「ゆわさる別室 」の別室

日々BGMな音楽付き見聞録(現在たれぱんだとキイロイトリ暴走中)~sulphurous monkeys~

20150622

2015-06-22 | 矮小布団圧縮袋

○仕事を早退して病院に行き、腰痛の診察とX線の後、電気治療して薬をもらって帰る。
 デスクで集中して入力作業で打ってて、はっと気がつくと4~5時間経ってた、などということが多くて、身体が固まっちゃっているような気もする。せめて1時間に1回くらいストレッチでもしないとね。
 
 NHKの9時のニュースは4月以降、本当にひどくなったから見ない。ちゃんとニュースを報道しないから。
 報道規制か管制でも敷かれているのか。それか、今そんなに国会って放送するとやばいのか。
 末期的だ。他の局のニュースか、netのニュースを複数合わせて見て考える。それでNHKのそれが何を報道しなかったかも、却って非常に目立ってわかってしまう。今日ので言えば、旧法制局長。
 わりとずっと見てきたNHKを見る時間が、最近どっと減った。大河ドラマは全然見なくなったが、(本来の意味で昔の大河ドラマ的な勢いのある)天皇の料理番は見る、とか。

 本日のBGM:
 Back To Me / Jimmy Somerville (「Homage」)
 なんか今日はジミー・サマーヴィル(ソマーヴィルという書き方もある)さんの祝・誕生日だそうだ。
 こないだからBGMに使っているのでこのバック・トゥ・ミーなどのフレーズなどは結構、突然脳内に流れたりする。
 ちなみにスクリッティ・ポリッティのグリーン・ガートサイドさんも同じ日が誕生日だそうである(でも、ジミーさんよりかなり年上だとは当時ほとんど知らなかった。若げに見えたから。)

 それにしても自分の中で、30年前の音楽なのに「思い出した時に、あまり昔という感覚がしない」のは何故なんだろう、と自問してみる。それらの音楽そのものがあまり古さを感じさせない(逆に最近の音楽が、妙にリバイバルな音色のアレンジだったりし、そして聴いている者にはそれがいかにも「何かの本歌取りである」ことがよくわかる)、ということが、もちろんある。
 しかし他に原因があると思う。30年前と比べて、学生から社会人へと身分としては社会的な地位や生活や役割が変化してはいるのだが、家に帰って自室に戻って「自分一人に意識が戻る」時、実は個人としては「あまり変化がない」ともいえるのだ。もし、自室に帰った時にそこに家族がいるとか、自分が自宅においても30年前と異なる呼称で家の中の人たちに呼ばれていたりすれば、まぎれもなく30年前とは違う時空が今であり、その時間が経っていることを認識するのだろうが。そういうことがないのである。要するに、(そりゃ比べてみれば若いままなぞではなく、老化などだいぶ身体状況は変わっているのではあろうが)自分の中でそういう時間を経ていて成長しているなどの自覚がまるでないまま、物理的時間が経っていた、という感覚に近い。浦島太郎のようなものかもしれない。(20150622)

(写真:特急で出張中のときの、車窓でsmalltown boyのPVみたいな気分で乗ってる?キイロイトリ)
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