○高橋選手も羽生選手もこれからの伸び代を残しながらジャンプの跳ぶ位置が実に高い。アイスダンスのリード姉弟では、テレビからGolden Slumbers~Carry That Weight~The Endのアビー・ロード・メドレーが流れてくると、つい歌ってしまう(笑)のであった。
そんなスケートNHK杯フリーが放送されていた11月24日は、L'Arcのユッキー=yukihiroさんなどの誕生日であると同時に、Queenのフレディ・マーキュリー氏やKISSのエリック・カー氏などの命日だったりする。世界中の人々が今日も生きたり死んだり地球上を交差点のように行き来しながら、総体としては昨日に続く今日そして明日が連日毎日続いていくというのは、思えば気の遠くなるような壮大な話でその一つ一つが尊いことなのであろう。そんなFreddieを偲ぶというだけでなく、先日の話のリマスター企画盤の中で真っ先に買って聴きたかったのが、これである:
キイロイトリたち「ドウデスカ コンナ カンジデ♪」
たれぱんだ「やっぱり、一度はやってみたくなりますねえ」
※出演:キイロイトリ
タワレコ2010version(Brian)、タワレコ2011version(John)、
くったりぬいぐるみS(Roger)、ローソン一番くじ2011(Freddie)
という、「Queen Ⅱ」。小学生の頃の日曜日というと、家族が音楽鑑賞用のステレオでかけるLPで、だいたいいつも定番としてQueenかKISSかBeatlesとか、ポール・モーリアなんかが流れてた(ってのはどーいう典型的世俗音楽な趣味の家族やねん!とツッコミが入りそうだが・笑)。そのQueenのLPの中でもしかするとかかった回数が最も多いのであろうか?一番記憶に残っているのがⅡなのである。
A面の「白」の方の曲の方がメロディがクラシカルでわかりやすく、バイエルやブルグミュラーやバッハを練習中の小学生にも理解しやすかったこともあり、鼻歌でもメロディーがなぞれた(英語の歌詞は当然正確にはわからんのだが、中学生の兄の話によると女王様やらお城やら妖精やら鬼やらが出てくる神話伝説みたいだというので、分からないためにますます怪しい想像を逞しくしたような気が)。だからこのアルバムはLPの「この曲順」で記憶しているため、シャッフルでは聴けない(爆)。今回の一連のリマスター盤の中では、その「最初にステレオヘッドフォンで聴いた時の衝撃」を再び生々しく思い出した、最も懐かしく親しみのあるアルバムである。小学生の自分自身はQueenの熱狂的なファンというものではなかったが、家族にたまたまかなりの愛好者がいたことにより、身近に接する機会の多い音楽になっていたのだろうと思う、あたかもヘンデルのラルゴやビゼーのメヌエットのようなポピュラーなクラシックみたいに。
B面の「黒」は正直言うと、むしろ「大人の脳」になってからの自分が聴いてその凄まじさに「改めてはまった」方である(小学生の頃の自分の脳には、プログレな連続楽曲構成の転調や変拍子などが複雑すぎて難しすぎたのかもしれない)。そしてそれ以降は、このアルバムは交響曲みたいに「A面B面通して全曲で一続きで聴き込む」作品となった。そう考えてみると、自分が最初に出逢って驚愕しながらも覚えた「親しみ」を感じるフレディの「声の万華鏡」のイメージは、このQueen Ⅱの頃の妖しい婀娜な声なのである。その後「ザ・ゲーム」とアンダー・プレッシャー位まではリアルタイムで、その後も外貌や歌い方が変化しても時々折々楽しんではいるものの、「クイーンぽい歌い方」とか「クイーンくさい泣きのギター」「クイーンらしいコーラスワークとピアノ」等々といわれる時、やはり自分はこの「Ⅱっぽい」美々しい奇天烈なやつ、というイメージを思い出す。そういう意味では何かエッセンスがこってり詰まってる盤なのかもしれないと思う。
本日のBGM:
Seven Seas Of Rhye / Queen (「Queen Ⅱ」)
小学生の頃は隣の部屋から流れてくる「黒」を聴きながら途中で昼寝しかかって眠ってしまったり(やはり子供だから仕方ない・爆)、それでも最後のこれで目を覚ましたりした。まあ、でも、その頃といえばだいたい「一休さん」「まんが日本昔ばなし」「勇者ライディーン」あたりを見てる頃だ(><)。そんな子供心の地の無意識の部分にまで入り込んでいる、個人的な音楽体験に関連しているところを思い出すのも、ある種の追悼と感謝の仕方の一つということでいかがだろうか。邦題「輝ける七つの海」は今聴いても、本当にピアノのイントロできらきら輝く海原が目に浮かんでくるような、かっこいいラストの船出である。(20121124)