”気仙町 津波で半壊 取り壊されるサトウさん宅”(11月29日)
同じ日にもう一人、
息子さんを亡くされたという人に会いました。
市街を見渡せるもっと高い場所を探していたら、
山の上の方が平らになっていて人影が見えました。
登り口がどこにあるのか分からなくて、この方に道を尋ねました。
家は津波で半壊で、今日取り壊しているのだといいます。
「被害は家だけだったですか?」。
「長男が(48歳)が亡くなりました」。
サトウさんの息子さんは消防団員で、写真右手、
川に近い公民館の避難所が、あそこでは危ないから、
近くのお寺に避難するように誘導していたといいます。
車いすの人を助けて。
「あの寺の石段は最初の踊り場まで16段、その先に49段あるんです。
その途中で」、と声を詰まらせた。
写真右後方が遭難された成田山のお寺です。
忘れてはいけないという思いから写真を撮らせてもらいました。
同じ日にもう一人、
息子さんを亡くされたという人に会いました。
市街を見渡せるもっと高い場所を探していたら、
山の上の方が平らになっていて人影が見えました。
登り口がどこにあるのか分からなくて、この方に道を尋ねました。
家は津波で半壊で、今日取り壊しているのだといいます。
「被害は家だけだったですか?」。
「長男が(48歳)が亡くなりました」。
サトウさんの息子さんは消防団員で、写真右手、
川に近い公民館の避難所が、あそこでは危ないから、
近くのお寺に避難するように誘導していたといいます。
車いすの人を助けて。
「あの寺の石段は最初の踊り場まで16段、その先に49段あるんです。
その途中で」、と声を詰まらせた。
写真右後方が遭難された成田山のお寺です。
忘れてはいけないという思いから写真を撮らせてもらいました。
”気仙町 高台の畑と 菅野さん”
教えられた道を登って、この辺では最も高いと思われる場所に出ました。
まわりが鹿よけのネットが張られていて、二軒の畑がありました。
津波の日は、みんなここまで逃げてきて、
ビニールハウスの中で夜を過ごしたそうです。
「気仙町でなんでもなかった家はうち一軒だけだ」。といいます。
「復興は大変だ。土地のかさ上げするとしたらあと4,5年、
そのあとその上に街造るんだから、おれたちはもう」。
名前を聞いてさっきの人も菅野さんだったと言うと。
「この辺菅野はいっぱいいる」と言うことでした。
教えられた道を登って、この辺では最も高いと思われる場所に出ました。
まわりが鹿よけのネットが張られていて、二軒の畑がありました。
津波の日は、みんなここまで逃げてきて、
ビニールハウスの中で夜を過ごしたそうです。
「気仙町でなんでもなかった家はうち一軒だけだ」。といいます。
「復興は大変だ。土地のかさ上げするとしたらあと4,5年、
そのあとその上に街造るんだから、おれたちはもう」。
名前を聞いてさっきの人も菅野さんだったと言うと。
「この辺菅野はいっぱいいる」と言うことでした。
”菅野さんの畑から見下ろす”
一本松が見えています。
今でこそ道が分かりやすくなっていますが、
震災前の気仙町の風景をネットで探しました。
道は家の軒を連ね、
車で走るには決して幅広い道ではありません。
避難していた場所から、
「住んでいた街がずっと見渡せるようになってしまった時は何とも言えなかった」。
川から道一本のお宅でも「ここから川は見えなかった」と言います。
一本松が見えています。
今でこそ道が分かりやすくなっていますが、
震災前の気仙町の風景をネットで探しました。
道は家の軒を連ね、
車で走るには決して幅広い道ではありません。
避難していた場所から、
「住んでいた街がずっと見渡せるようになってしまった時は何とも言えなかった」。
川から道一本のお宅でも「ここから川は見えなかった」と言います。
”津波被害に会わなかった菅野さん宅”
畑から降りる時、最初のお宅が菅野さんのお宅です。
500戸あって本当に無傷だったのがこの一軒だけといいます。
でも水は下の物置を超え自宅の床下に届いたといいます。
右に取り壊し中のサトウさん宅の重機が見えます。
畑から降りる時、最初のお宅が菅野さんのお宅です。
500戸あって本当に無傷だったのがこの一軒だけといいます。
でも水は下の物置を超え自宅の床下に届いたといいます。
右に取り壊し中のサトウさん宅の重機が見えます。
”サトウさんの息子さんが亡くなられた成田山の寺”
かなりステップの短い急な石段です。
手前ヒマワリの台座の上に大きな石碑がありましたが、
画面外左に横たわっています。
踊り場の石碑も倒れています。
ヒマワリは震災後に誰かが種をまいたのでしょう。
サトウさんのお母さんが、石段の数をすらすらと言ったことが
気になりました。
母親は石段を何度も踏みしめたのだろうか。
かなりステップの短い急な石段です。
手前ヒマワリの台座の上に大きな石碑がありましたが、
画面外左に横たわっています。
踊り場の石碑も倒れています。
ヒマワリは震災後に誰かが種をまいたのでしょう。
サトウさんのお母さんが、石段の数をすらすらと言ったことが
気になりました。
母親は石段を何度も踏みしめたのだろうか。