広報邂逅記

広報宣伝に携わる私が、世の中の面白いこと、美味しいものや温泉鉄道旅を紹介します。(⌒∇⌒。)三(。⌒∇⌒)。

ブログ141214 偶然道元禅師 放てば手に満てり

2014-12-16 21:14:58 | 食べ物


たまたま観ていた番組の2つで共通して出て来た『道元禅師』。

禅宗の曹洞宗の開祖だ。

個人的なには弘法大師空海が何となく好き。あのお焚き上げも迫力があっていい。
最澄よりは何か空海の方が好きというレベルであるが。

最近、爆笑問題がMCの宗教バラエティー番組『ぶっちゃけ寺』が話題だし、御朱印ガールなるものも、多数生息し始めている。

末法だと宗教が賑わうというがどおなんだろうか?

なにはさておき、良い話しだったのでご紹介。

ところで、ぶっちゃけ寺のBGMで流れているガンダーラは誰が歌っているのか、知っている人がいたら教えてちょ。


■道元禅師
放てば手に満てり

手を放したら手いっぱいに広がる。
普通、欲しい物は握りしめる、抱える、抱き込む、俺のものだとする。
ところが道元禅師は本当に大切なものは本当に大事なものは手を離しなさい。
放てばほら、手にいっぱい満ちますよ。
相手の心もそうです、引き寄せよう引き寄せようと思うと、得てして逃げる。


■岡潔 天才数学者
私は人には表現法がひとつあればよいと思っている。
『数学なんかをして人類にどういう利益があるのだ』と問う人に対しては、『スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだ』と答えてきた。私についていえばただ数学を学ぶ喜びを食べて生きてきただけである。

人の中心は情緒である。
『情緒と日本人』より

人間も自然の中の1つであり、自然と人間がつながるためには知性とか理性とかではなく、情緒の部分てものをしっかりしておかなければ自然とつながらない。
松尾芭蕉とか道元禅師だとかメチャメチャ詳しい。
日本人が元々持っている情緒が古典の作品の中に現れているので、しっかりと勉強し、インスピレーション型の西欧に対して、日本人は情緒なんだとおっしゃっている。
夏は暑くて嫌だ、冬は寒いという言い方をするが、嫌だと思うのは内部にありそういった邪心のようなものを削ぎ落とせば、夏は夏でいいなぁ、冬は冬でいいなぁ、秋は秋でいいなぁと、そういう風に受け止められる。
それが芭蕉なんかの作品には詠まれている。
日本人は情緒が中心である。そういう中で自然とつながる。そういう生き方をしてうかなければいけない。
奇行といわれることが、ストレスを溜めない一番自然な状態をたもち、合理的なのである。
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ブログ141216 本日のランチ

2014-12-16 21:00:17 | 食べ物
今日は明け方に雪が降ったくらい寒く、最高気温も5℃くらいということなので、ランチは美々卯でおうどんでも食べようかと。

寒いだけあって、美々卯は満席状態で賑わっていた。

周りはおばちゃんや日本酒で既に出来上がってるおじいちゃんなどで、ほのぼのとした時間が流れている。

ここへ来ると何かホッとする。
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ブログ141215 焼き芋

2014-12-16 07:54:59 | 食べ物
今年初の石焼き芋屋さんである。

この間、安納芋で自宅焼き芋をやってしまったばかりなので、今回は買わなかったが、冬の寒い帰り道に行き当たってしまうと、つい購入したくなってしまう。

まさに冬の風物詩だ。

ところで焼き芋屋さんは冬以外は何をしているのだろうか?

また、車の荷台で火を炊いても交通法規上は問題ないのだろうか?
世知辛い世の中だから規制、規制と言ってこのような風物詩まで規制しないで欲しいなぁー。

ところで、ジャガイモの輸入が困難で、マックのポテトの販売がSのみになるそうだ。
それでなくても売上高が厳しいのに、セットも全てSサイズのみなので50円引きするとか。
マックも大変だなぁ。
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ブログ141204 日経セミナー 神社4

2014-12-16 00:49:10 | 食べ物
丸キャリTravel×JR東海の日経セミナーのつづき

コンビニでは、『おむすび』のことを『おにぎり』というが、正しくは『おむすび』だそうだ。

おにぎりは片手握るもので、おにぎりを食べたいならば、寿司屋に行くべきだそうだ。なるほど~。

おむすびは『稲魂』といい、弥生時代から、お母さんが両手で握る。だからお母さんの魂が入っているのだそうだ。

おむすびを握るには、ちゃんと作法があり神道と結びついている。
まず、
手を洗う…お清め

お塩を手にぬる

掌(たなごごろ)に塩をおく
※掌とは手のひらの中心

そして、両手でしっかり握る

稲魂にお母さんの魂が入る

『手塩にかける』とは、こういったことからも由来すると言われているらしい。
日本語は奥が深いなぁ~。

結=産霊(むすび)

プレゼントでリボンを“結ぶ”こと。

結びの思想

和の思想

“結”婚も結びなのだ。

そして、『共生き(ともいき)』は、“ともうみ”と読む。

共に何かを生み出す。一人ではなく、共同して何かを生み出す。


人間の道、『道』とは、倫理、道徳、

自然と共に生きてきた日本人だから、こういうことができる。

人が見ていないと思って悪いことはしてはいけない。神様は見てますよ。
と、子供の頃に言われた人は多いと思う。
これは、
神様が敷いた道を背いてはいけないということを伝承している言葉。

残念ながら今は核家族化して、薄れていってしまっている。

神主さんは神様に言挙げするのであり、人に向かっては言挙げをしない(喋らない)のが本来の姿だが、話さないと伝わらない時代になってしまった。







■稲魂とおにぎりについて
http://omusubi-garden.com/omusubi-garden/culture_Japanese.html

■おむすびの語源
http://mblog.maruhans.net/mb/2199/archive/5138374?&guid=ON
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