山霞む
雨に佇む
伊勢神宮
やまかすむ ya ma ka su mu
あめにたたずむ a me ni ta ta zu mu
いせじんぐう i se ji n gu u
伊勢神宮に参拝するのは、今回で3回目になる。
3回も参拝しながら、これまで参拝の意味を深く考えたことがなかった。
江戸時代、お伊勢参りとして、庶民が何十万人も一時期に伊勢神宮を参拝したことが何回か繰り返された。
中には抜け参りとして、参拝したこともあったようだ。
これには、各藩も許可を出さざるを得なかったようだ。
お伊勢参りという大義名分なら許されたようだ。
この時代、東海道など陸路が整備され、手形さえあれば関所は通行できたようである。
であれば、なぜ各藩がお伊勢参りに「手形」今で言うパスポートを出したかである。
それは、伊勢神宮が古くから武士に尊崇されていたからである。
ということを、今回初めて知ったのである。
伊勢神宮は、古くから京都在住の天皇が使いを出して神々に、捧げ物をして祈って来た。
伊勢神宮は京都から見て東にある。
つまり、太陽信仰と深く結びついていると個人的には考えている。
その天皇が祈りを捧げてきた伊勢神宮に対して、鎌倉、室町時代の武士も尊崇の念があったようである。
もちろん、江戸時代の武士も。
だから、庶民がお伊勢参りをすることに対しては、否定できなかったのだ。
しかも、天皇は個人的に自分の願い事を伊勢の神々に祈るわけではない。
この国の平安や安寧、発展を祈って神饌を神に差し上げ、祈るである。
そのことに今回の伊勢参りで気づき、江戸時代にお伊勢参りをした庶民に深い敬愛の念を抱いたのである。
つまり、江戸時代のお伊勢参りをした庶民は、恐れ多くも天皇に任せることなく、自ら伊勢の神々に祈りを捧げるために伊勢に来た。
自ら。
もちろん、自分自身の願い事もあったであろうが、家族や友人知人の願いを同時に祈るよう依頼されたようである。
だから、伊勢参りは「講」として輪番で出かけた地域がけっこうあったようである。
グループを作り、旅費を積み立て、くじで当たった人が行けるようであった。
残念ながら、この講は明治政府によって禁止されてしまった。
伊勢参りは、物見遊山の側面もあったようであるが、当時の先進的な西日本の新種の稲を、東国に持ち帰って生産性を高めるなど、技術流布の側面もあったようである。
昔から、「可愛い子には旅をさせよ」ということを、江戸時代の庶民は実践してきたのである。
もちろん、今で言うガス抜きという側面もあったであろう。
ひどい藩主に耐えられず、伊勢参りに出かけようということもあっただろう。
いつの時代も変わらない側面がある。
しかし、講を作って伊勢参りを輪番で行うというのは賢いと思った。
ガス抜き以上の成果がたくさんあったに違いない。
山霞む
雨に佇む
伊勢神宮
の句は、江戸時代の庶民の伊勢参りの気持ちになり、はるか昔からのこの国のありようを続けている雨の伊勢神宮に立ち、出来た句である。
あなたも、和の国にいらして、この国の江戸時代の庶民の気持ちに寄り添ってみませんか?