「死体と遊ぶ子供たち」と言うのが唐沢商会の解体新書の中にあった。この中で色々死体の話があったのだが、死臭の話が少なかったし、疫病の問題が無かった。
この戦場では死体が量産されると言う問題が、実は今の時代良く分かっていない。多分渡辺陽一も咽返る様な死臭を体験した事は無いだろう。それは中東の死体は臭いには臭いが、それでも乾燥しているので、さほどではない。
この本の中での死臭は、腐敗臭ではない。この死体の匂いは南京大虐殺が起きたとしたら1年は消えない。それ以前に該当地域で大規模な感染症が蔓延した筈である。
東南アジアでの対中国の戦争が起きると考えた時に、私は死体の事を考えた。
長崎は原爆を受けて酷い目に遭ったとあるが、それは一つの事実である。だが数万の死体が銃殺された場合の死に方と焼け死んだ場合の死に方では、死臭の残り方、また、疫病の残り方としては比較にならない。
「焼け死んだのが幸せと言うのか?」と馬鹿アカがほざくだろう。だが「処理の方法の無い状態での大量死」の無残さと悲惨さを知らないのだろう。東北大震災でも相当死んだのだが、発生地域が広いので、南京大虐殺が本当にあったら、相等に悲惨である。だが、そうでは無さそうなので、立派な嘘なのだろう。
思えば焼夷弾による大量虐殺は日本にやられたのが最初であろう。この焼夷弾を使ったのは「日本は気と紙で作られた建物に住んでいるからだ!」と馬鹿はほざくのだろう。だが「いっその事火葬してやろう」と言う酷い論法ながら、何も日本の為と言うより、占領をする国を疫病で汚さないという都合の為にやったと私は見ている。
それは散々死体の山が腐っている現場を見てきたら、当然考える事である。核爆弾も火力が強いと言う事を先に考えたもので、米国流に言うと「清潔に処分する」と言う非人間的考えによる。だが、それでも一番最初に被害を調査したのは、何処よりも広島長崎だった。
思えば近年戦争は砂漠で行われている。その結果、戦争の火力ばかりが声高に言われているが、実は、死体を処理できないで発生する問題が無視されない。それが戦争のある場所だけでの問題とならない事となる。
アフリカのルワンダ内戦では、大量に殺された死体が川に乗って、周辺国に大量に流れ着いた。実はこの時に疫病も広まっている。
日本も戦争中で物資が無いのにも関わらず、戦死した民間人を火葬した。それは二次被害を消す為である。土に埋めたぐらいでは、この問題は解決しない。
だが、来るべき東南アジア大戦では、そんな事が出来るだろうか?もっと問題となるのは、戦争が想定される部分が、鳥の飛来地に重なる点である。
よく感染症を止める為に検疫をするのだが、それは人間ベースの問題であって、多くの国際的感染症の立役者は飛来する鳥である。だからペストが発生する場所はネズミが行けそうも無い所にまで発生するのである。
その鳥による感染で爆発的に発生したのは、1990年代にアメリカで流行した西ナイルウイルスである。当然馬鹿文科系大学出は知らない。
鳥インフルエンザの感染が時折報道されるが、それは鳥インフルエンザで止まっている。だが人の死体が発生し放置されると病原菌が大量に発生し、それを発症しないまでも、鳥が伝播させる可能性がある。何よりインフルエンザの流行は、この鳥に依って行われた。
第一次世界大戦を終わらせたのはインフルエンザと言われているが、そのインフルエンザの感染は死体が増加した事と全く無関係では無いだろう。
人々は、実感を持たないと実に深刻な問題を無視し続ける。中国に目先の小利口で進出した経団連と同じである。無視すると、マスゴミお得意の「思いがけない」問題が発生するのだ。
だが馬鹿は実際に発生するまで「利口利口」を吹聴して何も聞かない。馬鹿ゆえの利口であり、慶応の利口であろう。
だから南京大虐殺を「虐殺虐殺!」と騒ぐのも、虐殺に伴う問題を取り上げていないところを見るとチョングソの慰安婦問題と同じで「虐殺」や「慰安婦」の文字が、字の形で取り上げられており、それに伴う人としての実感としての訴える点が無いのである。
まぁ南京大虐殺を厚顔無恥で吹聴する事が控えられる中国の大量死体量産の戦争が始まる事だろう。それで少しは分かるだろう。人が大量に死ぬと腐って感染症が広がり、相当に面倒になると。
そして数が多いから周囲は中国を慮って戦いを挑まないと言うのが根底から馬鹿の妄想であると言う事を。
一旦闘えばわかるはずだ。高圧的で尊大な屁みたいな野蛮人の集まりで軍とは到底呼べないと。