周りにいないことも同じ。
子どもたちだけの世界である。
ほんとにカルチャーショックだった。
最近、こんな光景を見たことがなかったからだ。
どうして、ここにこんな世界があるのかあまりにもびっくりして、そのときはいろいろ考えることも及ばなかった。
しかし、時間をおいて考えてみると、私が子どもだった頃といくつかの共通点があることに気づいた。
・道路が袋小路で、車があまり入ってこない
(私が子どもの頃は、車の数が少なかった)
・大人がいなくても、すぐ子どもたちの様子が分かる
(家の中にいても、中からすぐ外の子どもたちの様子が見られる)
・大人は、庭仕事をしていてそれとなく子どもを見ている
(私が子どもの頃は時々、大人が通る)
・子どもたちだけの時間と空間がある
(ルールは、年長の世話好きな子どもがする)
・世話をやく子も楽しんでいるし、お世話になる子も楽しんでいる
・大人が、ほとんど子どもたちの遊びに干渉していない
・子どもたちは、家のすぐ近くで遊んでいる
(何かあれば、すぐ大人が出てきてくれる)
条件さえ整えば、今の子どもも集団の中で、すくすくと育つことができる。
年齢の差、性別の差を超えて、楽しむことができるのだ。
印象的だったのは、その様子をニコニコしながら見ている義母の満足そうな顔。
そして、孫娘をお世話している近所のお姉ちゃんの嬉しそうな顔。
そのお姉ちゃんにお世話になっている孫娘の満面の笑み。
これを、「人生の楽園」と言わずして何というのだろう?
人生の楽園は、そんなに遠くにあるものではない。
すぐ、近くにある。
ただ、条件がないだけなのではないだろうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_thank.gif)
我が家のリフォームから出発したこのブログ。
ライフスタイルまで考えるようになった。
このブログを書いていてありがたいのは、みなさんが読んでくれて、コメントをしてくれたり、リンクを張ってくれたりすることだ。
リンクを張ったところへ、読みに行くことで私の知らない、新たな世界がそこにまた現れる。
読者のみなさん、ありがとうございます![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_en2.gif)
孫に会いに行ったら、子どもたち(1歳~6歳)5,6人が群れて遊んでいるのだ。
思わず、
「えっ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/eq_2.gif)
しばし、言葉を失った。
突然、タイムスリップして私が子どもだった頃(ほぼ半世紀前)を思い出した。
ゴロベーという野球をして遊んだことを。
近所の子どもたちが数人集まって、見通しのいい道路を使ってゴムまりを転がして、それを打つ簡単な野球である。
もちろん、ベースは2塁までしかない。
いわゆる三角ベース。
年は、おみそと呼ばれる入学前の子どもから、小学校4,5年生までいろいろ。
入学前の子どもも遊べるよう、ゴロでピッチャーがゴムまりを投げる。
おみそというのは、ピッチャーの投げるボールが入学前の子どもでも打てるよう、ゆっくり投げるためのハンディキャップ。
こうすれば、年齢・性別に関係なく、みんなが遊べる。
道路は、舗装されているがほとんど車は通らない。
まさに、「人生の楽園」であった。
それと、ほとんど同じ世界が目の前にあるではないか。
やっていることは、ちょっと違う。
縄跳びをしている。
でも、子どもたちが群れて遊んでいることは同じ。
そして、上の子が下の子のめんどうを見ていることも同じ。
1歳になる孫娘も、2~3歳になる近所のお姉ちゃんに手を引かれて一緒に遊んでいる。
年齢の幅が広いことも同じ。
車が来ないことも同じ。
大人が周りにいないことも同じ。
子どもたちだけの世界である。
ほんとにカルチャーショックだった。
最近、こんな光景を見たことがなかったからだ。
どうして、ここにこんな世界があるのかあまりにもびっくりして、そのときはいろいろ考えることも及ばなかった。
しかし、時間をおいて考えてみると、私が子どもだった頃といくつかの共通点があることに気づいた。
・道路が袋小路で、車があまり入ってこない
(私が子どもの頃は、車の数が少なかった)
・大人がいなくても、すぐ子どもたちの様子が分かる
(家の中にいても、中からすぐ外の子どもたちの様子が見られる)
・大人は、庭仕事をしていてそれとなく子どもを見ている
(私が子どもの頃は時々、大人が通る)
・子どもたちだけの時間と空間がある
(ルールは、年長の世話好きな子どもがする)
・世話をやく子も楽しんでいるし、お世話になる子も楽しんでいる
・大人が、ほとんど子どもたちの遊びに干渉していない
・子どもたちは、家のすぐ近くで遊んでいる
(何かあれば、すぐ大人が出てきてくれる)
条件さえ整えば、今の子どもも集団の中で、すくすくと育つことができる。
年齢の差、性別の差を超えて、楽しむことができるのだ。
印象的だったのは、その様子をニコニコしながら見ている義母の満足そうな顔。
そして、孫娘をお世話している近所のお姉ちゃんの嬉しそうな顔。
そのお姉ちゃんにお世話になっている孫娘の満面の笑み。
これを、「人生の楽園」と言わずして何というのだろう?
人生の楽園は、そんなに遠くにあるものではない。
すぐ、近くにある。
ただ、条件がないだけなのではないだろうか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_thank.gif)
我が家のリフォームから出発したこのブログ。
ライフスタイルまで考えるようになった。
このブログを書いていてありがたいのは、みなさんが読んでくれて、コメントをしてくれたり、リンクを張ってくれたりすることだ。
リンクを張ったところへ、読みに行くことで私の知らない、新たな世界がそこにまた現れる。
読者のみなさん、ありがとうございます
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_en2.gif)