NABAから依頼頂いて、ある大学の看護科1年生のクラスにメッセージを届けに行かせて頂く。
100名近い学生を前にし、しかも授業の一環であると言う責任の重さ、さすがに緊張した。
摂食障害は、その症状の激烈さに(大量の食べ物を食べ、吐き出す。成人した人間が30㎏を切るほど痩せてしまう等々)そこばかり注目させるが本当の問題はそこでは無い。
その奥にある。
現に私は症状が治まってからの方が生き辛く、苦しくNABAに繋がった。
私が症状を発症したのが40年前。
そのころ「摂食障害」なんて言葉は一般的に知られていなかった。
それが、こうして公の場で語れる日が来るなんて、、それを考えただけでも感慨深い。
人間、長く生きて見るものだ、、と思う。
ありがたい事に、色々な場所にメッセージを届けに行く機会を与えて頂いている。
メッセージを届けた後、2,3日虚脱感、、に襲われる。
重く、苦しく、、沈んだ気持ちになる。
以前は、それが嫌だった。それを押し殺し、わざとテンションを上げていた。
でも、最近は「あ~。私にとって、これは辛い事なんだな、、」と思える様になって来た。
今日は一日、グダグダしていた。
やっと、こういう事が出来る様になって来た。
インストラクターの仕事の件で、かなり無理な注文のメールが来た。
「それは、きついです。無理です。」と返信する。
こうやって、少しずつ「NO」が言える様になって来た。
本当に、少しずつだが変わって来ていのだろう。
100名近い学生を前にし、しかも授業の一環であると言う責任の重さ、さすがに緊張した。
摂食障害は、その症状の激烈さに(大量の食べ物を食べ、吐き出す。成人した人間が30㎏を切るほど痩せてしまう等々)そこばかり注目させるが本当の問題はそこでは無い。
その奥にある。
現に私は症状が治まってからの方が生き辛く、苦しくNABAに繋がった。
私が症状を発症したのが40年前。
そのころ「摂食障害」なんて言葉は一般的に知られていなかった。
それが、こうして公の場で語れる日が来るなんて、、それを考えただけでも感慨深い。
人間、長く生きて見るものだ、、と思う。
ありがたい事に、色々な場所にメッセージを届けに行く機会を与えて頂いている。
メッセージを届けた後、2,3日虚脱感、、に襲われる。
重く、苦しく、、沈んだ気持ちになる。
以前は、それが嫌だった。それを押し殺し、わざとテンションを上げていた。
でも、最近は「あ~。私にとって、これは辛い事なんだな、、」と思える様になって来た。
今日は一日、グダグダしていた。
やっと、こういう事が出来る様になって来た。
インストラクターの仕事の件で、かなり無理な注文のメールが来た。
「それは、きついです。無理です。」と返信する。
こうやって、少しずつ「NO」が言える様になって来た。
本当に、少しずつだが変わって来ていのだろう。