宝泉寺も過ぎ、今度は陶祖公園に行ってみました。
陶祖公園には、陶祖加藤藤四朗の功績を称えて建立された六角陶碑があります。
さぁ、自転車を置いて階段を上っていきます。
紅葉はもう終わりだと思っていたのですが…
階段を上がっていった先には六角陶碑を保存してある建物がありました。
高さ4.1m全体が29個の部分からなる日本最大の焼き物との説明書き。
この陶碑、いったいいつ頃建立されたと思いますか?
なんと、慶応3年(1867年)今から142年前なんですね~。
地震などもあったと思いますが、よく倒れずに今日まで無事に、と思ってしまいました。
さて、せっかくなので陶碑がある位置からもうちょっと上に登ってみることにしてみました。
いままで上の方にまで行ったことがなかったのですが、意外に景色がよかったです。
瀬戸の街並みが一望
動物もいました。
こうして瀬戸をあらためてみると、すぐ山が近くにあり緑がたくさんあって結構いい場所なんだなぁと思いました。
ですが、資料館で昔の写真をみると結構悲惨な山だったんですよね。
良質の土が取れる瀬戸は“瀬戸もの”として、早くから一般庶民に受けいられていき、大量生産をしていったのですが、当時はガス電気などで焼くことはなかったので、山の斜面を利用して登り窯をつくり、多くの薪を必要とし、どんどん山の木々を伐採していきました。
それで土がまるだしの禿山に…
山に木々がないということは、災害もたくさん起こるわけで、それではいけないということでのちに治山砂防工事に力を入れるようになったのです。
そして、とりいれたのが 植栽をせずに自然に任せるというホフマン工事。
その後の治山砂防技術に対して影響を与えたようですが、残念ながらホフマン工事は愛知の風土には合わなかったり、森林造成に重点が置かれていたということで定着はしませんでした。
現在そのホフマン工事を行われた場所は、模範砂防工として残されています。とはいえ、なかなか、一般市民が見る機会はないようですが
さぁ、次は法雲寺へ。
~つづき~