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増収、減反、旨み実績 佐賀段階&新佐賀段階210816

2021年08月16日 08時59分59秒 | 技術
 佐賀段階 さがだんかい
 1)水稲10a当り平年収量では96年現在も全国で6位(518kg)と高い水準。
 2)1935年前後に電気灌漑などをとり入れ水稲の生産性が大幅に上がった事象
 3)ダムの完成(1957)で佐賀平野の水害・干害が緩和,
 4)60年代には集団栽培が効を奏し、65&66年と連続して10a当り米収量日本一を実現→〈新佐賀段階〉で脚光。
 https://kotobank.jp/word/%E4%BD%90%E8%B3%80%E6%AE%B5%E9%9A%8E-1323554 

 【筑紫平野】より
 筑紫平野は九州一の農業地域であるが,佐賀平野と筑後平野は異なった特色
 佐賀平野は日本屈指の米作地帯
 1935年前後には品種改良や農業技術の進歩により反当り収量が全国一=〈佐賀段階〉
 第2次大戦後の停滞期ののち,1965年,66年と再び反収全国一に。
 70年代以後の政府の休耕転作奨励により〈うまい米〉づくりに転換。反収は減少,また一部ではれんこんなどへの転作も。

 https://suido-ishizue.jp/nihon/11/06.html 
 江戸期を通じて、佐賀平野に目立った百姓一揆の記録はない。
 旱魃[かんばつ]と水害が繰り返される地域で一揆が起こらなかったというのも珍しい
 ウンカの被害も大きかった
 享保の飢饉[ききん](1732)では、人口のほぼ二割に相当する8万人が餓死。
 しかし、「暴動もなく、一団は整然と長崎や大阪の奉行所へ訴えた」
 成富兵庫茂安の業績で最大は「水をめぐる社会秩序の形成」。
 増収、減反、旨み実績 佐賀段階&新佐賀段階210816
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