10:57
眠りこけて目が覚めたのは10時少し前、慌てて準備しホテルを出たのは10:30えらいこっちゃ≡;゜д゜)
そして、バスに乗り養源院へ。
紅葉はちょっと過ぎてしまっているが暖冬のせいでまだ残っている所もあるので、バス乗り場は大変な行列になっていた。
養源院に着くとほとんどの人は三十三間堂へ行くようで、意外に養源院は空いていた。
入口の門にいきなり「血天井」と書かれた立札看板があり、ちょっとおどろおどろしい。。。
意外に紅葉は残っていて、十分、楽しめる。
養源院と俵屋宗達
http://kyoto.wakasa.jp/detail/25/861/
中に入ると、人数がまとまる度に案内をしてくれるようで、まずは入口正面の白象の説明から。
杉板に描かれた象は、杉の目を上手く利用してシワなどを表現し躍動感ある作品であった。
俵屋宗達は象を見たことがあったのだろうか?
奥の扉との遠近感や建てつけにも色々ともてなしの工夫がされていたのが面白かった。
そして、左の部屋へ。
この養源院は元々は淀君が浅井家の供養のために建立した寺で、焼失した後、妹の江が伏見城の一部を移行して再興した寺です。
なので、この左の部屋の襖絵も伏見城の素晴らしい遺構で、廊下も鶯張りになっている。
この天井も血天井らしいが、もっとはっきり分かるのは象の扉の先らしい。
白象の扉を抜けると、廊下の先には獅子図。
右側は今から飛ぼうとして縮まっているのか?
左側は跳び跳ねて着地で前足を着いた様子なのか?
また、
金地着色松図は松の襖絵で、こちらも俵屋宗達の筆。
このお部屋には浅井家の御位牌や徳川家2代秀忠からの歴代の御位牌が奉られている。
詳しくは下記参照。
そして、廊下は伏見城「中の御殿」を移築したことがよくわかる血天井。
鳥居長政以下の将士の切腹をした後の手跡や爪跡がくっきり残っている。
特に鳥居長政はこの姿が影のように残っている。
ちょっと怖い光景。
お寺で供養していただけてよかった。
そして、生々しい血天井を後にしようとすると、白象図の裏側にも俵屋宗達の杉戸絵が。
「波に麒麟図」だそうで、こちらも伝説の動物。雄と雌らしい。
本当にどの絵も躍動的でいい。
しかも、意外に空いていたからゆっくり見れたし、お坊さんによって説明も若干違うので3回も廻ってしまった。
観る処が凝縮されたお寺ではあるが、是非、俵屋宗達の筆を観る価値はある場所だ。
お寺で頂いた白象図のポストカード。
中の写真が撮れないので、これで我慢を…。
■「菊」「葵」「桐」の紋
お江によって再興された後、養源院は徳川家の菩提所となり、2代将軍秀忠から14代将軍家茂までの位牌が安置されています。お江と秀忠の位牌をよく見ると、「菊」「葵」「桐」の3つの紋があります。3つの紋を拝見できる寺院は日本でここだけ。
「菊」は天皇家の紋で、お江と秀忠の子、和子が後水尾天皇のもとに入内したことからつけられています。さらに「葵」は歴代の位牌がまつられている徳川家の紋、「桐」は養源院を建立した豊臣家の紋。養源院の創建・復興に尽力した人物たちの家紋を見ることができます。
http://guchini.exblog.jp/20974360
http://matome.naver.jp/m/odai/2133552006144816501
http://kyoto.wakasa.jp/detail/25/861/
http://kyoto-higashiyama.jp/shrinestemples/yogenin/