昭和18年7月、塘路二股=釧路川&阿歴内川合流点で水死者が出た・
当時、配された二体の観音石像には上屋が用意されて、今に継承されている。
そこに殉難碑が建立された。1961年のことである。
水難事故は戦中の出来事ながら、土地の人は多くを承知している。
小説『挽歌』が世に出され釧路湿原の語は作中に用いられていないが、「湿原」の語は作者がすでに示していた。
五所平之助監督は映画『挽歌』の一シーンに、なぜか、この地をロケ地に選んだ。
映画はヒット。その年の観光客。
釧路市への入込数は70万人に達していた。そう伝聞している。
釧路市丹頂鶴自然公園。そこに放鳥されるタンチョウの捕獲地も「二股」界わい
碑が建立の昭和36年。標茶町立自然公園条例が施行され、その条例では識者の意見を聞いて、指定地区が選定された。
「塘路」「茅沼」。指定対象地の公示は条例施行規則ですすめられたか、公示であったか今は、記憶がない。
関係者は注目したに違いない。「ビューポイントの受け入れ装置」。
石像を説明する形で標碑の建立。そう、地域に歴史を読み込んでおくことにしたい。
当時、配された二体の観音石像には上屋が用意されて、今に継承されている。
そこに殉難碑が建立された。1961年のことである。
水難事故は戦中の出来事ながら、土地の人は多くを承知している。
小説『挽歌』が世に出され釧路湿原の語は作中に用いられていないが、「湿原」の語は作者がすでに示していた。
五所平之助監督は映画『挽歌』の一シーンに、なぜか、この地をロケ地に選んだ。
映画はヒット。その年の観光客。
釧路市への入込数は70万人に達していた。そう伝聞している。
釧路市丹頂鶴自然公園。そこに放鳥されるタンチョウの捕獲地も「二股」界わい
碑が建立の昭和36年。標茶町立自然公園条例が施行され、その条例では識者の意見を聞いて、指定地区が選定された。
「塘路」「茅沼」。指定対象地の公示は条例施行規則ですすめられたか、公示であったか今は、記憶がない。
関係者は注目したに違いない。「ビューポイントの受け入れ装置」。
石像を説明する形で標碑の建立。そう、地域に歴史を読み込んでおくことにしたい。