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文学や史跡で登場するマチを旅しながら、折々、紹介することを心がけています。

身はサラリーマンであっても、自身の人生の経営者 丹羽宇一郎氏の<ことば>かみしめる230515

2023年05月15日 10時28分35秒 | 記録
さきに本ブログで「<弘法大師の供養に通じる> 『お接待船団〜和歌山・徳島〜』230422初回放送」を書かせてもらった。

 この番組では、200年は続くという「有田接待講」で二人のキーマンが登場する。
 その家柄は、「みかん農家三代目」と「1818年からは続けているという醤油製造元」。
 その後継者が、講の代表や世話役となり、危険をおかしても四国・鳴門にわたる一行を励まして渡帆してきた。

 それぞれが異口同音に語る。
 「代々家業が続いてきたのも、『大師様のお蔭』、跡継ぎ者が立派に事業を受け継いでくれるのも、『大師さまのお蔭』」。
 継承する当代もまた、別々な言い方で語る。「(講の代表・世話役を務めることは)父からの遺言、母の言い伝え」。

 経済の論理で申すと、「代々にわたり発展させてきた『営業権』『財産権』の相続」。
 「利益があがれば『やる気』も起きるが、『儲からなければ売るなり、廃業する』なりのこと」。
 ただ、経営者には「誰にも代わってもらえぬ、当事者責任と経営能力」を持ち合わせる。
 「給料日を前に、明日の支払いをめぐって、どこの家も夫婦喧嘩が絶えない」。
 そうも申す。「自分たち夫婦の支払いで喧嘩をする」はサラリーマン家庭。経営者家庭では「従業員の給料支払いを巡って喧嘩になる」。そうではないか。

 一見、関係がないかに見える「有田接待講―弘法大師―醤油製造元&みかん農家」。
 経営当事者ならでは実感の「お蔭―恩返し―自身の分も含めて<お遍路さん>に託す巡拝」。
身はサラリーマンであっても、自身の人生の経営者 丹羽宇一郎氏の<ことば>かみしめる230515

 千葉県から徳島へ。女性元看護師さんの収録言を詳録しておく。
  「(森田美由紀アナ)<お接待>を受けつぐ人が居ます」
 「業務量が増えて忙しくなって」。「だんだん自分が患者さんに対して時間を割けなくなって」「人に優しくなれないとか」
 「それでどんどん、自分のことが自分で嫌になっていくって、いうのがつらくって」。

  「(同 高野さんは)看護師をやめて遍路の旅にでました」「そこで有田講の人と出会い」「(鳴門にくることのできない有田の代わりに)<お接待>を受けつぐ人に」

 「(鳴門・霊山寺で)有田の人たちが楽しそうに、うれしそうに<お接待>しているのを見るのも」&「お遍路さんたちが嬉しそうにお接待をいただいていくのを見るのも、本当に幸せでした」

  「(同 高野さんは))その後、毎回、接待講に参加するようになりました」
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二股 久著呂軌道橋 「挽歌橋」 作品舞台としての釧路川本流&支流阿歴内川合流点

2023年05月14日 10時30分23秒 | 記録
二股 久著呂軌道橋 「挽歌橋」 作品舞台としての釧路川本流&支流阿歴内川合流点

「釧路湿原を流れる釧路川と、塘路湖から流れるアレキナイ川の合流地点にある二股と呼ばれる場所で、映画『挽歌』の撮影が行われました」。
 「映画が撮影された1957年当時、ここには木造の大きな橋がかかっており、そこで桂木の妻と愛人が密会するシーンが撮影されたことから「挽歌橋」と呼ばれるようになりました」。
 「残念ながら橋は取り壊されて、橋げたの跡がわずかに残るのみですが、今も『挽歌』に魅せられたファンがこの地を訪れているそうです」。

 「塘路 日本最大の湿地・釧路湿原」。
 「湿地東部の塘路は、塘路湖を中心に大小5つの湖沼が点在する」。
 「かつて挽歌橋がかかっていた二股は塘路駅から徒歩10分程度だ」。
 「サルボ展望台、三角点、二本松などの展望ポイントでは、それぞれ違った湿原の表情を見ることができる」。
「文学散歩第29回 『挽歌』ゆかりの地 北海道・釧路市」
   https://jpn.nec.com/nua/sanpo/29/

 「怜子は、桂木の知らないところで桂木夫人にも近づき、桂木夫人が持つ不倫の秘密を知ってしまい」
 「美貌の桂木夫人と未知の青年との密会を、偶然目撃した彼女は、急速に夫妻の心の深みにふみこんでゆく。」
  「原田康子「挽歌」若い女性はなぜ寝取られ男と不倫の恋に落ちるのか」
  https://syosaism.com/harada-yasuko/ 
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「名所」=釧路川舟運の「道標」  釧路川機械船就航と「二股」230525

2023年05月13日 12時12分15秒 | 記録
r:maroon;"> 「名所」=釧路川舟運の「道標」  釧路川機械船就航と「二股」230525

 大正五年四月、釧路川に機械船が就航する。釧路合資会社の釧路丸と、正置運送部のみゆき丸である。みゆき丸は七トンの動力船。正置運送部の正置 幸は釧路で鉄工場を経営し、折からの漁船動力化に備えて動力船を作ったものの漁師には買ってもらえず、使用させても利益があがらず、川運送に就航させればと考えたと『標茶町史考』にある。

 石川氏の回想記(註 石川◆氏 標茶町市街で「十字堂菓子店」を経営)の回想記には、午前六時にモシリヤを出帆し午後四時に標茶へ到着。川舟で三日間の道のりが動力船で一〇時間。「当時としては革命的な輸送機関」とある。(舟は)“経済も文化も、家庭の備品から家屋の木材まで運ぶ”標茶の生命線との思いが石川さんには強い。

 氏はまた、荷物の揚げおろしと進路の用をなす「名所」という場所の指定があったことを記し、かますはぶり・一の萩・塘路・二股・岩保木・クチョロ・二本松・千葉牧場・冷水・二ツ山・五十石・終点、などを挙げている。二股は◆頁で説明した。二本松は国道から分かれた久著呂への道がJR線を過ぎ釧路川を横切る橋のところをさすらしい。
(佐藤宥紹著「釧路川の汽船輸送時代」 『釧路川文化論』 37p 釧路短期大学・標茶町教育委員会発行 1996年)。
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洪水に見舞われ、紙パルプ業発祥地 釧路国釧路郡別保原野230510

2023年05月12日 19時36分14秒 | 記録
 洪水に見舞われ、紙パルプ業発祥地 釧路国釧路郡別保原野230510

 洪水に見舞われ、紙パルプ業発祥地 釧路国釧路郡別保原野230510

 別保原野 べっぽげんや は、別保原野は釧路川下流部に位置し、1895年から97年にかけて北海道庁が釧路国でおこなった「殖民区画測地」で設定した殖民区画地の一つ。
 以下は『釧路国勢一班』(1911年)による。
 「別保原野 移住農民戸数 17戸77人 処分地積 1,777.7町歩 未処分地積77.2町歩 今後収容見込数 8戸 備考 農業日雇生計普通」とある。

 「釧路国では、1895年より1897年までに区画を測設した面積が208万坪にのぼり」
 「原野別に殖民区画地の入植状況をみると、釧路市街に近い別保原野と、鉄道沿線に位置する大楽毛、庶路、音別、尺別、直別、足寄、上利別、陸別の各殖民区画地では開拓が進み、開拓と鉄道との密接な関係を認めることができる」
 
 「釧路以東で入植者が多い区画地は尾幌原野」「また北方の内陸で入植者が多いのは、舌辛、弟子屈の両区画地であった」
 「区画地では、バレイショ、エンバク、イナキビ、トウモロコシ、ソバ、アズキ、ダイズなどおもに穀類が栽培され」
 「農業のみで生計をたてることが困難なところでは、日雇、製炭、伐木等によって農外収入を確保していた」(古川史郎著「北海道第一期拓殖計画時代」 『新釧路市史 第二巻』所収 45p)。

 釧路市緑ケ岡の「命名理由」に「旧名別保原野の一部にして」とある。
 釧路仏舎利塔と北海道釧路湖陵高等学校むすぶ路線(釧路市道 旭橋通3及び同2)の北側に位置する領域は「別保原野」の一部とされた。
 北海道庁は明治20年代に殖民区画地=本州から移住者を受け入れる「開拓可能な土地として選定された土地」を測量して決定した領域の一つ。
 昭和7年8月、一部が「緑ケ岡」になった。
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<弘法大師の供養に通じる> 「お接待船団〜和歌山・徳島〜」230422初回放送

2023年05月11日 09時51分52秒 | 放送
 <弘法大師の供養に通じる> 「お接待船団〜和歌山・徳島〜」230422初回放送

 巡礼お接待
 それは<弘法大師の供養に通じる>。<昔、修行僧に住民が一夜の宿、一飯を供し、支えた>ことに始まるという。
 一番札所「霊山寺」に<お遍路巡行>がはじまる春の一週間。瀬戸内各地の港から、舟を仕立てた<お接待船団があつまる>という。

 キーワードは「二百年続く伝統」「名産のみかんを集めて船に」「3月4日から一週間」。
 村には「お接待世話役が約百人」「お接待品を積み霊山寺に向かう船は、海難にあうことなく大領に恵まれる」。
 出船と世話役の希望者が絶えない。ご利益というか、お接待の効果がテキメン。かく語り伝えられている。

 「二百年続く伝統」。
 往時は瀬戸内各地の港から、「お接待船が繰り出した」。
 戦時、戦中、戦争直後。モノのない時代を経過し、「お接待」の風は姿を消している、と。
 放送時の昭和50年。和歌山・有田から徳島・鳴門に向かう船は、8艘あった。

 遍路に歩く人に、旅の途中に<行旅死>の恐れがあった。
 「死したら、近傍の人がその地に埋葬してくれる」。そこを「<人の情け>に支えられ、接待は<遍路者にとって命綱>であった」とする。

 旧暦3月4日にはもっとも多い、遍路行の始まりがあるという。
 有田の世話役が鳴門にとどまる一週間、一人500円の経費と米一升をさしだす。その間、鳴門のヒトのおもてなしに与る。当然、質素に過ごす。
 7日目。霊山寺から有田の村人にむけ、<お札>が託される。つつがなく届けて、有田発鳴門行きの「お接待船団」は<結願>となる。

 修行僧対象、転じて全国から集まる市民。<弘法大師の供養に通じる>に重ねて、「自身が巡拝できぬ、私も同道させて」ということかも。
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生涯学習施設・高等教育機関・アートパブリック 文教風致地区の主柱 旧サルウシナイ川跡230510

2023年05月10日 08時26分25秒 | 記録
 23年5月10日を期して、『Review 城山 Moshiri-ya」001に取り組んでみました。
 初号は「山林から搾乳牧場 旧サルウシナイ川源流部ーゴルフ場跡地 緑ケ岡公園」と「別保原野」を掲載しています。
 旧サルウシナイ川は現緑ケ岡公園内に源流部をもち、釧路川本流にそそぐも、今は源流部を思わせる<水たまり>に<川跡の痕跡>が残る伏流河川です。

 流域に国指定史跡「モシリヤチャシ跡 (史跡釧路川流域チャシ跡群)」に、釧路市武道館、鶴ケ岱公園らの生涯学習施設が現存します。
 釧路短期大学、北海道釧路北陽高等学校、北海道教育大学釧路校、 道東ヘアメイク専門学校らの高等教育機関が並列します。
 学園台高架橋の足元にはタンチョウと亀の装飾品、釧路保健所北面の擁壁にはアート画が施され、「パブリックアート」の片鱗が用意されています。

 2013年に地域史研究を分担されている方と研究プログラムを立ち上げた。
 2020年年になって、その到達点を「城山モシリヤ学コミッション」という形で、いくつかの成果を遺すことにしている。
 そのいくつかの試み。その一つをニューズレター、文献Rviewという形で<見える化>しようと考えている。

 生涯学習施設・高等教育機関・アートパブリック 文教風致地区の主柱 旧サルウシナイ川跡230510
 今回はその一端を紹介してみることに。
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機の深心・凡部の自覚&悪人正機・肉食妻帯 「宗教・仏教から現代社会のあり方を考える」 230506

2023年05月09日 08時15分59秒 | 催事
 機の深心・凡部の自覚&悪人正機・肉食妻帯 「宗教・仏教から現代社会のあり方を考える」 230506

 世に『教行信証』と申すもこの書名の本はなく、『顕浄土真実教行証文類』とされる。
 草稿本の完成は1224=元仁元 げんにん 年4月15日とされ、この時を本書の成立年とした。
 中に「元仁元年[元仁とは後堀川院諱茂仁の聖代なり]甲申に至るまで」が、その該当箇所であると、言う。

 2023年は数えて800年にあたる。真宗10派はそれぞれに、記念行事を「法要」「慶讃行事」という形で実施。
 去る5月6日には宗教学者の島薗進氏、ジャーナリストの池上彰氏に、釈徹宗師がパネリストを務め、「シンポジュウム3 宗教・仏教から現代社会のあり方を考える」。

 出席者から寄せられた質問用紙の中から三題。
 「宗教と道徳との違い?」を問う内容もあったが、「宗祖のどの思想に注目するか」、と。
 そこで島薗氏は「機の深信」「凡部の自覚」を、池上彰氏は「悪人正機」「肉食妻帯」と指摘。

(’註)「機の深信」=「落ちるしかない救われようもない私(機の深信)が、必ず取って捨てず、必ず救う阿弥陀仏(法の深信)に出あわせていただく」の思想。

 <シンポ3の趣旨>は概ね三点。
 「社会の生きづらさや、時に押し寄せる喪失感・虚無感は、人間に何を求めさせるのか」。
 「その時、人はなぜ神秘に魅了され、集団に導かれるのか」
 「カルト問題も蔓延る社会に対し、宗教とりわけ仏教に求められる役割とは何か」

 特に島薗進氏は釋徹宗師とともにnhkETV「こころの時代〜宗教・人生〜 シリーズ『問われる宗教と“カルト”』VOL.1」に登場していたメムバー。
 番組での一連の発言とあわせ、パネリスト3氏の発言がたいへん、興味深かった。

 終わって8日。
 このGW中に「韓国で合同結婚式 日本から約550人」報道。
 USA元大統領のビデオメッセージに、日本の元首相の写真も会場に。二人の親密さとも重ねて、世の中、どうなっているのやら。
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思想深化か 開祖90歳、仏祖80歳 「親鸞聖人にまなぶ」 230507

2023年05月08日 08時38分24秒 | 催事
 思想深化か 開祖90歳、仏祖80歳 「親鸞聖人にまなぶ」 230507

その道では「釈迦を仏祖」「親鸞を開祖」と申すのであろうか。
 この連休、二つのシンポをYouTube配信で視聴した。一つは5月7日午後も90分。
 いとうせいこう、宮崎哲弥、二階堂和美氏らをパネリストに迎え。シンポジウムⅢ「親鸞聖人に学ぶ」 。

 なかで、いとう氏か宮崎氏。どちらであったか、一人が注目。
 「鎌倉時代、実に<90歳まで>生きた、それ自体が<凄いコト>」
 「親鸞が90歳、釈迦が80歳まで生きたことが、思想の深化を産み出したのではないか」。

 かつて宗教学者の山折哲雄氏は「86歳で親と鸞、つまり漢字画数の差を感じさせずに<同じ規格>で書き上げる生命力」。
 そうしたことを『京都学入門』に書いた。

 いつの頃合いであったか、釋義昭も「親鸞90歳、釈迦80歳、教説をしっかり吟味した」。
 そう申したことがあったが、信念であったか、他者の見聞であったか。
 パネリストをまとめる釋徹宗師も「<出家仏教>としてインドで生まれるも、日本にたどりついて<在家仏教>という、まったく性質を変えたものに」と。

 会場で10歳代のヒトからよせられた質問。
 「歴史が好きで司馬遼太郎を読んでいる」「そこには『鎌倉時代は<親鸞を生み出した時代>であっただけでも、すばらしい』とある」。
 「(パネリストにとって)それぞれが好きな言葉を」。

 いとう氏「たとえば人を千人殺してんや、しからば往生は一定すべし」と仰せ候いしとき」(『歎異抄』 第13章)の一句。
 宮崎氏「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」(同 第3章) 
 二階堂氏「たとい法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄に堕ちたりとも、さらに後悔すべからず候」(同 第2章)
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一時の幻? 勤労男性一人働きで<家族育てる>賃金・年金・老後の今230506

2023年05月07日 10時30分06秒 | 放送
 一時の幻? 勤労男性一人働きで<家族育てる>賃金・年金・老後の今230506

番組でコメントする女性教授の舌鋒は鋭かった。そうでhなかった、か。
 「もし、子どもの数を増やしたければ、やれること、やることは決まっていて、女性の就業支援、男性の育児家事参加」。
 「シングルマザーの年収は100万円にすぎない」
 「子どもは二度と増えない」「貧乏婆さん=BBになるな」。

 23年5月6日放送。BSテレ東 【これだ!日本 ~経済復活へのリーダーシップ~】。
 出演の関西大学政策創造学部教授・白石真澄氏は、歯切れ良く訴える。
 「頭の良い役人は『計画』を掃いて捨てるほど、策定した」「しかし、誰も実行しようとしなかった」。

 ここからは筆者の年来の所感。
 そもそも、「一次産業は古い、みなサラリーマンになれ!!」「家から職業教育を奪い、女性には『性差分業差別』を強要した」。
 「完全就職」「専業主婦」「(学校に)教育ママ」を産み出したが、「年金制度はまもなく積立型から後世代拠出負担型に」。
 
 企業は生産拠点の海外移転。「こんな筈では、なかった」。
 「サラリーマンになれ、定年後は退職金と年金で安心」。誰のための政策誘導であったのか。
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早稲田大学街の新時代=「自分の変化、大事にじて」 「よみがえる新日本紀行 都の西北 東京・早稲田」

2023年05月06日 08時55分19秒 | 放送
 大学街の新時代=「自分の変化、大事にじて」 「よみがえる新日本紀行 都の西北 東京・早稲田」
 
 昭和52年、ディレクターは<靴磨き屋>に自ら靴を磨いて貰いながら、談話を録画。
 「今の学生は余分なこと言わない、世間話もしない」。
反面、「親父!!、『世話になったなー』と、律儀に挨拶していく学生も居なくなった」.
 「かわって、最後の靴磨きのつもりなんだろうネー」。
「さりげなく靴を磨かせて、帰ってゆく学生をみかける」。

 「よみがえる新日本紀行 都の西北 東京・早稲田」が5月6日朝、放送された。
早稲田大学周辺のマチで新入生の表情、サークル活動、若者が集う名物食堂などを通じて学生街のにぎわいと青春群像が描かれている。

 「あれから46年」。
 40年通いなれた喫茶店で<マチ並み>を眺めながら・・・・・。
 文化構想学部 長谷部真人教授(63)はシミジミと語る。、

 「男子が多かった、バンカラで上下関係の明確な日本社会の難しさが姿を消して」
 「留学生と女子学生が増えて、明るい華やかな雰囲気にかわりました」。
 「それはそれで、良いのですが・・・・・・」と、続けながら。
 最後に「自分が変化していくこと、大事にじてほしいな、と。そう思う」。
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やる気なし勤労者、人間規格化、富裕層蓄積 “燃え尽き症候群”生むシステム230503

2023年05月05日 08時13分09秒 | 記録
 やる気なし勤労者、人間規格化、富裕層蓄積 “燃え尽き症候群”生むシステム230503

 23年5月5日。こどもの日にあたる<国民の祝日>。
 内閣府はその意義を「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」と、示している。
 <明るい未来>を期待する時代もあったが、昨今は「隣の保育園児が園庭で遊ぶ声はうるさい」、「夏休みラジオ体操の拡声音はカセットラジオで小さな音に」。

 こどもは<邪魔者&厄介者>ではないか。
 5月3日午後。nhkBS1で、「なぜ仕事がツライのか “燃え尽き症候群”生むシステム」が放送された。
 三つのキーワード群に注目した。

 A)ある調査によれば、「熱意にあふれる社員」の割合はわずか2割、「やる気のない社員」は6割、
 B)教育は「意味もわからずに働く人間」、つまり規格型人間を育ててきた。
 C)生産所得と賃金の伸び率、その乖離=差は金融市場の投資ギャンブルに使われ、マネーゲームで<世界でわずか1%に過ぎない富裕層>に集まっている。

  USA型教育ですすんだ本邦の戦後教育。
  ドイツとの違いが強調されるも、欧と米の労働生産性の差異でもあるや。
そのうえ、我が国では「金融緩和不発 ため込む企業 「人への投資」急務」

2019年8月29日に『東京新聞』ネット版 https://www.tokyo-np.co.jp/article/2179が伝えていた。
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点が線に=A)「デジタル住民」、B)「一日住民」、C)「移住民・・・・人」 「Dear にっぽん 新潟・旧山古志村」230430―後―

2023年05月04日 08時43分51秒 | 記録
 点が線に=A)「デジタル住民」、B)「一日住民」、C)「移住民・・・・人」 「Dear にっぽん 新潟・旧山古志村」230430―後―

 第二は、その<点が線>になる続きの話。
 ポイントは「1988年以来、35年続いた<古志の火祭り>が、フィナーレを迎える」にあった。
 高さ25メートル、点火すると50メートルの高さまで燃え上がる<茅を束ねた火柱を立てられなくなった>。

 そこを「山古志地区では人口減少と高齢化が進み、さいの神作りに必要なカヤを集める人も足りなくなった」と、廃止のやむなきに至った。
 生活支援相談員は奮起する。「その模様をSNS&オンラインラジオで」。
 そこを県内の「IT・Uターン者」も支援に参加。最後の点火を「緻密に映像記録」。
 当日は実にB)「一日住民=3000人」の盛況になった、と。

 番組では、県内の「IT・Uターン者」にマイクが。「(旧山古志=ここに)住んでみる気持ちはありますか」。
 青年♂は答えた。「いえ、ここにはコンビニもスーパーもありませんから」。
 さて、一過性のイベントを超えて、C)「移住民・・・・人」は誕生するや。

 でも、考えた。近代を形成し、拡充させてきた<製造物主義>。
 その到達点に「ハコ=箱モノ&脱炭素社会」が残された今、「既存の投資=ハコモノを有効利用する<非製造物業種>への投資」こそ、あって良いのではないか。

 A)=「点」、B)=「線」、C=「面」につなぐ投資を検討したい。
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点が線に=A)「デジタル住民」、B)「一日住民」、C)「移住民・・・・人」 「Dear にっぽん 新潟・旧山古志村」230430―前―

2023年05月03日 09時23分54秒 | 記録
 点が線に=A)「デジタル住民」、B)「一日住民」、C)「移住民・・・・人」 「Dear にっぽん 新潟・旧山古志村」230430―前―

 地域起こしを担う<地域住民グループ代表>の竹内春華(42)は、今日も、片道60分をかけて旧山古志村に向かう。
 地域の食堂を訪ねて担当者からメニューの説明、出来上がりの雰囲気、口に運んでの実感をSNS&オンラインラジオで伝える。「匂い、それはお伝えできません、紹介の写真から、どうぞ」。
 「生活支援相談員」。その肩書きで地域に入り、二冬の春。

 「山古志にある課題や『山古志』を紹介して、その解決策を一緒に考え、実践して」と、プロジェクトを立ち上げている。
 1)一に中越地震、2)は長期間にわたり避難した村人は戻ってこない、3)2000人余居た村民は800人ほどに。
 そこで、考えた。「さまざまな能力をもった住民が集まり、なにか出来ないか」。「山古志の文化をこれからも残したい!!」。

 4月30日放送「Dear にっぽん デジタル村民とつくる未来 新潟・旧山古志村」nhkG午前8時25分。
 ポイントは「山古志アートアバター」をつくり、そのデータを買って(? 無料もある)くれた人を「デジタル住民」として「地域情報の受け手にする」こと。
 働きかけの結果、「Aデジタル住民=1000人」が登録し、旧山古志村民800人を超えることになった、と。
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営農計画&収穫量に影響 海外実習生への依存230501

2023年05月02日 09時44分56秒 | 記録
営農計画&収穫量に影響 海外実習生への依存230501

 ネットに「『外国人技能実習制度』の廃止が意味するのは"特別な日本"の終わりなのか?」の見出しを眺めて、すかさずアクセスしてみた。
 ニューヨーク出身の「ニュース解説、コメンテーター」の解説であることが、残念な思いをしながら、ページをたぐってみた。

 「日本人の働き手が見つからない現場に"安い労働力"を供給するシステムと化していました」。
 「体よく法制化された奴隷制度ではないかという長年の批判を受け、ついに政府も重い腰を上げた」ようで。
 そうした寸評がまず、目に飛び込んできた。

 掲載のスライドは、22年9月3日に「郷土の歴史・文化の再発見企画. 演劇 『アイヌ逓送人 吉良平治郎』」を話させてもらう機会に用意した一枚。
 COVID-19は、エッセンシャルワーク概念も明示させたが、他方で「外国人技能実習生に依存しないと営農に支障をきたす現実」が明瞭になった。

 本州資本が当時、蝦夷地と呼称された北海道に投資する一方、アイヌ民族を補助労働力として編成し<人間の尊厳も種の保存も危機>に誘導した。
 その目で海外研修実習生の処遇をみていると、「江戸時代=現地に投資&在留者を補助労働力で組織化」が、「現代=開発途上国人材を吸引労働力で経営補完」

 往時「輸入奴隷」の語がなかった、か。
 著者のモーリー・ロバートソン(Morley Robertson  1963~)氏は書く。
 「『先進国・日本の技術や知見を得られるのだから低賃金でも当然だろう』『日本で学んだものを持ち帰って故郷に錦を飾ればいい』などと本気で思っていたのでしょうか?」

 さらに問うている。
 「外国人の話題はどこまでも人ごとで、関心を向ける対象ですらなかったのでしょうか?」。
 「無関心で居ることも、無関係で居ることも」許されるか。日本人の賃金も労働時間も<開発途上国> 並みに転じてはいまい、か。
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東北・北海道が<首都圏&中部圏、関西圏>の植民地であったからではないか230430

2023年05月01日 09時25分44秒 | 記録
 東北・北海道が<首都圏&中部圏、関西圏>の植民地であったからではないか230430

 最近、北大通について自身はどう、向き合うと良いのか。そう聞かれている。皆さんはどう考えるか。230428記載に続き、その第二弾。
 
 そもそも「北大通」とは、なんぞや。
 どのように成立したものか、その淵源を探ることからはじめたい。
 2022年の6月中旬に電話があった。「7月30日に小学生を北大通にあつめ、<北大通あるく会>をしたい」。

 「小学生を北大通を説明する」。その機会を用意されたら、あなたは1)どの地点に集合し、2)そこでどのような光景を視野に修め、3)なぜここを選んだのか。
 そこから考えてみてはどうか、その集合地点の選択によって、その後の説明が「わかりやすい」「よくわかる」だけでなく、そこから「歩きはじめる意味が見えてくする」。

 違うであろうか。
 A)北大通の繁栄は<石炭に支えられ、鉄道網で結ばれた地点と住民と経済>に支えられていた。
 
 以下、小学生には難解でも、<大人向け>にはなんとかなるや。
 B)本市の経済指標を<右肩上がり>に支えてきた経済は、本州経済を補完する性格が顕著で、北大通=中心街はその投資対象地の一つであった。
 C)本市の経済が右肩下がりに転じたいま、<在来専門店の閉店。廃業>が課題ではなく、今も<代替投資&開発起業>を支える<新たな産業基盤>が、生み出されていない。

 <石炭と鉄道>に加え<漁業・木材・製紙と港湾>が縮小し、では<航空とIT,IoTの時代>が到来したか。そうではないであろう。
 <水素燃料化>もすすんでいない。重要港湾を擁しながらも、起業形成力が脆弱ではないか。

 モノの譬えに、つぎの話題はいかが、か。
 「こちらの地域では、隣家との間に<塀>の造作が見当たりません」。
 「治安が高く、その必要がないのです」。答えは一面では正解なるも、もう一つの正解。
 「母屋を立てるだけで精一杯、塀にまわす経費がないのです」。

 <経済の底の薄さ>。東北・北海道が<首都圏&中部圏、関西圏>の植民地であったからではないか。
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