風の数え方

私の身の回りのちょっとした出来事

『かもめ食堂』上映会

2006年06月08日 | 清水ともゑ帳
昨夜、『かもめ食堂』の上映会に行ってきた。
この映画を見たいなと思っていたところ、偶然、新聞で上映会の記事を目にし、急いで申し込んだ。
招待はがきが家のポストに入っているのを見たときは、単純にうれしかった。
けれど、上映が始まる前にあった話で、招待者数に対して15倍の応募総数だったと聞き、もっとうれしくなった。

昨日は、家を出る直前になって、初めて念入りにはがきを読み、この作品の監督である荻上直子氏と女優 もたいまさこさんのトークショーもあることに気がついた。
な、なんて、ラッキー!

トークショーは、K-MIX(FM放送)の河村由美パーソナリティの司会で進められた。
荻上監督ともたいさんは、
「ファッションや雑貨も見てほしい」と話していた。
また、作品に出てくる料理は、おいしそうに見えるだけでなく、本当においしかったそうだ。

そんなところにも目を配りながらスクリーンを見ていると、話にあったとおり、デザインや色彩がとてもきれいだった。
主人公サチエが店で使っていた包丁は、私も手にしてみたいと思った。
映画が終ると、おいしいコーヒーを飲みながらシナモンロールを食べたくなるし、おにぎりもほおばりたくなるほど。

もたいさんが話していたのだけれど、この映画に出演した自分でも気がつかなかった見方をお客さんがしていて、こういう見方もあるんだぁと気づくことも多いそうだ。

私はこの作品を、自分自身に帰着していく物語だと思った。
三人の日本人女性が、それぞれ何か「わけ」を抱え、フィンランドに来た。
悩んだりおしゃべりしたりしながら、フィンランドで自分を取り戻していく。

フィンランドにいることそのものが心を救うのではない。
それは、サチエがこう言っている。
「フィンランドにいても寂しい人は寂しいんです」と。

どこに暮らしていようとも、人は自分らしく生きるとき、楽になれるのではないか…そんなふうに感じた。
あまりにも忙しい生活だったり、自分を抑えすぎたりしていると、心が磨り減ったり、置き去りにされてしまったり…「自分」がどこかへ行ってしまうように思う。

サチエは合気道の呼吸をミドリに教える。
おへその下のあたり、丹田を意識し、体の中心を感じる…のだと。
私は、体の中心を感じることは、己の核を意識することに通じているようにも思った。

マサコは森の中で、自分に帰っていく。(と、私には思えた)
そして、フィンランド語をしゃべれないマサコだが、フィンランド人の女性の苦しみを、和らげてあげる。
自分自身を受けとめ、人も猫も受け入れていく。

三人が発する「いらっしゃい」「いらっしゃいませ」は、自分らしさを持っているその人らしさが出ている。
三人三様の「いらっしゃい」があり、それがいいのだ。


『かもめ食堂』は、ロケ地フィンランドでも公開が決まったそうだ。


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