出かけようと自転車を出したらパレットで買い物を終えた
小さな子供連れのママに質問されました。
「卵抜きで柔らかいパンが焼けますか?」
「どうしたらよいのか分からないんです」
週に一度お子さんにパンの日があるらしいのです。
卵や生クリーム等の乳製品を入れて練ると
パンはソフトになりますがソレらがアレルギーで
食べられないなら
もっちり感を出すには豆腐や豆乳を入れて
練ると湯種を入れたように焼きあがったパンは
ソフト感とは違いますがもっちり感は出せるんです。
僕は今その実験中ですから聞けば手練だそうで
僕も手でミキシングしてデータをお知らせすることにしました。
今日は嘘みたいに早々と仕事の終わりが見えたので
大将のところに行ってみようと思ったんです。
このよう気だから皆はもう葬儀場に行っていまっているだろうから
行っても居ないと話してましたが
それでも 兎に角行って見たいと思ったんです。
彼の母は皆から「ちゅうバアちゃん」と呼ばれていて
最初は何で?と思ってたんですが先年百歳を越えて亡くなられた
「大(おお)バアちゃん」が居らしたので「中」が付いたと思われます。
僕が着くと「Kさん」と呼ばれてこの町のイベントには何かと
関わっている大将の高校の恩師は既にカウンターにいて
僕も挨拶。
自宅の玄関開けて呼んでみた時は
大将 「これからお棺に入れるから・・・」
そう まだ中バアちゃんは家に居たんです。
俺はいいけど(見るのは)見てみる?なんて憎まれ口たたきながら
長い線香を一本あげたあとで対面させてもらいました。
僕が話していた頃にはこれほどの美人だとは思っていませんでした。
シワも無く肌には張りがあり眠っているような
穏やかな顔をなさってたんです。
亡くなる前は苦しそうに顔がゆがんでいたように見えたそうですが
息を引き取ると顔は苦しみから解放されたのか
見る見るうちに穏やかな表情に変化したそうです。
葬儀屋さんが迎えに来るのを待たせてもらっている間に
Kさん持参の アイスワイン を頂きました。
氷熟ワインで味は貴腐ワインと
似ているそうです。最初は瓶の細さからグラッパかと思って
強いと飲めないからと断ったんですが少しだけでも・・・
残したら俺が飲むからと言うので飲めない癖して
舐めたがりの僕は一口頂いてみました。
ちょっとだけ舐めてみるつもりで
とても小さなグラスで一口・・・アルコール度数は10度。
上の瓶画像左は14度でしたが「甘い!」しかも梅酒より失礼ながら
どこか上品な感じがして下戸の僕がオカワリまで頂きました。
僕が母を受験期から成人式前に病気で亡くした話に
「パレットも苦労してんじゃん」で葬儀社の人達が到着。
孫達や近くに住む妹、ご主人やお嫁さんに旅立つ装束を
着せてもらい六文銭の財布の中に実際のお金も入れようと
なって皆が小銭を探し始めたので僕がポケットの中の全てを
入れると K先生「そりゃ入れ過ぎでしょう」
葬儀社の人によると一円玉は熔けてしまうそうですが
他は残るとのことでした。
地方によっては焼け残った硬貨はチップの役目をするのだそうです。
装束の着付けをしなかった大将はどこからか
百円紙幣を持ってきて「貧乏だから百円ナッ!」
棺のある部屋まで社の人とデキタ孫の Tちゃん Kさん 僕が手伝って
中バアを運んだんですが冷たく軽く硬かった・・・
社の人達が棺の中を整えていると
姿を消してた大将 外から戻ってきてポケットの中から取り出した
桜 花びらみんなポケットの中に落ちてしまっていたけれど
母の胸の上に置き
「桜が見たいと言ってたからな・・・」
ジイちゃんが最後に中バアの右手に杖を置いて
皆でお棺を閉じました。
「開けたら顔 見えんだろうな!」彼が顔を確認してたから
「当たりめぇだろマジックじゃないんだから!」と
(抜け出して後ろに立ってたらヤバイです)
不謹慎にも僕・・・さすがに回転ノコまでは誰からも出ず。
僕は中バアが可愛がっていた孫娘の T ちゃんと
棺の南側を持って外の霊柩車が待つ道路へ
狭くなってる処で彼と交代したけれど
消防車も入りにくい道路事情にオデッセイがひっそりと
待っていて中バアの棺を入れ大将の希望で
ホーンは鳴らさずに夕闇にゆっくり消えました。
いろんな話の中で「中バアは子供孝行だったね」と言った。
長く寝付くことも介護することもなくあっ気なく入院は
たったの二日でした。
中バアの病室の窓の下の桜は満開だったそうです。
もうすぐ大学の寮に入る予定だった孫の T ちゃんは
父親よりもシッカリしてるから中バアもきっと安心して
逝けるうちにと焦ったか?
僕より何十年も長く母親と暮らしていた彼は
車が走りさってから「やっぱり 悲しいもんだな・・・」
断片的にしか聞いたことがありませんでしたが
桐箪笥屋の娘だった中バアの人生もけっこう壮絶な時期があって
まだ中バアがお店に出ている頃ははカウンターに座っている
お客達といろんな話をしてたんです。
音楽祭なんかでも「今年の音は・・・」なんて僕より聴く耳持っていて
何度も驚かされました。
人生の話も息子が聞かない分僕なんかに よくしてくれました。
食事の最後に奥で静かなジイが落としてくれたコーヒーを
飲むのが僕は好きでした。
いろんな人達とこの店や町、イベントで友人知人になれました。
この町に入ると誰でもない自分になれるような気がします。
釣も好きな友人は腕や膝の調子が悪いとか聞きました。
友人のリールのハンドルは痛む腕側じゃなければいいのだけれど
僕のリールはキャストが殆んどだからほぼ全てのベイトは左ハンドル。
黒く小さくオモチャみたいで憎めないミッチェルは右だったか?
友人は体調も悪いと聞いたけど そろそろ「のっこみ」シーズンだから
心配になります。まぁ僕に頼んでくれれば車椅子押して
岸壁までなら恩着せがましく行ってあげてもいいのだけど
お礼は予約の取れないレストランなんかより
ホットドックとコーヒーがイイ・・・
釣を一緒にやったら僕のがきっと下手だと思うけど
僕には車椅子押し係りが似合ってる?
若い頃に各種のスポーツを存分にした人達は僕ぐらいになってから
無理させた身体に故障がおこるようで
これから先は気をつけて大切に使わないとね。
帰りに呉服屋さんの跡継ぎが始めたカフェの前を通りました。
先代は僕と役員会で毎度顔を会わせてたんですが
もう引退なさって何年かが過ぎました。
カフェのフロントはバイクで行った飛騨高山の茶房を思わせる余裕。
中バアが煙に乗って上から見れば
下界は見たいと言ってた花吹雪。
あなたの息子とアホ仲間達も
世間を知ったふうな口きいて下でウロウロしてると思います。
なんでもない極普通の日々が
心に痛みや悲しみ孤独なんかも感じない
そんな特別な日々に感じられたら最高ですね。