たまたま観ていた番組の2つで共通して出て来た『道元禅師』。
禅宗の曹洞宗の開祖だ。
個人的なには弘法大師空海が何となく好き。あのお焚き上げも迫力があっていい。
最澄よりは何か空海の方が好きというレベルであるが。
最近、爆笑問題がMCの宗教バラエティー番組『ぶっちゃけ寺』が話題だし、御朱印ガールなるものも、多数生息し始めている。
末法だと宗教が賑わうというがどおなんだろうか?
なにはさておき、良い話しだったのでご紹介。
ところで、ぶっちゃけ寺のBGMで流れているガンダーラは誰が歌っているのか、知っている人がいたら教えてちょ。
■道元禅師
放てば手に満てり
手を放したら手いっぱいに広がる。
普通、欲しい物は握りしめる、抱える、抱き込む、俺のものだとする。
ところが道元禅師は本当に大切なものは本当に大事なものは手を離しなさい。
放てばほら、手にいっぱい満ちますよ。
相手の心もそうです、引き寄せよう引き寄せようと思うと、得てして逃げる。
■岡潔 天才数学者
私は人には表現法がひとつあればよいと思っている。
『数学なんかをして人類にどういう利益があるのだ』と問う人に対しては、『スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだ』と答えてきた。私についていえばただ数学を学ぶ喜びを食べて生きてきただけである。
人の中心は情緒である。
『情緒と日本人』より
人間も自然の中の1つであり、自然と人間がつながるためには知性とか理性とかではなく、情緒の部分てものをしっかりしておかなければ自然とつながらない。
松尾芭蕉とか道元禅師だとかメチャメチャ詳しい。
日本人が元々持っている情緒が古典の作品の中に現れているので、しっかりと勉強し、インスピレーション型の西欧に対して、日本人は情緒なんだとおっしゃっている。
夏は暑くて嫌だ、冬は寒いという言い方をするが、嫌だと思うのは内部にありそういった邪心のようなものを削ぎ落とせば、夏は夏でいいなぁ、冬は冬でいいなぁ、秋は秋でいいなぁと、そういう風に受け止められる。
それが芭蕉なんかの作品には詠まれている。
日本人は情緒が中心である。そういう中で自然とつながる。そういう生き方をしてうかなければいけない。
奇行といわれることが、ストレスを溜めない一番自然な状態をたもち、合理的なのである。