少し暖かくなったかなと思ったら、また寒さが舞い戻ってきました。
市内の道路には温度計が設置してあってそれが電光表示されるのですが、昨日は母の送迎担当のディケアの職員さんから1℃でしたよと言われ驚き、きょうはきょうでお昼に買い物に出かけたらたったの2℃。
家の中も思ったようになかなか室温が上がらず、しっかり着込んで過ごしています。
ところで、我が家には実は炊飯器がありません。というよりは、以前友人の子どもさんが通われている高校のフリマで購入した炊飯土鍋が4年目突入していますが今もって活躍中のためです。
もちろん鍋帽子も…。もう1個ほしいくらいです
土鍋でご飯を炊いて鍋帽子で保温。
ホカホカの白いご飯みると、なんだか幸せな気分になってきます。
でも、そんなご飯もそのときの体調やお腹の空腹具合、また一緒に食事するひとによって、美味しさが倍増したり喉を通らなかったりします。
基本わたしは何を食べても美味しいと感じることが多い人間ですが、たぶん偉いひとと共に食事したり、また自分の身の丈に合わないような場所でひとから美味しいからと言って進められて食事するようなお店では、きっと緊張して美味しいとは感じないような気がします。
自然に任せてなった実のものも、体には良いでしょうけど美味しいかといえばそうでもなくその年の気候や環境でまずいときもあります。
すごいシェフのひとが作った料理も、案外自分にとっては近くで食べる食堂の味の方が美味しいと感じることがあるでしょう。
ひとが感じるのは千差万別です。
きょうは18年という歳月ある作曲家の方の影で曲を提供し続けていた方の会見がありました。
芸術も音楽もですが、作品以外の付加価値のようなものに影響され素晴らしいと思ってしまったりすることがときどきあります。それが本当に自分自身が感動してその作品がいいと思ったなら別にいいのですが。
わたし自身いろいろなことに造詣が深い人間でもないですし、評論家でもなんでもない。だからこそ、分析することなくたとえ有名なひとでなくても自分にとって単純に好きな作品であればそれはそれでいいものだと思ってしまうんです。
今回の会見でみんなをだましてきたことはいけないことだけど、作品がいいと思った人は大事にして否定してほしくないなと。
自分にとってこころから美味しいと思ったり、素敵な作品を見たり聴いたりして感動した瞬間や時間。幸せですよね、やっぱり。大事にしたいものです。