(息子さんをなくされた方に会って)
スパーの出口近くにいた写真の二人の女性に話しかけてみました。
「この人の息子さんは、皆を助けようとして自分も犠牲になったの」。
左手の女性がこう話しだすと、右手の女性はぽろぽろと涙を流しました。
市の職員で消防団員であった息子さん(若杉さん49歳)は、
市の体育館付近で避難誘導を行っていて犠牲になりました。
避難場所となっていた体育館は津波を受けて、100人以上が
犠牲となり、助かったのは3人だけだっといいいます。
息子さんの遺体は津波から47日後に、
500メートルほど離れたふれあいセンターの屋根の上で発見されたというのです。
話してくれたのは、その息子さんの小学校の担任の先生で、
二人は震災後、この日初めてこのスーパーで出会ったのだといいます。
私たちにはもう言葉もありません。
せめてお二人の写真を撮らせてもらい後で送ることとしました。
「私なかなか住所が覚えられなくて」
と紙に書いたメモを取りだし、
竹駒町 字仲ノ沢
○○小学校仮設住宅○○と長い住所を教えてくれました。
ちなみに竹駒地区仲ノ沢は、千昌夫の生地です。