◎七つの身体はそれぞれ別次元にある
(2013-11-01)
七つの身体はそれぞれ別の世界、別の宇宙、別の次元に存在する。
七つの身体と呼びならわしているが、肉体からコーザル体までは個であり、個人であり、第六身体アートマンと第七身体ニルヴァーナは、個ではない。第六身体アートマンは世界は一つというようなものだが、第七身体ニルヴァーナ=神=仏=道は、そういうことですら表現できないようなしろもの、つまり言葉をも現象をも超えたものであると語られる。
第一身体である肉体は、物質宇宙に存在する。
第二身体であるエーテル体は、エーテル宇宙に存在する。19世紀の英国降霊術で出て来るエクトプラズムがそれにあたるが、人間の死後数時間でエーテル体は、通常は崩壊すると言われる。エーテル体は半物質であり、「気」「プラーナ」である。
OSHOバグワンはエーテル体を感情の次元とするが、ダンテス・ダイジでは、感情は、アストラル体、メンタル体と見ている。
第三身体であるアストラル体は、アストラル宇宙に存在するが、もはや半物質ですらもなく、物質でない宇宙である。感情の次元とされる。
OSHOバグワンは、アストラル体の機能を疑いと思考と言っているが、疑って何が正しいか判断し、それに向かって進むというのは自己実現self-expressionであり、この説明はアストラル体の説明というよりも、むしろマニピュラ・チャクラの説明であるように思う。
第四身体であるメンタル体は、アストラル体より微細な霊的宇宙つまりメンタル宇宙に存在するが、これも物質でない宇宙である。想念の次元とされる。
OSHOバグワンによれば男女の区分があるのはここまで(奇跡の探究2/市民出版社P180)。
この次元の特徴は想像と夢見、つまり想像することが完成までに達すると、物事はビジョンにとどまらず現実として実現する推進力を持つ。第三者がそれを目にした場合は、決断力・意志力に見える。
また遠隔透視・ビジョンの超能力もこのボディで起こる。マクモニーグルもこの能力でいろいろなことをやったのだろう。
このように想像を現実化する能力を手に入れればさぞ面白いだろうが、ダンテス・ダイジは、「そういうことが面白いということに留まっていれば、この世に生まれては来ない」という意味深なことを言っている。
またメンタル体は、夢見であると言うと、自分の日常のことだなどと誰も思わないが、OSHOバグワンは、ほとんどの人の日常が夢見にあって覚醒などしていないと指摘する。彼によれば人が本当に意識的であって覚醒しているのは、強盗にナイフを突きつけられて金を出せとやられているような時だけだという。(禅では醒めよ、覚醒せよと、この練習を繰り返すのだが・・・・)
こんなわけでOSHOバグワンは、この世は、完全に眠っている人の世界、夢遊病者の世界だと言う。メンタル体の夢見とは、我々の日常なのだった。ヤキ・インディアンの呪術師の下で修行したカルロス・カスタネダの小説でも夢見を盛んに言うが、それは単に観想法専修者の夢見を指すものではなかったのだ。