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文学や史跡で登場するマチを旅しながら、折々、紹介することを心がけています。

幼き原田康子さんの帰郷 「ぶぶる釧路の街歩き 01」220714

2022年08月01日 10時29分37秒 | 催事
釧路停車場 大正6年12月開業 「ぶぶる釧路の街歩き 01」220714

「ぶぶる釧路の街歩き」,その起点は釧路駅。
現在は乗降改札口のところに3個のスタンプが用意されている。参加の章に今回は、一個のみ押印。
さて、出発。と申しても、正面入り口の外に出てみることではあるが。

紹介の一のポイントは原田康子著『海霧 Umigiri』エピローグの一節。
1930年6月、東京からの列車が
「厚内の短いトンネルをぬけ」
「海は濃霧にとざされていた」情景でむすぶ。
「二歳の曾孫は毛布にくるまれて、ふたり掛けの椅子をひとりで占領」という形で、自画像を示す。

康子さんは、原田惣吉翁から数えて4代目。昭和3年1月1日生まれの作者にとって、このときは満2歳5か月ほど。小説『挽歌』を描く1952年ほどまでには、30年余の時間が流れる。
近親者の方が申されるには「この間の余白を埋める、その強い思いをもっていたのだが」と、聞かれたことがある。

一つのポイントで、少なくも<6個の物語>。それが、このツアーのめざす点。
7月14日の時には、ほかに二点。1)現在の根室本線両端には沼、2)停車場は「「停車場通」の起点。以上、3点。
1)を細くするに現「ベガス・ベガス」と「林田クリニック~旭町立体橋間」には、それぞれ沼があった。
2)釧路停車場は大正6年12月開業で、当時の正面入り口は「停車場通」の起点。現在のMOO位置が「西幣舞0番地」で、停車場は「西幣舞67番地」内に相当ということ。
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