広報邂逅記

広報宣伝に携わる私が、世の中の面白いこと、美味しいものや温泉鉄道旅を紹介します。(⌒∇⌒。)三(。⌒∇⌒)。

ブログ150817 月曜から夜ふかし 奈良の美味しいモノ 塔の茶屋、天理ラーメン

2015-12-15 21:44:34 | 食べ物




「奈良県 美味しいモノが無いと言われる問題」。
かつて志賀直哉は「奈良」という随筆に「食い物はうまい物のない所だ」と書いていたが、今回は美味しいものを紹介する。

「塔の茶屋」では、奈良の大仏を造る人たちの労をねぎらう為に振る舞われたのが始まりだという「茶粥」が食べられる。

柿の葉寿司は厳しいが、茶粥なら食べられるかも。
ちょっとお茶漬けぽい?
というか、お茶漬けの元祖?


そして、

奈良県天理市で生まれたご当地ラーメン「天理ラーメン」の紹介。元々は天理大学の学生向けに作られたのが始まりだったというが、「彩華ラーメン」では大量のニンニクや白菜を使った天理ラーメンの元祖「彩華ラーメン」を食べる事ができる。

大量のにんにくかぁ~。
悩ましい。。(σ≧▽≦)σ
ちょっとイメージシテタノト違うしなぁ。。。


その他、こんなのも紹介されていたが、お隣の京都と比べると、ちょっとパッとしないのは否めない。。。

でも、奈良らしいといえは、奈良らしいのかも(笑)


奈良発祥の漬け物、奈良漬けの紹介。今西本店では黒々と光る黒い奈良漬けを作っており、これは昔ながらの酒粕のみで漬ける製法で作られている。

奈良県の名産・柿の葉寿司を紹介。魚を殺菌性の高い柿の葉で包み、保存食として親しまれた柿の葉寿司。老舗「平宗」では「献上鮎ずし」や「特製柚庵 焼き鯖ずし」が食べられる。


月曜からよふかし8月17日OA
http://tvtopic.goo.ne.jp/kansai/program/ytv/32334/402180/
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログ151203 丸キャリTravel×JR東海 奈良を知る 法隆寺 金堂と釈迦三尊像と壁画

2015-12-15 01:47:35 | 食べ物




法隆寺の金堂は670年頃に再建されたのだが、
法隆寺の金堂は奥行きが深い。

同時代に造られた薬師寺や唐招提寺は奥行きが浅く、唐の時代の影響を強く受けた新しいスタイル。

法隆寺が半世紀遅れのスタイルで建てられたのは、再建であることと聖徳太子の記念のものであるからだそうだ。


なので、飛鳥スタイルの釈迦三尊像や薬師如来の他に、背面にも仏像が当時は奉られていた。

今は配されていないが、橘夫人(光明皇后の母)の厨子が左手。玉虫厨子が右手。百済観音まで、あったそうだ。
知らなかった~。

さて、金堂の大きな台座の上に中尊と脇侍二体と光背で構成されている、この釈迦三尊像。
聖徳太子の時代のものと言える珍しい仏像。(623年)

もちろん、釈迦三尊像なのでお釈迦様なのだが、聖徳太子と同じ寸法なのである。

聖徳太子が亡くなった後に出来上がったのだが、元は病気になって治って欲しいと願いを込めて造り始めたのだか、祈りのかいなく亡くなってしまったので、追善供養となった像である。
そういったこともあり、釈迦三尊像だからお釈迦様なのだが、聖徳太子をモデルにしているとも言われている。

飛鳥時代の特徴あるお顔立ちで、個人的にはあまり好みではなかったのだが、先生によると、仏像離れした面長の顔立ちで(この面長なのが好みではなく…。)、優しくて若々しい金銅仏(銅に金メッキ)。
暗い照明で遠い写真なので、近づかないと、その良さは分かりにくいという。

先生は土門拳さんの写真がその中でも、良い方だというが、このセミナーで見せてくれた写真が良く撮れているという。

ちなみに、その写真は東野先生が撮ったそうだ(笑)

修理の際に組まれた足場から撮ったので、お顔のアップが撮れたそうです。
その写真がお見せ出来ないのが残念だ。

この釈迦三尊像の中尊の光背の裏に銘文が彫ってある。

それは、14文字×14文字の正方形の漢文だ。

14文字×14文字と綺麗な正方形になるように文章が組まれているのが凄い。

銘文のところが黒くなっているのは、拓本の結果で墨をあてたので黒く光っててる。

この銘文のところに金メッキが残っていて、だから金メッキをする前に用意されたことがわかる。
造りかた、銘文の入れかたから聖徳太子が亡くなった直後に造られたことがわかる。


銘文で「法皇」と書かれているのが、聖徳太子のこと。

法=仏教のキング
キング=王=皇

伝承では、聖徳太子は中国で6回生まれて、7回目に日本で聖徳太子として生まれたと言われている。



しかしながら法隆寺は、ただ古いものの踏襲だけではなく、新しいものも取り入れている。

焼失して今は現存していないが、金堂に描かれていた阿弥陀浄土の壁画は、唐の時代の影響を受けたその当時の最先端の壁画であった。

また、五重塔の塑像も唐の時代の影響を受けた最新のものであった。


つまり、新旧の文化が入り交じり融合し
た凄い寺院なのである。









法隆寺金堂 仏像配置図
http://kojiki.imawamukashi.com/j01kosatu/horyuji1.html


法隆寺金堂焼失
http://s.ameblo.jp/elephant-dogfight/entry-11978393221.html

日本の美しい仏像
http://twilog.org/j_butsuzo/month-1507/3

土門拳
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E9%96%80%E6%8B%B3

釈迦三尊像 光背 銘文
http://d.hatena.ne.jp/Librarytheater/touch/201303


その金堂の壁画だが、昭和の大改修にて、模写をしている時に焼失してしまったという。

これだけの国宝が焼失、しかも改修中になんて、世の中はどんなにかショックだったことだろうか。。。

模写は1940年から始められたが、1942年戦争により中断された時期もあった。

そして、模写が再開された1946年1月26日7:00
金堂は燃えてしまった。
戦火を免れたのに、とても残念だが、形あるものは消え行く運命なのである。。。

ただ、模写をしていたから当時の面影を見れるが、その原因となったのもこの修復模写なので、なんとも複雑だ。

この悲劇から、1950年に文化財保護法が制定された。

貴重な文化財が先の未来まで大切に保たれることを、切に願う。
あぁ、どこかの森というビル屋に古きよきもののよさを教えてやりたい。


当時のニュース
http://showa.mainichi.jp/news/1949/01/post-f6e9.html

http://55.xmbs.jp/ryuhpms83-156381-ch.php?guid=on

国宝・法隆寺の金堂で火災が発生、壁画12面が焼失した。漏電だった。法隆寺は用明天皇が発願した建立を推古天皇と聖徳太子が受け継ぎ607年に完成したとされる。1934年に法隆寺国宝保存事業が開始され修理が行われていた。この火災をきっかけに50年、文化財保護法が制定された。54年に金堂の修理が終了、現在の壁面はほとんどが模写である。現存する世界最古の木造建築物で、93年に世界文化遺産として登録された。










コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする