多面体F

集会報告、読書記録、観劇記録などの「ときどき日記」

水と空気が美しかった鳥取への旅

2019年10月02日 | 
鳥取に旅行に行った。考えてみると、出雲大社や松江に行ったあと山陰線で通過はしたが、県内の駅に降り立ったことはなかったからだ。旅好きな人も含め、事前に「鳥取に行けばここ、というおすすめはないか」聞いてみた。鳥取砂丘と答える人が多いものの、島根県と混同している人が多かった。
鳥取砂丘で思い浮かぶのは、わたくしの場合、寅さん映画44作「寅次郎の告白」で寅次郎の甥・満男(吉岡秀隆)が、家出した高校の吹奏楽部の後輩・及川泉(後藤久美子)を追いかけ再会する場面である。
映画では、鳥取駅周辺、倉吉、砂丘、河原の3つの土地が出てくるので、行ってみた。

砂丘はほぼ想像どおりのボリュームだった。ただ高低差がこれほどあるとは思わなかった。海岸側の「馬の背」に行く上りは、前の人の足跡だけみつめひたすら歩いたので、軽い山歩きをしているような気分だった。ちょうど自然条件がよかったようで風紋がきれいにみえた。砂漠の底の部分に雑草が生えていたのは意外だった。環境に耐えられる植物なのだろう。また1日前の雨で、砂が泥化して固まっていたのもみかけた。
倉吉は、白壁の町として有名だが、戦国時代は城下町、江戸に入り池田家の領地になると町人の町として栄えた。歩いてみると規模は小さい。昨年訪ねた愛媛県内子町のように観光で町おこしをしようとしていたが、成果はもうひとつに感じた。しかし小川の水は美しく、ほんの2mほどの川幅の鉢谷川に大きな鯉がたくさん泳いでいた。6月にはホタルが飛び交うとの説明があった。この小川が城の外堀だったと聞き驚いた。

映画をみて一番期待したのは河原である。寅さんの昔の恋人・聖子(吉田日出子)が嫁いだ旅館「新茶屋」で、寅次郎たち3人が1泊し満男が階段から落ちて頭にケガをする。鳥取駅からバスで20分、6キロ程度というと鳥取市内でもあるし、さして不便な場所ではなさそうだが、千代川沿いの立派な田舎だった。
もちろんいまは営業していない旅館で、左はやはり休業中のスナック、右には白壁の大きな蔵があり、ドラマのなかの女将・おせいちゃんにいかにも似合う小さい建物だった。建物の裏手は千代川の河原で、鮎が名産なのできっと夏の季節には塩焼きや煮つけを出していたのだろう。家の正面は昔の街道で、寺や石造りの医院があった。わざわざ行った甲斐があった。

米子の山陰歴史館
今回の旅では、いくつか印象的な建物をみることができた。
まず米子の山陰歴史館は早大建築科を創設し大隈講堂や日比谷公会堂を設計した佐藤功一(1878-1941 栃木出身なので鳥取との縁はない)の1930年の作品だそうだ。歴史館に行くにはどう行けばよいかと聞くと、バス停「市役所前」が最寄りといわれ、バスを降りると横長の古く大きな建物があり「これが市役所だ」と思った。通行人に「歴史館はどちらに行けばよいでしょう」と聞くと、不思議そうな顔をして「ここです」と言われた。なるほど、現在の市役所は道路の向かい側にあった。
冷房がなく各展示室に扇風機が何台か回る館内には「米子の昭和の学校のようす」「米子の昭和の農家のくらし」などの展示があり、木の机が並ぶ教室が再現されていた。こういうものはいろんなところにあり、たとえば文科省の「情報ひろば」でもみた。ただここでは、立派な木箱入りの教育勅語、御真影、奉安殿(ただし昭和初期の写真)の三点セットが展示されていた。御真影はいまではだれでも見られるが、当時は現物を見られなかったはずなので、貴重だ。
鳥取市内にわらべ館という唱歌とおもちゃの博物館があった。鳥取は「ふるさと」「春の小川」を作曲した岡野貞一(1878-1941)、「金太郎」「だいこくさま」などを作曲した田村虎蔵(1873-1943)、「七夕」を作曲し大阪音大を設立した永井幸次(1874-1965)の出身地である。鳥取出身者だけでなく、小学唱歌集の編纂や東京音楽学校の初代校長を務めた伊沢修二から、「赤い鳥」の鈴木三重吉、北原白秋、さらにサトウハチロー、まどみちお、中田喜直、大中恩を経て、現代の谷川俊太郎、坂田おさむまで代表的な作詞・作曲家の作品・資料を展示していた。カラオケコーナーもあった。唱歌やNHKの「みんなのうた」まではわかったが、「世界名作劇場」のアニソンも60曲近くあった。おもちゃのフロアも充実していた。なお建物の一部は鳥取大火を免れた旧・鳥取図書館置塩章設計、1930竣工)を使っているそうだ。
県外の作曲家という点では、たまたま「生誕140年記念 瀧廉太郎展」を開催中だった。わたしはてっきり大分・竹田出身だと思い込んでいたが、じつは東京・新橋生まれで父が地方官だったこともあり、横浜、富山、竹田などを転々としたことを知った。
岡野の「ふるさと」は全国的に有名な歌だ。福島原発事故の後、官邸前の抗議集会でだれともなく歌い始め、大合唱になることもあった。わたしは国歌はないほうがよいと考えるが、どうしても1曲いるのなら国民的に定着したラジオ体操の歌(新しい朝が来た 藤山一郎作曲)、あるいは甲子園の歌「栄冠は君に輝く」(古関裕而作曲)でよいのではないかと代替案を提案する。それもよくないというなら、まだ「ふるさと」のほうがましだと思う。ちなみにわらべ館からそう遠くない鳥取城公園入り口に「ふるさと」の音楽碑(2014)があり、EXILE ATSUSHI、島谷ひとみ、グレッグ・アーウィンの英文歌詞(マイ・カントリーホーム)、少年少女合唱団、混声四部合唱など8バージョンの歌声を聴けるようになっていた。

また鳥取では、城跡近くの仁風閣をみた。まるで四谷の迎賓館のミニ版のようだと思ったら、案の定設計者は片山東熊だった。旧鳥取藩主・池田仲博侯爵が1907年に、皇太子(その後の大正天皇)の山陰行啓の宿舎として建設したものだ。片山は迎賓館のほか、東京国立博物館表慶館、旧竹田宮邸、数々の華族の私邸などを設計した。池田家というと岡山が有名だが、縁戚の鳥取池田家もあったことを知った。
皇太子行啓といえば、倉吉の打吹山の飛龍閣も皇太子の宿舎として新築された和風の建物だった。宿舎どころでなく、境港―鳥取間の鉄道開通、鳥取での電燈点灯などインフラ整備も進展した。皇室の威力だが、考えてみると1世紀後の現代でも、即位礼・大嘗祭で大騒ぎしているのだから大して変わらないともいえる。
なお建物でいうと、倉吉市役所は丹下健三の設計で1956年竣工、倉吉博物館は1974年開館で設計は日建設計である。
また河原には河原城がある。コンクリートづくり4階建ての立派な建物(1994竣工)だが、もとは城があったわけではなく創作である。秀吉が鳥取攻めで陣を置いたのは事実だが、いくら山上で景観がよいとはいえ、きれいな川のある土地なので、郷土博物館でよかったのではないかと思った。行ったときは、たまたま庭で和服姿の新婚カップルの写真撮影中だった。ちょっと期待外れだったのは、第三国立銀行倉吉支店(1908建築)だった。洋風の建物だと期待したが、和風の屋根で、これなら帰りに途中下車してみた柳原銀行・旧本店(1899ごろ)のほうが洋風建築として見ごたえがあった。

京都駅近くの柳原銀行・旧本店
この旅行のなかで、いくつか驚くようなことが起こった。倉吉駅を出るとき、時刻表では〇分発の普通があるはずなのに、改札上の掲示板にもホームの電光表示板にもなくその次の特急が発車する予定になっている。しかし停車しているのは明らかに特急ではない列車だ。もしかしてすでに時刻表が変更になっているのかと駅員に聞くと、「あの列車でよい」という。別にあわてず悠然としている。そのうち掲示の間違いは正されたようだが、JRでもこんなことがあるのか、と驚いた。
もうひとつ、ビジネスホテルに泊まり、フロントの前に缶ビールの自販機があることは気づいていた。そこで夕食後に買おうとして100円玉を入れ始めると、スタッフが飛んできて「このマシンは8年ほど前から使用していない」という。コインはそのまま素通りして返却口に落ちていた。運よく近くのスーパーがまだ開いている時間なので助かった。しかし、なんの表示もないのでまぎらわしい。
鳥取駅近くのビジネスホテルのフロントで若桜(わかさ)橋を聞いてみたが「聞いたことはあるが、わからない」とのことだった。あとで調べると駅から500mくらいのわりに大きな通りに掛かる橋だったのだが・・・。これらは観光客馴れしていないから生じるのではないかと思った。
ただ、通行人なり店の人なりだれに道を尋ねてもたいへん丁寧だった。各館の学芸員や受付の人も親切だった。人もいいし、とくに女性が品がよくかつ美人が多い気がした。
最後にふたたび建物の話になるが、赤い石州瓦だけでなく黒い瓦もがっしりしてしっかり組んである。しゃちほこ付きの屋根も見かけた。夕食に入った店で「風が強いからでしょうか」と聞くと「こちらは雪も降りますからね」とのことだった。ただ北陸のように雪下ろしをするほどではないそうだ。

倉吉の赤瓦の民家(左から2軒目が寅と泉が1泊した杉山とく子の駄菓子屋のロケ場所。店先のガラス戸に当時のポスター、ロケ写真、山田監督・後藤久美子らのサインが掲示されていた)
それで思ったのだが、福井・富山などが日本で一番豊かとか住みやすく「幸福度」が高いといわれる。その次に豊かなのは、ここ鳥取や島根なのではないだろうか。家も道路も広く、人も落ち着いているように感じた。(と思ったら、鳥取は8位、島根は6位だった。しかし高位には違いない)。だいたい古い城下町はそういう印象を受けることが多い。
鳥取で飲んだ地酒は福寿海日置桜、食べた魚はイカ、シメ鯖、鮎だった。もちろんうまかった。

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