川原で、ササゴイをフォーカスしていたら、
コチドリがファインダーに入ってきた。
通常これくらいの距離になると、コチドリは飛び立つのに、
距離を保って先へ先へと行く。
ちょっと変だなと思ったら、
川原の小石がもやもやとうごめく。
そうか、近くに雛が居たのだ。
雛を気づかせないために、親はあえてササゴイの注意を引いていたのだ。
↓ 雛が二羽います。
川原で、ササゴイをフォーカスしていたら、
コチドリがファインダーに入ってきた。
通常これくらいの距離になると、コチドリは飛び立つのに、
距離を保って先へ先へと行く。
ちょっと変だなと思ったら、
川原の小石がもやもやとうごめく。
そうか、近くに雛が居たのだ。
雛を気づかせないために、親はあえてササゴイの注意を引いていたのだ。
↓ 雛が二羽います。
5月29日。
クラブの撮影旅行二日目。
栃木市から、足尾に来ました。
かの有名な足尾銅山の産業遺跡の街です。
大昔に一度来たことがありますが、
その時は右も左もわからず過去の記憶はほとんどありません。
↓ ここの象徴としてはこの精錬所の煙突でしょう。
過去には見渡す限り草木一つない禿山も緑に覆われていますす。
龍蔵寺、旧松木村の無縁石塔。
わっ、何だ。突然のピラミッドの形に驚いた。
「旧松木村の無縁石塔」と看板が建っている。
明治17年(1884)にここに精錬所が出来た。
銅の鉱石を溶かす時出る亜硫酸ガスの煙で付近の草木は枯れてしまった。
村の記録では、4年後の明治21年には桑の木が全滅し、翌年には養蚕が廃止になった。
16年後の明治33年までには、すべての農作物が次々と無収穫になって、翌年には一戸を残し廃村となった。
新しい精錬法が開発(昭和31年)されるまで、その後50年間煙害は続いた。
その後上流に砂防ダムが出来る際、旧松木村地域の無縁仏をここに合祀した。
というようなことが書いてありました。
国の産業の土台となる銅の産出。
そのもたらす膨大な富や価値と比べれば、
旧松川村の40戸、270人の受けた苦悩と損失は
とるに足らない事だったのかもしれない。
しかし一生を公害に翻弄された人たちの苦しみは、時代と関係ない。
何か、今の原発問題を見る思いがした。
未来の人は、今の時代をどう振り返るのだろうか。
↓ 公害のあった頃は、魚一匹居なかった川が、
今は漁業権が必要な川になっているそうです。 ↓