◎さてその後は死ぬるばかりよ
古代ユダヤでは、どうもエリヤとエノクがクンダリーニ・ヨーガの奥義を体得した人物のようである。2人とも死んでいないとされるからである。
エノクは、ノアの曾祖父であって、旧約聖書創世記5章に、
『エノクは六十五歳になって、メトセラを生んだ。
エノクはメトセラを生んだ後、三百年、神とともに歩み、男子と女子を生んだ。
エノクの年は合わせて三百六十五歳であった。
エノクは神とともに歩み、神が彼を取られたので、いなくなった。』
とあり、召命の後、死んではいない。
よの中はくうて糞して寝て起きて
さてその後は死ぬるばかりよ 一休
このデリカシーのなさ。
けれども“死ぬるばかり“になりきらぬと、死の本性が見えてこないのであって、前半の” くうて糞して寝て起きて“ばかりに気を取られると、生き地獄から抜け出せないままに終わる。
幸運にも抜け出したのが、エノク。
エノクはこの世の初めから終わりまでを語り聞かせ、予言したというが、これは、悟った人はそういうのをなぜか語りたがるものだ。
エノクの生きた超古代には、文化、時代の風光、言葉、流行語などあらゆるものが今とは違っていたのだろうが、時代を超えたものだけが、あるいは今の時代に通用するものだけが、聖書外典などで伝承されてきたと思って間違いないのだろうと思う。