館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

F本観光で行く「沖縄」の旅・第2話。

2006-11-18 09:35:23 | 旅は続く
僕の沖縄の最大の目的・「与世山澄子さん」に会うである。
与世山さんのお店・インターリュードに行きたい、と、言っていたら、f本観光氏はアクセスして、場所のみか、与世山さんと電話で話し、当日はライブもあると、確認してくれていたのだ。
持つべきものは「友達」・である。f本氏、ありがとうね!



僕は、インターリュードの前に立った。
僕にとっては、日本で「最高のJAZZシンガー」である。

1940年、八重山小浜島に生まれる。16歳でデビュー。
1957年、ボブ・ホープとレス・ブラウン楽団と共演。
1972年の本土復帰まで米軍基地のクラブでフルオーケストラをバックに活躍。
復帰の年に夫のサックス奏者である我那覇文正さんとジャズスポット「インタリュード」をオープン。
1983年、ファーストアルバム「イントロデュージング」(テイチク)が発売される。
1984年、ビリーホリディのピアノ奏者であった、マル・ウォルドロンとの共作「ウィズ・マル」発売。
1985年には3rdアルバム「DUO」(東芝EMI)を発表。
そして2005年8月10日に20年ぶりの新作「インタリュード」(タフビーツ)をリリース。
こんなところである。
新作については、購入してすぐ、うれしくて、ブログにのせた。
記事はこちら。

日本屈指の実力派ジャズヴォーカリストである。



昼は1階で喫茶店・与世山さんお手製の「そば」も食べられるらしい・・
ライブコーナーは2階である。
その入り口である。



ご本人がいらっしゃった!
「会いに来ました」「まあッ!」てな会話があって、注文やお酒を運んだり、普通のおばちゃん(失礼!)であった。



店の壁には、所狭しと、彼女のここまでの「写真」が飾られていた。
見ているだけで、胸が「キュン!」とした。
沖縄のJAZZの歴史が、そこには、あった。



奥にカウンター、中ほどに「ソファー」が並べられ、反対側には、アップライトのピアノが1台。
狭いステージがあった。

ピアノの伴奏者(名前を失念してしまった)の到着が遅く、かなり待った。
多分2時間くらいである・・・
待ったが、その助走距離は、突然の僕に当然与えるべき「飢え」を感じさせる必要な時間であったと思う。

ピアノさんが、ソロを披露する。バランスの良いソロである。
女性らしい、やさしい音色であるが、そのバランスが、情緒に流さない音である。
2曲終わって、「リクエストはありますか?」とやさしい。
躊躇無く「フライ ミー トウー ザ ムーン」をリクエストした。
リリカルであった。

そして、小さな彼女・穏やかな口調・普通の「おばちゃん」はステージに上がったその時、信じられないほど堂々として、スターの輝きを放ったから、驚いた。
歌の内容を、物語のように語って、やがて、ピアノのイントロが流れる。
圧倒的な「声量」で彼女の歌声に包まれた。



「イフ」「ミスティー」「サマータイム」「マイファニー バレンタイン」
彼女らしい、曲が続いて、僕は「ウルウルな」状況であった。

たまらなかった!

沖縄に来て良かった!

ありがとう、f本観光である。



演奏果てて、与世山さんと並んで、写真を撮ってもらった。

持って行ったCDに、恥ずかしくも、サインを戴いた。

家に帰って、CDを眺めた。

サインはあった。

夢ではなかったのだ。


PS・インターリュードを12時半に出る。余韻に包まれたままに、ベッドに包まりたかった。僕はホテルに・・・・・・しかし、f本氏、OQ氏はここから、「民謡酒場」にタクシーに乗ったのである。驚くべきあさましさである。
2時をまわって、ご帰還だったらしい・・・・・・・・・・・・・・・
コメント (10)
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