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文学や史跡で登場するマチを旅しながら、折々、紹介することを心がけています。

三木露風―龍野城―脇坂淡路守―蝦夷地寺院―北斗市・トラピスト修道院―赤とんぼ 北海道との縁250218.

2025年02月18日 09時38分40秒 | 季節
 1889年生まれの詩人が1920年。と言うから31歳の時。
 その時から「4年間、日本文学の講師として修道院に滞在し、『赤とんぼ』『野ばら』などの歌詞はここでの体験をもとに生まれたと言われて」いる、と。
 (北海道北斗市観光協会「三木露風の詩碑」
  
https://www2.nhk.or.jp/school/watch/bangumi/?das_id=D0005230080_00000 )。

 「赤とんぼ」。その詩情、それに歌われる種は<なんとも北海道的>。
 歌詞を耳にするたび、なんとなく念頭におもうけべてきたけれども。
 母が離婚で婚家に露風を残したまま、居なくなり祖父母が養育。次第に文学に傾倒すると。
 そこを山田耕筰が<哀調こめて>作曲。そういうことのようだ。
 「NHK名曲アルバム 赤とんぼ」では、龍野川、たつの市街、龍野城へとシーンが変わる。
 龍野城は江戸時代中期の寺社奉行 脇坂淡路守 安董(わきさか やすただ)居城ではないか。
 脇坂の名は蝦夷地建立の三寺院―有珠・善光寺 様似・等じゅ院 厚岸・国泰寺―建立時の担当奉行一人(在任 寛政3年―1791年 34最―~文化10年―1813年 53最―20年)

 蝦夷地寺院創設後には「三業惑乱 さんごうわくらん」。
 「西本願寺の教義をめぐる争論」にして、「大谷派の香月院深励の影響を受けて仏教教義に通暁していたこともあり、かなり踏み込んだ調べ」を行った。
 「文化3年(1806年)7月11日に判決を下し、西本願寺に対して宗門不取締の咎ありとしたが、宗教の教義をめぐる争論であることも考慮して、100日間閉門という軽い処分」

 「安董のこの判決は名裁きであると、老中首座松平信明からも賞されている」とされる。 
 三木露風―龍野城―脇坂淡路守―蝦夷地寺院―北斗市・トラピスト修道院―赤とんぼ 北海道との縁250218.
三木露風は国立国会図書館「近代 日本人の肖像」に、その経歴とともに紹介されている。
https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/6246/

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