今日は見所解説つきの歌舞伎セミナーの立ち会いで新橋演舞場へ。
演目は海老蔵の石川五右衛門。
セミナーはイヤホンガイドのカヤマ先生。
歌舞伎の歴史から見所まで約45分に渡り詳しく解説。
なぜ出雲大社の阿国が京都で歌舞伎なんだれう?と思っていたが、朝鮮出兵に集合場所として土地を提供してしまった出雲大社が年貢が採れないので、巫女の舞いを披露して稼ごうと、ゴールドラッシュに沸く佐渡島で踊らせたところ、男衆に大人気。
こんなに好評ならと、腕試しをしたくなった阿国達は都へ上り、踊りとお茶屋遊びの恋愛を芝居にして披露。しかも歌舞伎は滑稽という意味の通り、男女を入れ替えて演技をさせた。つまり今でいう歌舞伎と宝塚の融合である。それがとても好評な上に、舞台が終わった後もそのお芝居ごっこをしたいと、舞台の女性達に夜の相手をさせる輩が沢山出て風紀を見出すということで女性が舞台に立てなくなる。
すると今でいうジャニーズのような可愛い若い男の子が演じるようになるが、この時代、同性同士の色事は普通だったので、また夜のお相手に発展し、風紀を乱す理由で中止に。
結局、残ったのは野郎だけで野郎歌舞伎と言われ、今日にいたるわけです。
ところで、昔はあちこちに芝居小屋があり、一年間この顔ぶれでお芝居をやっていきますよというのが顔見世興行。
昔はこの時期にギャラ交渉をし、顔見世が決まるとう段取りだったようだ。
そんな
顔見世興行の看板の一枚目は座長の名前が書かれ、
二枚目は色男役の役者さんがきた。
そして、おどけた役の役者さんは三枚目の板に名前が書かれるけとが決まっていて、今でも使われり二枚目、三枚目という表現はここからきているらしい。
ちなみに、出雲の阿国の三枚目役をやっていたのが猿若勘三郎。その人が、江戸に出て出身地の名前に変えて中村勘三郎になった。
だから歌舞伎役者の中で中村勘三郎は十八代と一番歴史があるのです。
さて、石川五右衛門の見所は、海老蔵が息子のカンカンといつかは立ちたいと思っている新作歌舞伎。
新作だけど、ちゃんと石川五右衛門は妖術が使えるし、ハーフである設定は踏襲している。
もちろん、南禅寺の山門の上から『絶景かな、絶景かなぁ~』ともいう。
だが、話しの展開がスペクタクル過ぎる
何と石川五右衛門と茶々は、抜き差しならぬ関係になり、子供を宿してしまうが、五右衛門が茶々に置いていった、銀のキセルを秀吉が見つけてしまう
ここが凄いところで、なんとその銀のキセルは秀吉が情を交わした女人の形見。
つまり石川五右衛門は秀吉のご落胤だというのだ。
そこで秀吉は五右衛門を後継ぎにし、茶々の子を孫として育てるというのだが、五右衛門は断ってしまう。
そんな中、中国の女人族の長、中村獅童のワンハンが同族の女性には飽きたので、倭国からサラってこいという。
そして、五右衛門との子、鶴松を殺害され、茶々が攫われてしまい、五右衛門が海を渡り茶々を助けにいくのだ。
そして、ワンハンと戦い勝利し茶々を助け出すが、五右衛門は日本には戻らず、中国で天下統一を目指し、統一後に万里の長城の楼閣から『絶景かな、絶景かなぁ~』と見栄を切る。
なんとも壮大なお話しだが、スペクタクル過ぎてついて行けない。。。
昨年も内容の無い感じではあったが、お正月らしい華やかさがあった。
もちろん、今年は宙乗りもしたが、猿之助から比べれば、ただ乗って降りて来ただけである。宙乗りの意味がない。
前回の猿之助みたいに滝が出てきて、大量の水にびっくりなんてのも無い。
何か全てが中途半端でがっかりであった。
中途半端になる位なら、しっかり古典をやった方がいいような気がする。
追伸
歌舞伎にはジャンルがあり、今回の石川五右衛門は『新作歌舞伎』。明治時代以降に創作されたものを指す。
またそれ以前の江戸時代の古典的なものを『時代物』といい、時代物では登場人物の名前を捩ったり、時代を変えたりしているが、新作歌舞伎ではそのままの名前を使用するので今回も“豊臣秀吉”になっている。
また近松門左衛門みたいな人情、恋愛ものを『世話物』といい、出雲の阿国はもともと巫女踊りなわけだから『舞踊』もあり、所作板を敷いて踊るので『所作事』ともいう。
見れば見るほど、奥が深い歌舞伎である。