ルネサス問題を馬鹿文科系大学出の馬鹿が馬鹿面をしてほざいている。だが、この糞馬鹿に資金投入とか色々「馬鹿でも分かる文字」で吹聴しているが、では、資金投入してどうなのか?という見通しは無い。
大体、技術は日本と言う空虚な馬鹿の馬鹿セリフばかりをマスゴミと、それを見て自分だけは利口だと思い込んでいる馬鹿文科系大学出は分かっていない。
これはトランジスタ技術を見ていると、当然分かる問題である。トランジスタ技術をマスゴミの馬鹿が読むわけも無いし分かるわけも無い。究極の糞馬鹿の集まりだからな。
トランジスタ技術は記事ばかりではなく広告も読み物の一つである。その中で新型アナログICは大体ナショナルセミコンダクターばっかりが載せている。バーブラウンも載せていたのだが、アナログの新型となると、日本の半導体メーカーが出す事が殆どなくなっている。
大体、こうなるまでの流れを見ていると、本当に隔世の感がある。
元々長崎県の諫早市のソニーの半導体工場だった所は、元々アメリカのフェアチャイルドの半導体工場だった。これが1970年代に建設された。その後を引き継いだのがソニーだったが、例の如く馬鹿が偉そうにふんぞり返る体制で、あっと言う間に左前となった。特にPS3の生産の時には、メインの半導体は東芝に作ってもらっていたと言う有様で、馬鹿か?と言われていた。
1980年代、日米半導体交渉の頃に、アメリカの半導体は、もう無理だと言われていたのだが、その後、ダメだと言われていたアメリカはFPGAなどの新型半導体やMicroChipなどのSOCなどを含めてアナログICもナショナルセミコンダクターのみが新品種を出している。
今手に入る半導体を見ているとJRC(日本無線)のオペアンプのLM2902とかNECのLM3409だとかしかない。だが、これってオリジナルは半世紀前に出来た奴だ。
そんな感じで見ると、チョングソの半導体も市場で見た事無いし、中国のそれ、ああ、MicroChipの奴は中国製か…。
しかしアメリカの半導体も総じて成功と言うわけじゃなくて、一時期ブイブイ言わせていたMicroChipもアトメルも、発展型の18Fシリーズやメガシリーズは、さほど受けていない。
大体技術の発展とはそういうもので順当にスペックアップして成功していたインテルの流れは、そうそう無い様である。そのインテルもARMに押されるかもしれないと言われている。またCPUの代わりにGPUを使うと言う動きもある(日経Linuxで連載があった。言われて見れば確かに、その通りである。)
今、アメリカでは3D半導体と言うものが開発されているらしい。また光を使った半導体が作られているようで、また、ノーベル賞を受賞した関係の量子コンピューターが、どうもアメリカ主導っぽいようである。だが、分子コンピューターとかもあるし、高速度低電荷半導体を使った次世代半導体とかもある。
だが今の日本の半導体産業が主体性を持って何かが出来るとは到底思えない。
先ず持って思い知らせるのは、企業と言うものが合理性や論理性や客観性を必ずしも持っている訳ではないと言う事であろう。
そこで立命館の糞馬鹿準教授の「ネオ開発王国・イギリス」の話となる。イギリスよりもアメリカの方が、産官学の共同プロジェクトと言うのがあるのだが、慶応の竹中平蔵の糞馬鹿寝言に経団連の馬鹿が酔ったのだろうが、元々、企業も内部にいた人は極めて真面目だったのである。だから大学から教えを受けてと言う態度を崩していはいなかった。それをキャノンのお手洗いみたいなクズ野郎が勘違いしたのである。
その一方で、文部省が「大学の業績をショーケースに飾って誇る」と言う馬鹿方針を1990年代まで続けた為に、素地が無い中、いきなりTLOを馬鹿みたいに夢を見て「濡れ手に粟のパテント帝国」の「痴人の夢」を見たのである。
それは同床異夢の最たるもので、摺りあわせと言うものを全く考えない「大学と連携して、あっと言う間に技術立国確立」こそ馬鹿の馬鹿面した糞馬鹿立命館の寝言であろう。
この産官学の共同と言う奴は、東大が一番上手く行っているが、その一方で、旧帝大系で上手く行ったのが、ドクター西澤のいた東北大学だった。
だがナカナカ、このドクター西澤の様な人は生まれていない。と言うより、例えばパテント帝国である筈の日立の有能な博士を日立は自分の組織の論理で叩きだしてしまったと言う話を聞いて、本当に辟易した。
大企業の研究室では、三菱の研究室からノーベル賞は出るか?と言えば絶対に出ないだろうと断言できる。東芝は可能か?といえば無理だろう。
田中耕一さんが島津製作所の社員だったと聞いてビックリした。そんなノーベル賞を受賞する様な奴が居られるほど、日本の企業は緩やかだったのだろうか?と思った。
その一方で公的機関のノーベル賞受賞はどうか?どうも日本の文部科学省と言う所をはじめとして、役所や重役と吹聴する馬鹿は馬鹿文科系大学出の詰まらない、他所の成果を吹聴する馬鹿の集まりで、自分達の言う事を聞く連中を「奴隷」と診る傾向がある。朝ドラの「純と愛」に出てくるホテルの常連とほざく豚が居るが、あのクズがホテルの関係者は自分の言う事を聞くから奴隷の様に扱うが、その姿そのものが研究者の上にあるとしたらどうだろうか?
それはウジムシテレビのゴーイングマイホームの阿部寛の役もそうだった。あれが有無を言わせず方針を決めて世界に冠たる研究が出来るだろうか?そんな事は絶対に無い。
半導体も、結局、DRAMと言うムーアの法則の延長線上と言う馬鹿でも理解できる理屈だから馬鹿が、つまり頭の悪い馬鹿文科系大学出の馬鹿が納得する方針が策定できたのである。それが少し利口さを求められると、もうダメである。
例えば製薬会社は、その開発の本腰をバイオに向けるべきと言う方向性が遅すぎると言う指摘もある。日本は古いタイプの製薬開発方法論に固執して、バイオ装薬の開発を怠った。だが政府は、バイオ装薬の必要性を理解して学生を大量に募集したが頭の悪い製薬会社や経団連の馬鹿が理解できないもので悲惨な生活をしている人が多い。
その人々が伸び伸びと能力を発揮できる場所を政府の役人のビジョンに耳を傾けていれば、もっとマシになっただろうというものだ。尤も、その責任は成功しなかった時点で役人の責任は問われるだろう。だが結果論としてバイオ装薬に遅れを取っているという事実がどっちが最終的に悪いか?が分かる。
この頭の悪い上層部と言うものは癌装薬開発でも分かり過ぎるほど分かっており、医師が全てを取り仕切るグループの開発する薬が最も期待を受けている。
日本の一番の問題は馬鹿で馬鹿でどうしようもない文科系大学出が出しゃばる事が問題なのだ。馬鹿の発言権があることが問題なのだ。
所詮馬鹿は馬鹿でしかない。
だがマスゴミを見れば、全ての馬鹿どもの発言を見れば分かるだろうが、科学のかの字も無い馬鹿の寝言が世間を埋め尽くしている。何かと言うと「理屈っぽい」とほざくが、欧米では、まだ「理屈っぽい」と言う一方で「合理的で論理的」と言うものを支持する。
しかし日本では「オタク」扱いである。「オタク」を気色の悪いものと扱う馬鹿文科系大学出の糞馬鹿低脳文化は日本特有のモノで、欧米では「オタク」と言う異物に対して、極めて友好的であり、同じ視点で扱ってくれる。だが「オタク」の発信源日本には「オタク」と言う新しい存在と、それを否定する昔から居る「馬鹿文科系大学出」と言うものも存在しており、どちらかと言うと欧米の文化から排除されるのは、この馬鹿文科系大学出だろう。それは愚劣で貧相で低脳だからである。
事ほど左様に、馬鹿文科系大学出を意思決定の場所から排除する事こそ重要で、もっと現場の意見に耳を聞き、上層部の権力の論理を振り回す糞馬鹿野郎の無理は無理だと言う合理的判断を出来るようにならねばならないが、残念ながら、そうなる可能性は極めて低い。
日テレのノーベル賞の「報道とやら」を見て、これは馬鹿の何か知らないが騒ぐ、「他所が認めてくれた成果」であり、日本が最初に「成果」として認めたものが「世界が後で認める」と言う成果になっていない貧相な現実であると馬鹿文科系大学出の馬鹿の理屈ばかりがまかり通る世の中を象徴している。