益子陶器市の最終日に陶器市へ行ってきた。
最終日、おまけに平日と言うこともあってわりと閑散といていた。
会場周辺の駐車場はこの時期は有料、いつもお世話になっている役場の駐車場は利用不可。
なので、駅近くの駐車場に止めて、初めて小路を歩いて会場へ行くことにした。
それなりの歴史のある町ゆえ、なかなかの風情を感じさせる小道だね。

こんな見せ方があるんだなぁ~

陶器ばかりでなく、なんだか街自体が作品のように思えてくる。

で、覘くところは決まっているので、てきとうにテントに寄り道しながらぶらぶらと。
まずは陶庫さん、いつもいつも素敵なギャラリーへ

少し大きめの深皿が欲しいのだが・・・
決してお財布に優しいわけではないな・・・ 。

あれも欲しい、これも欲しい・・・

で、いつもいつも 見るだけでごめんなさい。
いつかきっと買いますから・・・
陶芸の丘へ 最終日ゆえ、ここも閑散としている。
サザンカ、秋深しだね。

丘の北側のコーナーはずっと日陰、寒そうだ。

で、このギャラリーはいつも生け花に感心させられる。

作品は好みから外れてしまうのだが、生け花が素敵でしょ~。

で、最後は知床窯さんへ 写真を撮らせていただくのを忘れた~
失礼ながら、抹茶茶碗とただのどんぶり(大き目の茶碗)は何が違うのか?と、ど素人としての質問をしてみる。
どんぶりは普通に作ることのできる作品、一方抹茶茶碗は・・・ いろいろと説明していただいた。
大変難しい説明だったが、日々ろくろを回す中でたま~に訪れる、解脱にも似た境地に達する時に指が作り上げるものが抹茶茶碗。
その境地とは、禅の最終境地のさらにその先の世界なのだとも言う。
そして抹茶茶碗は作家さんの哲学と宗教観とが、精神の最高の瞬間に具現化された姿なのだ。
自分には、そんなふうに聞こえたのだが・・・ そんな単純なものではなく、もっと複雑なもの・・・ だったかな。
で、中くらいのお皿2つと壁掛けの小さな花瓶を購入。 抹茶茶碗はすばらしいが、自分らの懐事情では到底手が出ませぬ。
帰り道も初めての小路を歩くことに。


駐車場に戻って、さて おしまい。

おぅ~ あれに見えるは・・・
つづく
最終日、おまけに平日と言うこともあってわりと閑散といていた。
会場周辺の駐車場はこの時期は有料、いつもお世話になっている役場の駐車場は利用不可。
なので、駅近くの駐車場に止めて、初めて小路を歩いて会場へ行くことにした。
それなりの歴史のある町ゆえ、なかなかの風情を感じさせる小道だね。

こんな見せ方があるんだなぁ~

陶器ばかりでなく、なんだか街自体が作品のように思えてくる。

で、覘くところは決まっているので、てきとうにテントに寄り道しながらぶらぶらと。
まずは陶庫さん、いつもいつも素敵なギャラリーへ

少し大きめの深皿が欲しいのだが・・・
決してお財布に優しいわけではないな・・・ 。

あれも欲しい、これも欲しい・・・

で、いつもいつも 見るだけでごめんなさい。
いつかきっと買いますから・・・
陶芸の丘へ 最終日ゆえ、ここも閑散としている。
サザンカ、秋深しだね。

丘の北側のコーナーはずっと日陰、寒そうだ。

で、このギャラリーはいつも生け花に感心させられる。

作品は好みから外れてしまうのだが、生け花が素敵でしょ~。

で、最後は知床窯さんへ 写真を撮らせていただくのを忘れた~
失礼ながら、抹茶茶碗とただのどんぶり(大き目の茶碗)は何が違うのか?と、ど素人としての質問をしてみる。
どんぶりは普通に作ることのできる作品、一方抹茶茶碗は・・・ いろいろと説明していただいた。
大変難しい説明だったが、日々ろくろを回す中でたま~に訪れる、解脱にも似た境地に達する時に指が作り上げるものが抹茶茶碗。
その境地とは、禅の最終境地のさらにその先の世界なのだとも言う。
そして抹茶茶碗は作家さんの哲学と宗教観とが、精神の最高の瞬間に具現化された姿なのだ。
自分には、そんなふうに聞こえたのだが・・・ そんな単純なものではなく、もっと複雑なもの・・・ だったかな。
で、中くらいのお皿2つと壁掛けの小さな花瓶を購入。 抹茶茶碗はすばらしいが、自分らの懐事情では到底手が出ませぬ。
帰り道も初めての小路を歩くことに。


駐車場に戻って、さて おしまい。

おぅ~ あれに見えるは・・・
つづく