2009年に胃ろうを造設してからはこちらのブログにいろいろ書いていますが、その前のときに介護していたときの気持ちを書いた日記をちょっと抜粋してみました。
要介護5になるまでの過程ではありますが、2004年の暮れにPSP(進行性核上性麻痺)ではないかと言われ、2005年は母もころぶなどそれなりに問題はあってもまだ自分である程度できていた時期なので介護に対してあまり深刻には感じていませんでした。
<2006年12月>
最近、母の病気の関係で家族会を立ち上げるのでどうでしょうか?という紙面の案内が市役所から届けられた。
HPをみても情報は少ないため、ある意味わらをもつかむような感じで、早速メールで連絡をとってみた。
その発起人といわれる人のHPが書かれていたので、みてみたが、壮絶な介護日記だったので、ちょっと腰がひけてしまった。母は発症してまだ2年。その方は6年余り。わたしの母もそうなってしまうんだろうか。正直不安がいっぱい。
母には、とにかく今動けるうちにやれることをやった方がいいといっているが、病気のせいで不安ばかりが先にたつ。症状のひとつとして感情の起伏が激しいとあるが、そこまではいかなくても、とにかく心配の種を次から次へと作っていく。まるで悩み事の問屋みたいなものだ。それにつき合わされていく家族もまた大変。少しずつ母中心の生活になってくるのだろうな、と思いつつ、どうやって自分自身、精神的なバランスを保っていくかが課題になってくる。とはいえ、わたしには有難いことに心強い家族がいる。ひとりじゃないので、助け合いながらなんとかこれからを乗り越えていきたい。まだまだ始まったばかり…。
<2007年4月>
朝はろれつがあまり回らず、目もうつろとしていますが、夜になると目がパッチリとして、おしゃべりもすごくします。
目がパッチリとしているときは、心身ともに状態がよいときですが、逆のときは大変調子が悪いということになります。
先日、眠れないから睡眠薬を余分にほしいとすごんだ目で訴えてきました。こういうときって、正直どうしようか困りますが、やはり決められた以上の量を飲むことがよいこととは思えないのでなんとかやり過ごしていきます。でも、そういうときは大体においてわたしへの非難の嵐。本人も辛いでしょうが、わたしも辛いです。それでも、以前よりも精神的に安定している日が多くなってきており、穏やかに過ごすことができています。
歩くことは、以前よりも難しくなってきました。
散歩するために外をでても、隣の家にいくことも不安に感じるようです。要するに歩くということに対して、自分自身バランスがうまくとれず、ころんでしまうのではないかという不安にかられてしまい、足が前に進まないのです。それでも、家の中ではトイレも行かなくてはならないし、それなりにゆっくりでも頑張って歩いています。今度、車いすを借りて穏やか日に花を見に出かけてこようと思いますが、タイムリミットは1時間以内ですね。
<2008年11月>
娘と一緒に母を整形外科に連れて行きました。
レントゲンをとって先生とお話をさせていただきましたが、先回より骨が圧迫されつぶれている状態ということでした。
しかし、どうにかできるというものでもなくこのまま固まっていくでしょうね、という話でした。
とりあえず母にピッタリとあったコルセットを作ることにしましたが、先生と話をしているときに見えた看護師さんが、介護する側のことを少しアドバイスしてくれました。
看護師さんの親御さんも、母と同じパーキンソン病だったらしく自分自身の経験上から、介護される側にとっては辛いかもしれないけど、動けなくなるのはもっと辛いことなので少々のことで手助けをしない方がいいということでした。
最近のわたしは、母にちょっと手をかけすぎていることもあり、自分自身の負担が過多になっているのも感じていたし、かといって手を貸さないと、とても痛そうだし、ますます悪くなってしまうのではないかという不安がありました。
ですが、この看護師さんの話や先生が座ったりした方がいいよということを言われていたので、コルセットができる来週から母には自分で座って食べるようにしよう、と約束しました。
介護する側の感情と、される側の感情のズレはよく起こることですが長く付き合うためにも、無理のないようにしたいと思います。
母の部屋からときどき5分から10分おきにカンカンと音をたてて呼ばれることがあるのですが、あんまり頻繁になってくると空耳が聞こえるようにまでなってきます(^_^;)あ~こわっ。
こういうのって強迫観念ですかねぇ
わたしにとって、一番辛かったときは要介護5になるまでの過程がしんどかったですね。本当に…。
食事の準備もそうでしたが、母の日課となっていた新聞切り抜き部屋の中が大変なことになっていたり、毎回の食事も床がベトベトになって片づけが大変だったり、もちろん正月から泣いていたこともありました。介護って半端ないです
週2回のディサービスにもあまり行きたがらず、送迎を私自身がしていたので送っていったら、もう迎えの時間という感じで、先の見えない介護にとても疲れてしまって。
先日大島監督が亡くなられ、介護されていた奥様が一時期精神的にうつになった話がでていましたが、わたしもまさしくその一歩手前だったかもしれません。
でも、今は制約は相変わらずいろいろあれども、以前にも書いたように目がクリッとしている母の顔をみていると癒されるような気持ちになったりするようになりました。要するにかわいいおばあちゃんになったんですよね。
そして、母のおかげでわたしもちょっぴり成長できたのではないかと思います。
それに介護については娘もかなり頼りになりますし、ほかにケアマネさんやリハビリの先生、訪問看護師さん、ディケアの職員さん、業者さんに主治医の先生とさまざまなひとに助けられながらここまで来ています。本当に感謝です
これからも心身の健康のためにボチボチ自転車に乗ったり、何か未来に向かってチャレンジする気持ちをもって深刻に考えずに介護をのんびりしていきたいと思います。