お良しなさい日記♪

三浦半島からこんにちは!

行ってよかった、大航海!小笠原紀行 <ありがとう、さようなら編>

2017年06月24日 09時51分41秒 | おでかけ旅がらす

 

 2017年5月12日(木)、母島滞在 最終日となりました。

同宿のご夫婦の、ご主人様が、「とうとう この日が来ちゃったネ・・」と、朝食に行くとき玄関で、私にぽつっとおっしゃいました。・・・まったくおっしゃる通りです、あっという間でした・・・。

 

 基本のチェックアウトの時間は決まっているのですが、「ゆっくり、どうぞいいですよ」と、お宿のおねえさんが言ってくださって、お良し、名残惜しい時間をお部屋で過ごす・・・

でも、9時には宿を出て、母島での残り時間を、到着してからの時間と訪れた場所をいとおしむように、集落散策で過ごしました。。。

(大きな荷物は、11時に宿の方が、母島乗り場に届けてくださることになっている。お弁当も頼んだ

 

 どこへ行ったかといいますと・・・

 神社でございます

母島には二つ、神社がありまして、元地集落の南側 石次郎海岸へ行く急坂を上った左側の石段を登ったところにあるのが、こちら

『御嶽神社』さまです。

 下の道路から、けっこう石段を上がり、右へ左へと参道を歩きます。

 木が生い茂っていますので景色は見えませんが、道路沿いに、たしか夕日と一緒に写真が撮れる立派な朝礼台みたいなものが設けられていて、そこから海を見ることができます。一昨日に行った、『鮫ケ崎展望台』が、このように見えまして、うわぁー・・・

 急坂を下って帰ってきた、元地集落。前を向いてこれを撮ってい るお良しの背中側、坂!って感じ わかりますか?

 前浜海岸で、サンゴのかけらを見る。このような物が、たっくさーん落ちています。さすが南国

持って帰ることはできませんので、写真にパチリッ

 

 そのサンゴのかけらがいっぱいの浜の端っこでは、鳥たちが何かをついばんでいました。

 それから、母島乗り場の手前にある急な階段を、またまた、よいしょっ、こーらしょっ と登り、

 『月ケ岡神社』さまへお参りしました。

 境内には‘メグロ’ も多い、と、観光地図に書いてありますが、出会ったのは、メジロみたいですねー。

 

神様に、ブツブツお礼を述べていると、

ぷおーーーーーーーーーーっ!!!

と、ほんとうに大きな、元気いっぱいといった感じの、`ははじま丸’ の入港の汽笛が聞こえてきました、いきなり!

 境内の端に、下が良く見える場所があり、「はい! お良しさん、お迎えに来たでござるよ」とばかりに、ははじま丸が、スイスイスイスイ入ってきて、あっという間に接岸!

(写真 下の方にタラップが見えていますね)

この高い所からは、階段ではなく、坂道で港の北側に下りることができました

 

 

 漁港の建物に、こんな楽しいものがぶら下げてありまして、「どんな人が働いているのかなぁ~」と、会いたくなりました

 一昨日、ネムリブカがいっぱいたむろしていてビックリした港には、小さな魚が泳いでいました。

 漁港を取り囲む道には、こんな、マメ科の植物と思われる種がたくさん落ちていました。三浦半島で見られる「山藤(ヤマフジ)」に似ています。道路に落ちていても発芽の機会がないな・・・と思って、道路のすぐわきの、草木が生えている崖(山)の中へ ポイ しました いーけないんだぁ、いけないんだー 国立公園内で、人間が、こんなよけいなことしちゃイケナイんだぁー お良し、警視庁行き

 

 。。。。。

 

 とある場所にさしかかったとき・・・「ん? なんだろうか???」と思って近づいていくとぉ・・・

 

 っえーーーーー うっそー 生で初めてお目にかかりました!

太陽にキラキラ輝く ウミガメちゃんー love 

このウミガメちゃんは、甲羅に海藻をしょってます この大きさで、何年ぐらい生きているのでしょう?

 

 私が顔を出したら、ちゃんと見えていて、近寄ってきて目が合って、頭を上げて、口を開けて「プッハ!」とか言うんですよ~

かわいいの なんのって 会えて嬉しいよぉー 神社の神様、最後にまた素晴らしい出会いをありがとうございました。

 

 

 三叉路で自撮り!

(鏡の中を注目)きれいな海も見えています。

 その三叉路は、この写真(沖港)の左端にあります。

奥の浜は、サンゴのかけらがたくさんの`前浜’ です。

 

 まだ時間があったので、月ヶ岡神社の隣にある「清見ヶ岡鍾乳洞」の方へ行ってみました。清見ヶ岡鍾乳洞は、観光協会の許可がなければ中を見られないようです。お良しはそんなことも知らずに、入り口だけ見学。

 ちゃんと神様が祀られています。

 鍾乳洞のまわりの林の中には、以前の、どれくらい以前なのかわかりませんが、人々の暮らしの跡の、古そうな石垣がありました。

これは、`カルスト石’ というもので造ってあるようです。

とにかく、小笠原諸島は、戦況が厳しくなってきた昭和19年、住民全員の本土への強制疎開が行われ、49年前に日本に返還されるまで、失われた時間が過ぎたのです。硫黄島には、まだ誰も帰ることができません。

(私は、宿の本棚で小笠原諸島の記録本を見つけ、熟読しました 信州松本のお殿様、小笠原貞頼が発見したので、小笠原と名付けられたと知り 戦前の島の暮らしの写真もたくさん見ることができました。とても平和そうな、独自の文化生活を感じました)

 

 前夜の太鼓の練習でたまたま知り合った女性にお願いして、記念に撮ってもらいました

お良し、トレードマークの`首てぬぐい’ が おしゃれでしょ(?)

 

 

 12:30、母島のみなさんに見送られて、とうとう 母島を後にする・・・

鯉のぼりではなく、`ザトウクジラのぼり’  

 

 

なんといっても感動したのが、 ペットボトルのお水で描いてくださった、ザトウクジラ と ハハジマメグロの絵と、See You の文字。お良し、もう大泣き 心を込めて描いてくださったのは、母島観光協会の方でもある、昨夜の太鼓の先生!

 どうもありがとうございましたー エ~ン 「ぜぇったい、また来ますー

 

 白い防波堤燈台が遠ざかっていく・・・

ははじま丸、速く走り過ぎー

 

 頭の中に、この曲が流れてきました・・・

NHKテレビ放送中 『新日本風土記』テーマ 「あはがり」 ユーチューブへ飛ぶ

 

 

 母島。 崩れている。 上の方に高い山が(この写真ではなく)。 昨日行った、「乳房山」かなぁ・・・とか、しみじみ懐かしむ。

 

 遠ざかる母島。だんだんと薄らいでいく島影。

あそこにいたんだ・・・、と、自分がすごいところに居たんだと思う。

 

 

 ひとしきり物思いにふけったら、おなかが空いて、パンをかじる。

あ、まだ母島が見えていますね。早々と食べたんだっけ 悲しくて やけ食い???

 

 

カツオドリがお見送り・・・。

 

父島との間、けっこう沖まで、漁船が漁に出ていまして、驚きました。母島から20kmは沖です。

 

「ありがとう、母島。ありがとうございました、母島のみなさん・・・。」!!!!!


 

 

 3泊4日という短い間でしたが、母島での日々は自分なりに凝縮されていたので、寂しく、未練がまだありました。でも、

「なんだか、今 住んでいる所をもっと見直してみよう」という気持ちが湧き、「さぁ、帰ろう」という、背筋をしゃんとする気分でもありました。これまでと、これからの生活を見つめ直す機会となった旅でした。

 

 2時間ほどで父島の二見港に到着。

父島は街!でしたよー 信号がある大通りがあり、車もそこそこ走っている

生協などのお店屋さん、さすが資生堂!の販売契約店の看板がある薬局 。島の人の手作りのお土産屋さん、なんとcafeのようなテラスのある飲食店  

(写真 奥に、おがさわら丸が、デーンと見えています)

 

 なんと 横須賀にもある、『ペリー記念碑』(アメリカ合衆国 ペリー提督上陸記念碑)が父島にもあることをはっけん

「えーっ!クジラを追って、ペリーさん、ここにも来てたんだー」と、なんだかどこまで行っても横須賀から離れられない・・・

 

 父島の子供たち。

郵便局へ葉書を出しに行ったので、その真向かいに合ったバス停に下校途中のにぎやかな子供たちを発見!

港まで戻ってきて、ボニンブルーの海にまた感動。

 母島では、おもに浅いところを見ていたので・・・、大型船舶が停まれる岸壁は、たぶん水深がある。だから、より深い青色に見えるのでしょうか?

 おがさわら丸と と 二見港。 尖山は、「旭山267m」???

父島には、約2時間しかいられませんでした。おがさわら丸は、15:30に、東京港へ向け出港します。

 

 乗船すると、みなさんがお見送りをしてくださいます。小笠原太鼓 お良し、知ってるフレーズがあったよ 2004年に、東京で太鼓のお教室に参加したとき習った叩き方が、ここで出てきたのに気づきました。ららららー

 

 ばぁーん ばぁーん ばん ばん ばぁーん

というどらの音。小笠原民謡のBJMが聞こえ、ぷぉーーーーーーーー!!!!! という出港の合図の汽笛。

 

 いよいよ、おがさわら丸の船体が、父島の岸壁から離れていく・・・。

 

 お良しのまわり(デッキ)では、おもに若者たちが、島に残る知り合いの人に大声でいろいろなことを叫んでいました  

下からは、「また来てねー」の声。

 

 はい、これが自称「にっぽん一のお見送り」風景です。

事前の知識では、漁船団が並走してくれるのだとばっかり思っていましたが、父島のお宿とかの、クルーズ船が、たくさん たーくさん、おがさわら丸をどこまでも追っかけてきてくれて、お見送りしてくれます!ホント、感激します

「また来まーす!」と、思わず言っちゃう・・・と書いてあったのがわかります。

最後は、海に飛び込んで、気持ちを伝えてくれます。温かいお見送り、ほんとうにありがとう!

 

 

 午後6時過ぎ、最上階で落日を見ました。

同じ船に乗り合わせた、多くの乗客とともに、みなさん黙って、静かに、この小笠原の旅 最後の太陽を見送ります。

 

 

 あ・・ああ・・・ぁ・・ さようなら…

 

 おがさわら丸も、ピンクに染まります。

 

 ああー、おなかすいたえー。 夕飯夕飯 母島のお宿で作ってもらったお弁当 いっただっきまぁーすっ おいちー

 

 この晩は、ほっとしたのか、熟睡 おがさわら丸の、グゥーッ というエンジン音が子守歌・・・。

 

    翌朝は、予報通りの 大雨!

久里浜港で降りた方が早く帰れる、という人が多く、豪雨の中、大勢が下船しました。

京浜急行バスが臨時増発便を何台も用意してくださり、おがさわら丸に横付けで、京急久里浜駅までサクサクと移動。

 

でっもー。お良しは、雨の中、傘をさして、東京湾フェリーターミナルまで歩き、そこからバスに乗りました。

 おがさわら丸は、雨中でこんな状況

最後に試練が待っていた・・・という悲壮なキブンでしたよー

 

 東京湾フェリーとともに。

さようなら、おがさわら丸 ほんとうに どうもありがとう。ごくろうさま。

 

 バスの中から、スタコラと久里浜港から出ていくおがさわら丸の後ろ姿が、雨にけぶって見えました。エントツから黒い煙を吐いて、豪雨の中を東京港へ向かってさよならしていきました・・・。また、乗れるかな・・・?

(久里浜港下船に時間がかかったから、急ぎ足で竹芝桟橋へ向かう必要があったのでしょう。なんたってお客さんは、そこからさらに各地へ決まった列車などで帰る予定があるのですから)

 

 車窓から見る、横須賀の街は、なぜか小笠原が幻だったように、その(横須賀の)姿を懐かしく見せてくれているようでした。

 

見慣れた京浜急行の電車に迎えに来てもらって、なんだってこんな雨降りなの という状況の中、やっとこさ家にたどり着きました・・・ あ、駅近かのお地蔵様に、「無事帰ってこられました、感謝します」と、ご挨拶しましたよ 傘をちょいっと上げて。

 

 

 ものすごい雨ふりがわかっていたので、お良し人形も、ぐるぐる巻きのビニール袋入り状態で帰宅

「ミイラみたいじゃん!」と、主人。

主人も両親も、よかったよかった・・・ と、無事帰還を喜んでくれました。

 

 

 最初の回で書いたこと  駅近かのお地蔵さまの正体が、帰宅してから判明しました。

 

「岩船地蔵」さまといって、航海安全 と 水難除けのお地蔵様でした

ときどき願掛けに、信者が首を持っていくが(たしかに首が取れていた。が、今はセメントで固定してある)、満願すると戻される。首の貝飾りは、お礼の奉納。

ということですが、何気に拝んでいったお地蔵さまが、まさに航海の神様だったとは・・・ どんぴしゃり わぁー。

やっぱり、私はこの旅に、行くべきして行ったのではないでしょうか?

 無事帰宅のお礼に、貝で作った首飾りをかけてあげなくてはいけない・・・と思っていて、まだ実行していないお良しです 早くしなくちゃー

 

 5月いっぱいは、まだ船に揺られているような感覚がありました。

 

  何不自由ない、恵まれた日々でした、みなさんに心から感謝です  

   (・・・というか、船だから、島だから、と、気負いすぎたのが そもそも考え違いでした すみません・・・。 )

 

  余分な力を抜いて、ゆっくりやれば、できるんだ。もしできなくても、諦めることはない、必ず他の道がひらける、ということを学んだ。ご飯がちゃんと食べられる胃腸の状態で、汗も出やすいカラダになっていることが大事だと思いました。(体調管理

 

  小笠原諸島は、素晴らしいところです。

 

 みなさん、お元気で どうもありがとうございました。

 

 この世に生まれて、ほんとうに良かった

 

 最後までお読みくださり、ありがとうございました。この旅日記は、6月いっぱいで非公開記事とします。総集編を

します。                   2017年6月24日 管理人 お良し