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文学や史跡で登場するマチを旅しながら、折々、紹介することを心がけています。

XML 昭和36年建立の背景 水難殉職碑・塘路二股230525

2023年05月27日 12時11分31秒 | 旅紀行
​​​  昭和18年7月、塘路二股=釧路川&阿歴内川合流点で水死者が出た・
 当時、配された二体の観音石像には上屋が用意されて、今に継承されている。
 そこに殉難碑が建立された。1961年のことである。

 水難事故は戦中の出来事ながら、土地の人は多くを承知している。
 小説『挽歌』が世に出され釧路湿原の語は作中に用いられていないが、「湿原」の語は作者がすでに示していた。
 五所平之助監督は映画『挽歌』の一シーンに、なぜか、この地をロケ地に選んだ。

 映画はヒット。その年の観光客。
 釧路市への入込数は70万人に達していた。そう伝聞している。
 釧路市丹頂鶴自然公園。そこに放鳥されるタンチョウの捕獲地も「二股」界わい

 碑が建立の昭和36年。標茶町立自然公園条例が施行され、その条例では識者の意見を聞いて、指定地区が選定された。

​ 「塘路」「茅沼」。指定対象地の公示は条例施行規則ですすめられたか、​​公示であったか今は、記憶がない。
 関係者は注目したに違いない。「ビューポイントの受け入れ装置」。
 石像を説明する形で標碑の建立。そう、地域に歴史を読み込んでおくことにしたい。
コメント
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