豊原国周 歌川豊国 歌川国貞
※ タイトルが無いのでわからないが、料亭のようなところで大きな檻に鳥を展示していたようである。
真ん中に孔雀が見えるし、右には各鳥の図の展示が見られる。
歌川豊国
中村大三郎 石川清彦 二点
河野薫 和田修三 ?
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コノテーマも過去に取り上げているが、鳩は古来多くの絵に描かれている。
神聖な鳥として
ペッととして
Giovanni Antonio Pellegrini ヴィーナスとクピド 二点 Emile Eisman Semenowsky
Charles Joshua Chaplin Angelica Kauffmann Sir Joshua Reynolds
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日本でも古くから「花鳥風月」として鳥は重要な画材である。
歌川国芳 都鳥 菊川英山 時鳥 歌川貞景 燕
◎ 細田栄之「諸鳥十二禽」 三点と下絵三点
◎ 迦陵頻伽
「 迦陵頻伽」は極楽浄土にいる上半身は人間、下半身は鳥のハイブリッド生物である。
右端最後の絵は「迦陵頻伽」ではなく、似ているが西欧の人魚の時に取り上げたシーレン(Siren サイレン)である。
美しい歌声で船人を迷わせる恐ろしい存在なのである。
葛飾北斎 迦陵頻伽
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歌川国芳 都鳥 菊川英山 時鳥 歌川貞景 燕
◎ 細田栄之「諸鳥十二禽」 三点と下絵三点
◎ 迦陵頻伽
「 迦陵頻伽」は極楽浄土にいる上半身は人間、下半身は鳥のハイブリッド生物である。
右端最後の絵は「迦陵頻伽」ではなく、似ているが西欧の人魚の時に取り上げたシーレン(Siren サイレン)である。
美しい歌声で船人を迷わせる恐ろしい存在なのである。
葛飾北斎 迦陵頻伽
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本日から愛鳥週間ということで
Emile Munier Johann Caspar Herterich Michele Gordigiani
Jean Baptiste van Loo Victoria Francisco
Zuber Buhler
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Emile Munier Johann Caspar Herterich Michele Gordigiani
Jean Baptiste van Loo Victoria Francisco
Zuber Buhler
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西欧では絵ハガキのセットとしての四季の女性が好まれるらしい。
そこで比較的新しそうな四点セットをならべてみた。
一段目の女性は見たような顔ぶれでおなじみの美人画をもとにしたもののようである。
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男子の節句ということで女性とは関係なさそうだが、母親が飾り付ける姿や子供と一緒の姿として描かれる。
喜多川歌麿
喜多川歌麿 五節句 上の右端の絵を中央に連続した五節句全体画像
北尾重政 奥村政信 歌川国芳
歌川国貞 鳥文斎栄之 勝川春潮
◎ 歌麿,国芳、栄之や春潮、下の北斎の背景に注意すると、古くは鯉幟は屋内外とも見られず旗幟がほとんどだったようで、それが暁翠描く明治ごろには鯉幟になっている。
葛飾北斎
川鍋暁翠
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喜多川歌麿
喜多川歌麿 五節句 上の右端の絵を中央に連続した五節句全体画像
北尾重政 奥村政信 歌川国芳
歌川国貞 鳥文斎栄之 勝川春潮
◎ 歌麿,国芳、栄之や春潮、下の北斎の背景に注意すると、古くは鯉幟は屋内外とも見られず旗幟がほとんどだったようで、それが暁翠描く明治ごろには鯉幟になっている。
葛飾北斎
川鍋暁翠
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◎ 鈴木春信 風俗四季歌仙
この組物は「四季とあっても14作品が集まっている。そのうちの六点を掲載した。副題の「立春」とか「神無月」によると九月が欠けているだけだが、一月・三月・四月が二枚有る。つまり一年12か月を描いたもので九月も在ったことは確かだろう。
※ 神楽月は先日の歌麿の霜月も似た絵だったが、正装した女の子を肩に乗せた現在でいう七五三の宮参りの図なのである。
立春 弥生 水無月
仲秋 神楽月(11月の異称) 極月
◎ 鳥居清峯 青楼四季之詠
この組物も9作品集まっていて六点掲載したが特に時期を示す文字は無く僅かな回りのもので季節を示すだけで、最後の絵は全く季節には無関係である。西欧の四季の絵が女性の姿を通して各季節を描く狙いがあるのに対して、これは花魁の姿を描くのが本筋だからだろう。
◎ 揚州周延 四季の詠
このシリーズは季節毎の情景を女性を通して描いているのだが これも四点セットではないようである。
四点あっても「冬」がなくて春と夏の中間があり、冬が存在していたとしても四点セットではない。
因みに下二点の雪景色はこのままこのセットに入れてもおかしくないがまったく独立した絵のようである。
これまでのことから「四季」という言葉は「四つのシーズン」という用法以外に「一年の内のいろいろな季節」という漠然とした内容の用法があってむしろこちらの方が多用されているから、Four seasons が即「四季」にならないといえよう。
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この組物は「四季とあっても14作品が集まっている。そのうちの六点を掲載した。副題の「立春」とか「神無月」によると九月が欠けているだけだが、一月・三月・四月が二枚有る。つまり一年12か月を描いたもので九月も在ったことは確かだろう。
※ 神楽月は先日の歌麿の霜月も似た絵だったが、正装した女の子を肩に乗せた現在でいう七五三の宮参りの図なのである。
立春 弥生 水無月
仲秋 神楽月(11月の異称) 極月
◎ 鳥居清峯 青楼四季之詠
この組物も9作品集まっていて六点掲載したが特に時期を示す文字は無く僅かな回りのもので季節を示すだけで、最後の絵は全く季節には無関係である。西欧の四季の絵が女性の姿を通して各季節を描く狙いがあるのに対して、これは花魁の姿を描くのが本筋だからだろう。
◎ 揚州周延 四季の詠
このシリーズは季節毎の情景を女性を通して描いているのだが これも四点セットではないようである。
四点あっても「冬」がなくて春と夏の中間があり、冬が存在していたとしても四点セットではない。
因みに下二点の雪景色はこのままこのセットに入れてもおかしくないがまったく独立した絵のようである。
これまでのことから「四季」という言葉は「四つのシーズン」という用法以外に「一年の内のいろいろな季節」という漠然とした内容の用法があってむしろこちらの方が多用されているから、Four seasons が即「四季」にならないといえよう。
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「四季」のタイトルを持っていても数も多く四つの季節に分けられてはいないし広重には「冬」に相当するものがない。
それどころか清長の方は場所が示されているだけで、季節的なものさえ見当たらないから四季を描き分けているとは考えられない。
歌川広重 四季の花園
鳥居清長 四季の富士
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それどころか清長の方は場所が示されているだけで、季節的なものさえ見当たらないから四季を描き分けているとは考えられない。
歌川広重 四季の花園
鳥居清長 四季の富士
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西欧の Four Seasons に対応する浮世絵の「四季」四点セットはさぞかし沢山有るだろうと思っていたら、それが期待外れなのである。
とりあえず下の三組をごらんあれ。どれも四作品揃いではない。
単純に考えれば、一枚は失われて残っていなかったり、あっても見つからなかっただけかもしれない。
ただ「四季の何々」という組み物だから「四点セット」であるとは決まっていないものがあるのである。
それらについてちょいとばかり検討しようというわけである。
ついては、歌麿の副題は「睦月の女郎買い・皐月の魚売・霜月の宮詣」とあって春夏秋冬の語はないということ、日本の絵には季節を描く揃いものに「雪月花」という三点セット、「五節句」という五点セットがあることも気にとめておく必要があるかもしれない。
それにしても歌麿の霜月はどういうことを描いた絵なんですかねぇ。
喜多川歌麿 風流四季の遊
歌川国貞 四季の内
鳥居清峯 (新版)今様四季の花
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