風の数え方

私の身の回りのちょっとした出来事

ボケたほうが幸せ…だなんて

2004年08月20日 | 清水ともゑ帳
ケアマネージャーが、こんなことを自分が言うのはいけないかもしれないんですが…と前置きして家族に言う。
ボケたほうが本人にとって幸せなのかも…って。

…っていうシーンが、小説の中にあった。
フィクションとわかっていても私はつい感情移入してしまった。
「そりゃ、ないでしょ」って。
いくら前置きがあっても、その言葉は、痴呆症にかかった家族を持っている人に向かって言っちゃいけないように思った。
その病人を介護する家族が、自分を納得させるために口に出したとしても、他人がそれを言っちゃいけないと思う。

うまく言えないんだけど、例えばこんな感じだ。
自分が大好きなおじいちゃんなりおばあちゃんが、百歳で亡くなったとする。
悲しくて喪失感でいっぱいなんだけど、それをこらえて弔問客に「大往生でした」と、
自分を納得させるためにもそう言って挨拶する。
そんなときに、逆に弔問客から「百歳まで生きられて大往生でしたね」
とは、決して言われたくないものだ。

この小説のケアマネージャーが「ボケたほうが本人にとって幸せだった」と家族に向かって言うのは、
「大往生でしたね」と遺族に向かって言うのと似ている。
なぐさめにはならないと思うのだけど、私が素直に受けとめられないだけなのかな。
幸せの基準なんて誰が決めるものでもないって思っちゃうのだ。
何歳で人生が終わろうと、どんな状態で生存していようと、
その幸せの基準というか満足感は、他人が推し量れるものじゃないと思っちゃうんだよね。
小説の中のほんのひとコマにすごく反応しちゃったんだけど、
あたしってどっか違ってるっていうかズレてんのかなぁ。
作者の意図は他にあったんだろうけど、私にはひっかかる場面だった。







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頂に白いベレー帽の富士山

2004年08月20日 | 清水ともゑ帳
やっぱり今日も暑くなりそう。
でも、今朝の富士山と空は秋の気配。