歪曲される情報を見る。

日本を馬鹿(馬鹿文系)が叩く、だが、それはどの程度正しいのか?非常に疑問である。

次世代と言う言葉を使わなくなった。科学を嫌う馬鹿の集まりとなった巷。ノーベル賞が空虚に聴こえる。

2012年10月14日 21時23分26秒 | 日記

ルネサス問題を馬鹿文科系大学出の馬鹿が馬鹿面をしてほざいている。だが、この糞馬鹿に資金投入とか色々「馬鹿でも分かる文字」で吹聴しているが、では、資金投入してどうなのか?という見通しは無い。

大体、技術は日本と言う空虚な馬鹿の馬鹿セリフばかりをマスゴミと、それを見て自分だけは利口だと思い込んでいる馬鹿文科系大学出は分かっていない。
これはトランジスタ技術を見ていると、当然分かる問題である。トランジスタ技術をマスゴミの馬鹿が読むわけも無いし分かるわけも無い。究極の糞馬鹿の集まりだからな。
トランジスタ技術は記事ばかりではなく広告も読み物の一つである。その中で新型アナログICは大体ナショナルセミコンダクターばっかりが載せている。バーブラウンも載せていたのだが、アナログの新型となると、日本の半導体メーカーが出す事が殆どなくなっている。
大体、こうなるまでの流れを見ていると、本当に隔世の感がある。
元々長崎県の諫早市のソニーの半導体工場だった所は、元々アメリカのフェアチャイルドの半導体工場だった。これが1970年代に建設された。その後を引き継いだのがソニーだったが、例の如く馬鹿が偉そうにふんぞり返る体制で、あっと言う間に左前となった。特にPS3の生産の時には、メインの半導体は東芝に作ってもらっていたと言う有様で、馬鹿か?と言われていた。
1980年代、日米半導体交渉の頃に、アメリカの半導体は、もう無理だと言われていたのだが、その後、ダメだと言われていたアメリカはFPGAなどの新型半導体やMicroChipなどのSOCなどを含めてアナログICもナショナルセミコンダクターのみが新品種を出している。
今手に入る半導体を見ているとJRC(日本無線)のオペアンプのLM2902とかNECのLM3409だとかしかない。だが、これってオリジナルは半世紀前に出来た奴だ。
そんな感じで見ると、チョングソの半導体も市場で見た事無いし、中国のそれ、ああ、MicroChipの奴は中国製か…。
しかしアメリカの半導体も総じて成功と言うわけじゃなくて、一時期ブイブイ言わせていたMicroChipもアトメルも、発展型の18Fシリーズやメガシリーズは、さほど受けていない。
大体技術の発展とはそういうもので順当にスペックアップして成功していたインテルの流れは、そうそう無い様である。そのインテルもARMに押されるかもしれないと言われている。またCPUの代わりにGPUを使うと言う動きもある(日経Linuxで連載があった。言われて見れば確かに、その通りである。)
今、アメリカでは3D半導体と言うものが開発されているらしい。また光を使った半導体が作られているようで、また、ノーベル賞を受賞した関係の量子コンピューターが、どうもアメリカ主導っぽいようである。だが、分子コンピューターとかもあるし、高速度低電荷半導体を使った次世代半導体とかもある。
だが今の日本の半導体産業が主体性を持って何かが出来るとは到底思えない。
先ず持って思い知らせるのは、企業と言うものが合理性や論理性や客観性を必ずしも持っている訳ではないと言う事であろう。
そこで立命館の糞馬鹿準教授の「ネオ開発王国・イギリス」の話となる。イギリスよりもアメリカの方が、産官学の共同プロジェクトと言うのがあるのだが、慶応の竹中平蔵の糞馬鹿寝言に経団連の馬鹿が酔ったのだろうが、元々、企業も内部にいた人は極めて真面目だったのである。だから大学から教えを受けてと言う態度を崩していはいなかった。それをキャノンのお手洗いみたいなクズ野郎が勘違いしたのである。
その一方で、文部省が「大学の業績をショーケースに飾って誇る」と言う馬鹿方針を1990年代まで続けた為に、素地が無い中、いきなりTLOを馬鹿みたいに夢を見て「濡れ手に粟のパテント帝国」の「痴人の夢」を見たのである。
それは同床異夢の最たるもので、摺りあわせと言うものを全く考えない「大学と連携して、あっと言う間に技術立国確立」こそ馬鹿の馬鹿面した糞馬鹿立命館の寝言であろう。
この産官学の共同と言う奴は、東大が一番上手く行っているが、その一方で、旧帝大系で上手く行ったのが、ドクター西澤のいた東北大学だった。
だがナカナカ、このドクター西澤の様な人は生まれていない。と言うより、例えばパテント帝国である筈の日立の有能な博士を日立は自分の組織の論理で叩きだしてしまったと言う話を聞いて、本当に辟易した。
大企業の研究室では、三菱の研究室からノーベル賞は出るか?と言えば絶対に出ないだろうと断言できる。東芝は可能か?といえば無理だろう。
田中耕一さんが島津製作所の社員だったと聞いてビックリした。そんなノーベル賞を受賞する様な奴が居られるほど、日本の企業は緩やかだったのだろうか?と思った。
その一方で公的機関のノーベル賞受賞はどうか?どうも日本の文部科学省と言う所をはじめとして、役所や重役と吹聴する馬鹿は馬鹿文科系大学出の詰まらない、他所の成果を吹聴する馬鹿の集まりで、自分達の言う事を聞く連中を「奴隷」と診る傾向がある。朝ドラの「純と愛」に出てくるホテルの常連とほざく豚が居るが、あのクズがホテルの関係者は自分の言う事を聞くから奴隷の様に扱うが、その姿そのものが研究者の上にあるとしたらどうだろうか?
それはウジムシテレビのゴーイングマイホームの阿部寛の役もそうだった。あれが有無を言わせず方針を決めて世界に冠たる研究が出来るだろうか?そんな事は絶対に無い。
半導体も、結局、DRAMと言うムーアの法則の延長線上と言う馬鹿でも理解できる理屈だから馬鹿が、つまり頭の悪い馬鹿文科系大学出の馬鹿が納得する方針が策定できたのである。それが少し利口さを求められると、もうダメである。
例えば製薬会社は、その開発の本腰をバイオに向けるべきと言う方向性が遅すぎると言う指摘もある。日本は古いタイプの製薬開発方法論に固執して、バイオ装薬の開発を怠った。だが政府は、バイオ装薬の必要性を理解して学生を大量に募集したが頭の悪い製薬会社や経団連の馬鹿が理解できないもので悲惨な生活をしている人が多い。
その人々が伸び伸びと能力を発揮できる場所を政府の役人のビジョンに耳を傾けていれば、もっとマシになっただろうというものだ。尤も、その責任は成功しなかった時点で役人の責任は問われるだろう。だが結果論としてバイオ装薬に遅れを取っているという事実がどっちが最終的に悪いか?が分かる。
この頭の悪い上層部と言うものは癌装薬開発でも分かり過ぎるほど分かっており、医師が全てを取り仕切るグループの開発する薬が最も期待を受けている。
日本の一番の問題は馬鹿で馬鹿でどうしようもない文科系大学出が出しゃばる事が問題なのだ。馬鹿の発言権があることが問題なのだ。
所詮馬鹿は馬鹿でしかない。
だがマスゴミを見れば、全ての馬鹿どもの発言を見れば分かるだろうが、科学のかの字も無い馬鹿の寝言が世間を埋め尽くしている。何かと言うと「理屈っぽい」とほざくが、欧米では、まだ「理屈っぽい」と言う一方で「合理的で論理的」と言うものを支持する。
しかし日本では「オタク」扱いである。「オタク」を気色の悪いものと扱う馬鹿文科系大学出の糞馬鹿低脳文化は日本特有のモノで、欧米では「オタク」と言う異物に対して、極めて友好的であり、同じ視点で扱ってくれる。だが「オタク」の発信源日本には「オタク」と言う新しい存在と、それを否定する昔から居る「馬鹿文科系大学出」と言うものも存在しており、どちらかと言うと欧米の文化から排除されるのは、この馬鹿文科系大学出だろう。それは愚劣で貧相で低脳だからである。
事ほど左様に、馬鹿文科系大学出を意思決定の場所から排除する事こそ重要で、もっと現場の意見に耳を聞き、上層部の権力の論理を振り回す糞馬鹿野郎の無理は無理だと言う合理的判断を出来るようにならねばならないが、残念ながら、そうなる可能性は極めて低い。
日テレのノーベル賞の「報道とやら」を見て、これは馬鹿の何か知らないが騒ぐ、「他所が認めてくれた成果」であり、日本が最初に「成果」として認めたものが「世界が後で認める」と言う成果になっていない貧相な現実であると馬鹿文科系大学出の馬鹿の理屈ばかりがまかり通る世の中を象徴している。


ノーベル賞賞金の話と、池上ハゲ嘘彰が決してほざけないiPS細胞の濃い説明。

2012年10月14日 20時18分33秒 | 日記

バンキシャは、例の如くレベルの低い報道で知られておりましてノーベル賞の賞金ばかりを取り上げていましたが、このノーベル賞は1970年代に基金が目減りすると言う問題がありました。それを救ったのが資金運用で当事の財テクの典型として喧伝されていたのはご存知でしょうか?今1受賞で9500万円程度らしいのですが、当事は、当事の安いレートで3000万円程度でしたから、数分の一の安さです。
この資金投資はノーベル賞がユダヤの色々な道具となっているので色々と優遇したのでしょう。「男は天兵」と言う武論尊原作の漫画で、ユダヤ社会に見限られたユダヤ商人を天兵が救ったので、10億円を融資して、値上がり確実な株を哨戒して、あっと言う間に「10億円の利益が出ました!」と涙ながらに喋っていたのですが、馬鹿か!それは典型的な「インサイダー取引だ!」と当事の集英社は分からなかったのでしょうね?
ですが、これに似たような状況がノーベル賞の基金運用であってもおかしく無いなと思っていました。事ほど左様に、偉業は、色々な陰謀の間に引っかかってあるのですねぇ~。
まぁノーベル賞、特にノーベル平和賞だけはノルウェーが決めると言う妙な決まりとなっていて、このノーベル平和賞だけは違和感のある政治的な決定があるのでは?と言う事で、中国も文句を言えば、今EUの受賞が問題となっている。だが「電撃作戦サンダーボルト」と言うイスラエル機のハイジャックをイスラエル特殊部隊が救うと言う映画では、映画のハイジャック機の着陸した国ダウガン(ウガンダね)の大統領(これがアミンをイメージした奴みたいで)に
「大統領!ノーベル平和賞は欲しくないのですか?」と何度も連呼するシーンが出てくる。あれを見るとノーベル平和賞がナンボのモンじゃ!と思う。この「電撃作戦サンダーボルト」はウジムシテレビのお好きな奴で、私が知る限り5回は放送された。
ノーベル賞は、前にどこかのYahooコメントで数学賞がなぜ無いのか?と言うのだが、ノーベルは数学者は適当な嘘を並べる奴等と根っから嫌っていた。また経済学賞ももしかしたらなかったかもしれない程で人類の英知に、数学と経済学は不要と思っていたようだが、はっきり言って経済学賞を受賞した「ブラック・ショールズ式」は金融工学の夜明けみたいな事を数学を理解できない算数も落第点の糞馬鹿文科系大学出が吹聴していたが、このブラックショールズ式は、微分方程式的に見れば実に馬鹿な計算をしている。
何より経済トレンドを示すαが定数って時点で、こんなものが理論の意味が無い!と思ったのだが、当然馬鹿文科系大学出は分からない。色々金融の事をほざくが、この糞馬鹿は揃いも揃って財務省のレポートも金融研究所のレポートを読みもしないし知りもしないし読んでも分からない。この金融研究所のディスカッションペーパーは、その半分が金融工学の最先端の価格決定メカニズムや経済モデルの詳細計算をしているが、私もさっぱり分からない。
さてノーベル賞のiPS細胞の話は、2010年にETV特集でやっていて、長い事私のHDDレコーダーの中にあったのですが、最近DVDに焼いてHDDから2年ぶりに消したら、今回の受賞で再放送がありまして、また録画して中にあります。
iPS細胞と言うのは、実は遺伝子工学の発達がもたらしたもので、元々、植物細胞の細胞分裂容易さに比べると、動物細胞の細胞分裂の容易さが無い事が問題となっていた。
今の農薬の要らない毒トウモロコシや毒があっても食べないので安全なんだけど今後問題がありそうな綿の品種改良なのだが、これは1980年代にポマト(ポテトとトマトを一緒に作るキメラ)で有名になった遺伝子工学の成果である。だが、この成果を作る上で重要となったのが、細胞の欠片を取ってきて、これを培養して作る種子に依らない植物の種=カルスによる生命発現によって行われた。
これは接木が出来る植物ならではの培養方法で、この分裂は実に簡単にやれた。バイオテクノロジーの最初は、この様な感じだったのだ。
動物細胞では、これが出来なかった。例えば内臓の細胞では、内臓の細胞しか出来ず、皮膚の細胞では皮膚しか出来なかった。この皮膚の細胞培養は、ブラックジャックを見ると分かるのだが、ブラックジャックの無茶な臓器移植などは、この皮膚の培養の実績から、カルスを動物細胞でできないと言う事がわかっていたのだ。
その辺で、ルパン三世対人造人間マモーとなる。この頃は髪の毛の細胞からでも複製が出来ると言っていたが、それは無理だと、この映画が出来る頃には大体分かっていた。そこで元は一個の受精卵から、何時細胞の分化が進んで行ったのか?と言う問題と、その分化のプロセスは、受精卵のどの卵割の段階で決定するのか?と言う事が疑問となった。
つまりiPS細胞と言うものが、どの卵割段階の受精卵であるのか?そして、それは何時消えてなくなるのか?と言うものだった。それは、ともすれば若ければ残っていたのか?と言う問題だった。
ルパン三世の頃の知識は、遺伝子工学が出始めた最初の頃の石の森章太郎がマガジンだったか?で描いた「ギルガメッシュ」などで、先進的なバイオテクノロジーの話が合った。ギルガメッシュでも、やっぱりマモー流の遺伝子工学を採用していたが、私は、その時小学生だったが、卵割の話は知っており、この卵割の最初の段階でしか、クローンを作れないだろうと思っていた。私は、この初期の卵割した細胞の事を「主細胞」と読んでいたのだが、1990年代になって遺伝子工学の連中が「幹細胞」と言う名前をつけていた。
この幹細胞は後に「P幹細胞」や「PS幹細胞」と呼ばれていたのだが、2000年の半ば頃からiPS細胞と呼ばれている様だった。1990年代の幹細胞の時点で細胞分化の問題が取り上げられていてETV特集でも、よく流していた。だが世間が馬鹿文科系大学出レベルに下がっていって、科学番組は馬鹿に幾ら伝えても分からないと科学番組は嘘しか流さないマスゴミの低脳差加減で徐々に馬鹿でも色々吹聴できる程度の糞みたいなものばかりを選んで流すようになった。
芸術とか、文化とか、まぁ明日から訳の分からない権威から「天才ですよ」とでっち上げられるものばかりが「教養」と言う事となったが、今のノーベル賞の問題もその経過を誰も伝えられない。立花隆などが、その権威だったがガンで世間に出ていない。って言うか死んだっけ?
幹細胞の話の時には、ホメオティック遺伝子の問題が分かって来出したら、枯葉剤=エージェントオレンジの主成分、ダイオキシンの影響が分かってきて、仙頂骨形成不全症候群(これは「JOY下半身の無い子供」と言う映画になっていた)の原因が仙頂骨形成のホメオティック遺伝子の活動を阻害した為と分かりサイドマイドの二の舞にならないようにと日本中がダイオキシンショックとなった。結局、さほどの影響は無いのだが、当事は真面目に問題となった。この時の問題と仕方は、原発以上だったと記憶している。
当然池上ハゲ嘘低脳彰は伝えない。ダイオキシン問題と今回のiPS細胞の話を何処のどいつがしたか?
1990年代ダイオキシンがさほど大事な問題でない事が分かったのは良かったが、その一方で幹細胞が人体にあるか?が問題となった。そこで色々調べると子供の体内にあるのは最初の段階で分かったのだが、これが成人でも結構あると言う事が分かり、その後幹細胞は何歳に、大体どの程度の個数残っているのか?と言う事が問題となった。
そこで一つのヌーベルバーグが出る。それがコピー羊ドリーの問題である。
ドリーは、皮膚の細胞から核を取り出し、それを受精細胞の中に入れて卵を作った。それから生まれたのである。それから体細胞から、幹細胞つまりiPS細胞を作る事が始まったのである。そして、iPS細胞を最初に作ったのが、山中教授だったと言う事である。
このノーベル賞の受賞は、何故なのか?偉大な発見だからと言う事もあるが、ユダヤ系の興味の中心でもあるからだ。ユダヤ系の儲け商売の中には穀物メジャーがあるが、種のメーカーでもあるモンサントもこの類の儲け業である。実はユダヤが恐れる遺伝子技術は日本とロシアにある。
このブログでも取り上げた、京都大学、そう京都大学が遺伝子の研究が凄いのですよ。NHK特集の「日本の条件・一粒の種子が世界を変える」の中には、木原等教授が出ている。この時穀物メジャーが重要としていた技術の先端を歩いていたのはソビエトのバビロフと日本の木原等教授だった。
この辺NHKにいた池上ハゲ嘘彰より私の方が残念ながら良く知っている。
その後ソビエトの方はバビロフをシベリアで殺したルイセンコが天下を取ったが、論理的失敗がわかって、またシベリアで殺されたとさ。しかし、日本の遺伝子技術は滅んでいなかった。ユダヤもドリーの成功以降、一般的な体細胞(これを一般的ではなく大体皮膚の細胞となっている。一般的なというが大抵は皮膚細胞なのですよ。)を作ろうとしたが、まぁイギリスの遺伝子関連と言うとフリーメーソンユダヤの息が当然かかっている。そこのドリーを作ったところも出来なかった手法を発見したのである。
と言うか、ユダヤが発見したら、当然隠して使うのである。そして一番可能性があるのは和牛の品種改良に使うのでは?と思われる。何故なら欧米の味音痴どもが、目をひん剥いて驚いたのが和牛のクオリティーである。そこでかっぱらいの貧相な糞馬鹿野郎の集まりであるオーストラリアもアメリカも和牛を大量に肥育している。
口蹄疫が日本で頻発したのも、他国からのバイオテロと言われていた。その際たるものとして、ウンコ臭いチョングソとアメリカとオーストラリアの名前が挙がっていた事をご存知の向きは少ないだろう。
またユダヤは碌でもないものを作って「儲かる儲かる」と慶応の様な「異常な品性」を持っている。NHK特集の日本の条件の中では頭から首までにしか羽毛の無い「ネイキッドチキン」(裸の鶏)を交配によって誕生させた。これは極めて生命的に弱い為没規格となった。つまり皆殺しにされたのだ。だが、このネイキッドチキンは、餌の食べる量が20%減少する為に「生産性が高い」と竹中平蔵の様な「不細工面」してほざくのである。まぁ池上ハゲ嘘彰の低脳ハゲ面も相当に貧相であるが。
この20%と言うのは、私の20年前にはと同じでマジックナンバーのようだ。実は今の牧畜生産の中で抗生物質が大量に使われているのは、病気を予防すると言う「雁屋哲」の言う「病気予防の為」ではなく「腸内に細菌がいると、細菌の代謝の為に余計に餌が必要である」と言う事である。抗生物質を使って腸内細菌を殺すと、餌の必要量が20%減少すると言う。毎度毎度、この手の数字は、正しいのか?と思ってしまう。
さて、ユダヤは、このiPS細胞を使って何をするかと言うと、遺伝子治療に使うというのは分かる。遺伝子装薬は、実は山中教授の活躍を尻目に、また、バイオ関連の人間を大量に養成したのに、頭が馬鹿文科系大学出のレベルの製薬メーカーの重役のお陰で、世界の半分以下のレベルになっている。だから山中教授の成果を吹聴する馬鹿文科系大学出がいる一方、この山中教授の成果を吸収できる国内の現場があるか?は甚だ疑問であるが、当然、頭の悪い、先見の明の無い馬鹿の集まりと成り果てた経団連の頭の悪さを指摘する事は絶対に無い。
だから経団連の糞馬鹿は次のルネサス問題を作ろうと「利口利口」「賢い賢い」を馬鹿面をして吹聴し捲くっているのである。今バイオ関連の株価が上がっていると言うが、元々高くなければならないものをその程度にしていた馬鹿の愚行をどう思うのか?
米倉君に聞いてみたいものだ。
エリートと言うなら、この程度の事は暗記しておいて貰いたいものだ。ちなみに私はドリーの情報をチョット見たぐらいで大体空で暗記している。
これが相応に知識を記憶している普通の大人ってモンだ。
低脳な嘘ばかりを人にたかる無様な老いぼれが今存念の悪いテレビ朝鮮日報で「学べるニュース」とやらを適当にほざいている。


真面目な企業が、どれ程命がけか?金融ばかりを吹聴する馬鹿は死ねば良いのだ。

2012年10月14日 00時00分13秒 | 日記

放送大学の環境関連の番組の中で、鹿児島のあるベンチャーと言うと勝間和代の加齢臭がするので響きが良くないのだが、ある中小企業の立ち上げの苦労話があった。

その社長は、鹿児島の有名な焼酎メーカーの部長だったか?が社長から退任間近の彼に焼酎カスをコンポストに変える会社を立ち上げてくれないか?との話があっての企業だった。彼の覚悟は命がけだったとの事である。
コンポストなんて、簡単といえば簡単だが、会社企業としての運営は過去前例が無い。だから、どこの馬鹿文科系大学出も手を上げない。つまりは出資の多くは親会社の焼酎会社だった。これが金融寝言を吹聴する馬鹿の属領である。
こいつ等は偉そうな事を並べてはいるが肝心の合理的な判断で上手く行く筈のモノのリスクも絶対に取らない。つまり勝間和代の臭い体臭と同じような臭い醜悪な態度をベンチャーだとか金融万能を吹聴している馬鹿が全く分からないのだ。
究極の経済音痴慶応の竹中平蔵は、適当なグローバル経済を吹聴をするが、新規の賢いエコな企業の投資が、合理性を理解しない馬鹿の集まり、つまり馬鹿文科系大学出によって全く理解されないのである。これが馬鹿しかいない馬鹿文科系大学の今の現実である。
この鹿児島の焼酎カスに関して言えば、廃糖蜜の活用で東京農大の小泉教授の「スーパーバチルス計画」などの「バイオテクノロジー」からすれば大した構想ではないが、当然馬鹿しかいない文科系は全く理解していない。
ベンチャーベンチャーと意味も分からないで吹聴している加齢臭の臭い勝間和代だが、今の方が、どちらかと言うと企業の圧力は下がっている。期待はしている。だがそれは馬鹿でも分かるというか、簡単すぎるぼろ儲けの構図が無いとやらない。
だから勝間和代が吹聴すればするほど、まともな人間は危ないと思うのだろう。やっぱり経済に悪い毒を仕込む事しか慶応に出来る事は無い。
この鹿児島のベンチャーは幸いにして成功し、ようやく他の業者を含めて色々やるのだろうが、大体から人がやって上手く行って「俺も昔から思っていたんだ」とか「いやぁ俺のアイデアを盗んだんだよ」(この間の私のブログは同じに思われたかな?)との事だが、実際に成功するのは難しい。
結局、このパラダイムの変更の最たるものは、それが出来ると言う事を示す事であり、それがあって初めて、あれが道具だから、こう使うと、こうなると言う発想が出来るのである。
廃糖蜜は、それまで海中投棄がなされており、それは産業廃棄物である事が分かっていた。結局馬鹿文科系大学出、下衆文科系大学出とは違い、倫理観が、このビジネスを作り出したのであろう。
倫理観が全く無いといえばキャノンやシャープだろう。だが昔の企業した時の創業の理念は、実に純粋で、会社を公器とあんなに努力しているのに、利益は公平分配と慶応の卒業生は全く理解できない程の生真面目さで考えているものだ。そこには薄汚い馬鹿女の欲望の腐臭はしない。
臭いものに蓋をする類の処理はやっぱり焼酎業界の未来を暗くすると言う切実な思いがあったのだろうが、それを受けたコンポスト会社の社長も立派である。
この粘り強い上に理念がハッキリしており、使命感に溢れる企業の中に「シャボン玉石けん」がある。この「シャボン玉石けん」が本社と言うか創業が北九州の会社で、昔からあるかと思っていたら、黒字化したのは、極最近であるとJRの社内誌にあってビックリした。
あの素朴で、単純で、取り立てて目新しいものの無い「シャボン玉石けん」は、実に石けん業界の新参者で、その素朴さが無かったものであり、それ故の需要が最近になって高まっているとの事である。
私は少年時代に土曜日の昼頃の歌番組の中でのCMを見ており、それ自身が、それよりも10年は古いような作りだった。
へぇ~と思った。
私が以外だったのは「シャボン玉石けん」の「粉シャンプー」だろう。今となっては国賊しか取り得の無いウジムシテレビだが、昔は「カノッサの屈辱」と言う立派な昔の風俗を「パロる」番組があった。その中で朝シャン迄のシャンプーの歴史が語られていた。その最初の頃には週2~3回の入浴が一般的で、シャンプーも、その位の頻度だったとある。
それは私の記憶と同じである。もっと言うとヨーロッパはもっと頻度が低く、当時のビデオを見ると、うんうん確かに大衆がしそうな感じだ…と思ったものだ。この入浴問題は、今もフランスの現実で原発の電力を使って深夜給湯の量によって入浴が制限されるという進んでいるのか原始時代に近いのか分からないフランスのお寒い入浴事情がある。
当事のシャンプーは大体粉が一般的でエメロンシャンプーも発売当初は粉シャンプーだった。そんな訳で、シャボン玉石けんもそのくらいと思っていた。実はもっと後だった。
しかし赤字が込んでおり、それでよく近年になるまで営業が出来たものだと思う。今の慶応の腐臭のする勝間和代や竹中平蔵なら「合理的ではない」と吹聴した事だろう。だが今厳然と存在するシャボン玉石けんは「では今あるわが社は何なのだ?」と言うだろう。事ほど左様に慶応の吹聴する内容は、シャボン玉の泡以上に空虚で儚い、泡沫の方が遥かに現実性がある。
「シャボン玉石けん」のイメージキャラクターは子供、少女である。これは社長が「子供の肌に良い石けんを」と言う思いで起業した初心に基づいている。そう考えると、この子の為に起業したのだと万感の思いがする。それに比べると勝間和代の存在の何と薄汚い事。
「シャボン玉石けん」の企業は、ベンチャーキャピタルが吹聴される直前だった。思えばバブル経済の荒波も越えたのである。思えばよくも生き残ったものだ。あんな真面目で質実な製品だけで、営業を続けるというのは本当に今思っても凄いものだと思う。
だが、こんな企業はやっぱり珍しく、大体において日本の起業は、低レベルな昔風の起業つまり飲食業や小売り業、理容業などのサービス業か、製造業では、鳶や建設業、大工、工務店などの、いわば江戸時代の昔からある仕事でなければ、大企業の子会社の設立以外は殆ど無い。この現実に対して、何か新しいものの無い中、出来ないビジネスマンだけが騙される「デキビジ」での「ひろゆき氏」と「勝間和代」の対談が行われたのである。
そして今がある。思えば、飲食店は、新しい構想とやらで色々できるがやっぱり普通に潰れる。そう言うのを見て、我々はどの程度進歩しているのか?考えさせられる。マスゴミの馬鹿文科系大学出は、勝間和代が吹聴していた「何処の宇宙であること?」と言いたくなる事ばかりを吹聴し、潰れると「馬鹿が…」といわんばかりのコメントをする。これが一番酷いのが日経新聞である。
私が最近で一番嫌な閉店としては、ジムの道すがら、通り道に建っていた小料理屋が潰れたものがある。そこは、つい2年前、店の大掃除をしていたのだが、その時小さな子供が二人いたのだ。そこは1年前に、何時の間にか潰れていた。そして半年前に取り壊され、今は介護医療の大手の駐車場となった。
その道は今も良く通るのだが、ここに親子の姿があったのだと思うと、子供のいない私は、あの幸せそうに見えた普通の生活が今無い現実を口の中に苦いものを感じざるを得ない。
だからYahooなんかのコメントで、金融などを馬鹿みたいに吹聴する馬鹿文科系大学出の吹聴を見ていて、この下衆どもと思わざるを得ない。
今BS朝日の気候番組に出ている加藤千尋は、報道ステーションで、こんな私は経済音痴の人でなしですよと言うコメントをしていた。「何故今の人達はネットネットといって店舗を持たないで起業するんでしょうかね?」
それは開店コストがどの程度高いか知らない馬鹿の吹聴である。潰れた店舗を見るに付け、この施工はこのぐらい、この初期投資はこれぐらい?と概算で計算して、その額の多さに愕然とするのである。彼らは、その半分を開店前に作っていたとすれば、残りの半分を今払っているとしても、その痛みは相当なものである。
この痛みを「痛みを恐れず」と今女の尻を追いかける以外に何もしない下衆の小泉純一郎は吹聴したのだ。そして起業の敷居の高さを知らないで金融論を吹聴する馬鹿ほど、小泉や慶応の宇宙で一番経済音痴どもの寝言を支持したのだ。
思うに焼酎カスのコンポスト会社やシャボン玉石けんは、その技術レベルとしては、世の中を半歩前に進めただけかもしれない。しかし、それに投入された魂は一級品といって過言では無い。
だが下衆のカスしかいないマスゴミは決して言及しない。それが今である。