「ゆわさる別室 」の別室

日々BGMな音楽付き見聞録(現在たれぱんだとキイロイトリ暴走中)~sulphurous monkeys~

20150614

2015-06-14 | 矮小布団圧縮袋

○佐賀に昼間仕事で来て、終わってから夕方、せっかく来たので帰る前に映画を見る。

   
 まさにミニシアター系である、CIEMAはこの一種レトロな、ラウンジのようなゆったりした空間が好きなんだな。今日はぎりぎりでなく、やや早めに到着できたので、カフェでひと休みしながら開場を待機するキイロイトリなのであった。しかもこう見えて実は、福岡より先に早く上映してるからねw

 本日のBGM:
 映画「エレファント・ソング」(2014、カナダ)
 音楽:Gaetan Gravel, Patrice Dubuc
 いや、前に「トム・アット・ザ・ファーム」で来た時のインパクトから5か月ほど後、再びシアター・シエマでグザヴィエ・ドランを見る(爆)わりと場所の雰囲気が気に入っているので、ここで見るのがいいかなと思って。
 これも心理サスペンス系の映画なので(またかいww)ラストは言わない。難解ではないので、事前予習全くなしで見てOK。それで「とばさずに」細かく見とく、というミステリードラマ的な見方で行く類の映画。多分もう一度見ると二回目に、全部最初から伏線だってわかると思う。 
 それにしてもこないだKBCシネマで見た「Mommy」の親子の時にも思ったことだが、Xavier Doranちゅう人は「人の神経逆なでする奴」てのが(演出するのも演じるのも)うまいんだろうな…と考えた。単なる「やたら“おかん”にこだわる」上にマイノリティ支持、っていうだけではなく「只じゃあすまない」人というか、所謂「善良なる小市民的」=「いわば偽善的」世界を、小さなほころびからどんどん浸食していって、壊しかねないものをもってくる。今年に入っていくつかこの人関連の映画を見てきて、どことなくそういう感じがするのがわかってきた。何か「ひっかかる」ものにこだわる感じにしても、この人はかなりクセがありますね。前の映画で見た「何か被害者そうに見えて、実はちょっと違うんじゃないか」というような怪しさが、今回はもっと出てた。この話も舞台劇的というか、ほとんど地味な室内での会話劇の緊張感で展開する中、人物の過去に関わるエピソードが映像で挿入されて絡むようなドラマを見せてくる。で、最後はそうきたか。
 もちろんこの「怖い」マイケルも話題だが、映画を見ている年齢が上の人ほど、きっとグリーン院長の方の過去や周辺の問題を考えてしまうんじゃないかなと思う。キャサリン・キーナーの婦長さんも始まってからだんだん、どういう人かわかってきて、妙に次第に魅力的に映ってくる。地味なんだが、そのへんがこれまた、じわじわくるのである。愛されず傷つき続ける子どもと、迷い続ける親の年齢の人々…それでラストシーンで不思議な気持ちになるのは、観客の自分の場合、己がマイケルのような若者ではもはやなく、院長や婦長の年齢に近い時間を経てきてしまった人間なせいだろうか。「そっち」の方を考えてしまうのだ。
 ブルース・グリーンウッドの表情の動かし方とか物腰とかを見てて、個人的にはどうも長塚京三さんを思い出してしかたがなかった。そのへんも何かはらはらした原因かもしれない(ちなみに、家に帰ってからぐぐってみたら、やはり「似てる」って言う感想の人が多数で噴いたw)。これって日本で翻訳劇やるなら例えば長塚京三と成宮寛貴が舞台でやるみたいなやつなのかなと。
 時代設定が1960年代っていうのも、精神医学の診察や病院ケアのレベルが「当時だからまだしかたがないのかもしれない」というような背景の部分で効いていたように思う(2010年代の現代だと即座に話がついてしまってドラマにならないかも)。電話、メモ、老眼鏡とか、さまざまな小道具に意味があって、舞台劇風なスリルを生んでいる。それで、やはり今回もちょっと「主任警部モース」みたいな、謎は解けるけれどもわりきれなさが残るようなビターな感じを受けた。


 帰る時間にはすっかり日が暮れているぞ。駅に戻って博多に帰るべし。
(20150613)
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