陸前高田と気仙沼では大分災害の性質が異なる気がします。
陸前高田は、街が根こそぎ持って行かれた感じ。
気仙沼は、海辺を少し離れると、市街地はしっかり残っていて、
街としては早くから機能したのではないか。
ただ産業の中枢である港まわりの施設設備がすべてやられてしまっている。
あえて比較する意味があるか分かりませんが。
陸前高田は、街が根こそぎ持って行かれた感じ。
気仙沼は、海辺を少し離れると、市街地はしっかり残っていて、
街としては早くから機能したのではないか。
ただ産業の中枢である港まわりの施設設備がすべてやられてしまっている。
あえて比較する意味があるか分かりませんが。
11月30日。
陸前高田からの帰路。
来る時は海側を通らずに来たので、
帰りは気仙沼を通って一関ICに乗る予定だ。
気仙沼の街に入って、津波の跡が分かる頃になったら、
いきなり道の脇にこの船がドカンとある。
画面右に小さな四角い看板が見えるだろうか。
JR大船渡線の鹿折唐桑(ししおりからくわ)駅のホームです。
駅前には駅前ロータリーがあって、壊れたモニュメントも建っている。
そのロータリーからバス通りへまっすぐ下りる道を
どっしり塞いでいるのです。
陸前高田からの帰路。
来る時は海側を通らずに来たので、
帰りは気仙沼を通って一関ICに乗る予定だ。
気仙沼の街に入って、津波の跡が分かる頃になったら、
いきなり道の脇にこの船がドカンとある。
画面右に小さな四角い看板が見えるだろうか。
JR大船渡線の鹿折唐桑(ししおりからくわ)駅のホームです。
駅前には駅前ロータリーがあって、壊れたモニュメントも建っている。
そのロータリーからバス通りへまっすぐ下りる道を
どっしり塞いでいるのです。
”バスを待っていた女性に話を聞く”
女性の家は、線路の向こうで津波は免れたという。
この船から港までは700mほど離れている。
女性はこの船が流れたから、あたりの被害を大きくしたといっています。
まだ道路もまともに開通せず、復旧に追われている時期に、
がれきを乗り越えて、たくさんの人が写真を撮りに来たという。
その人たちに、あまり良い感情は持っていないようだ。
そういうカメラマンだけにはなりたくない。
でも自分もどれほど違うものか。
カミサンが私を撮っていた。
女性の家は、線路の向こうで津波は免れたという。
この船から港までは700mほど離れている。
女性はこの船が流れたから、あたりの被害を大きくしたといっています。
まだ道路もまともに開通せず、復旧に追われている時期に、
がれきを乗り越えて、たくさんの人が写真を撮りに来たという。
その人たちに、あまり良い感情は持っていないようだ。
そういうカメラマンだけにはなりたくない。
でも自分もどれほど違うものか。
カミサンが私を撮っていた。