アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

ブランドに価値があると考える人々

2022-11-11 10:01:35 | マインド・コントロールneo

◎金のない奴は、価値のない奴

 

第一回十字軍により1099年エルサレムが陥落した。そこでテンプル騎士団の創設メンバーの9人が、キリスト教巡礼者の保護にあたりたいという名目でエルサレムの神殿跡を借り受け、厩舎を建てた。そして7年間彼らは厩舎の中で発掘を続け、何の成果も得られないままフランスに帰国した。

 

グラハム・ハンコック説によれば、彼らはそれを手にいれた者は世界最強の力を手に入れることができるという噂のモーゼの契約の聖櫃を探していたが、結局見つからず、ゴシック建築の技術を持ち帰ったとなっている。

 

テンプル騎士団の9人は帰国後まもなく、有力者聖ベルナールの後ろ楯を得て、やがて欧州で最も有力な教団に成長していく。

 

ところが、14世紀初頭テンプル騎士団は、フランス王により壊滅させられた。

 

この後、19世紀になってレンヌ・ル・シャトーの教会にやってきた貧乏神父のソニエールが、教会の改築工事で、羊皮紙の巻物の暗号文を見つけたら、なぜか大金持ちになったというのが、レンヌ・ル・シャトーの謎になっている。

 

日本にも三種の神器というのがあって由緒から言えば、モーゼの契約の聖櫃に劣らぬものであるが、そこまで世俗の権力を保証するような器物ではないと思う。

 

モーゼの契約の聖櫃は紀元前10世紀にエチオピアに持ち込まれたという伝承こそあるものの行方不明である。

 

さてテンプル騎士団のように12世紀の人が、あるものを手に入れればパワーが授かるということを真剣に信じるのは当然としても、現代においてもそうした物があると信じている人は、決して少なくなってはいない。

 

キリスト教社会では、モーゼの契約の聖櫃は絶対的・正統的な価値をもつものだろうが、現代社会では,価値観の多様化を反映して、ちょっとした価値を持つものをクリエイトして、売り物とする。

 

代表的なものは、ブランドもののファッションで、ティファニー、ブルガリなどのブランド店の宝飾などもそうである。食品でも有名店のチョコやケーキもそうだし、およそデパートに並んでいるようなものは、皆そうだと言える。その延長で寺社などで霊力を封じたとする壺や御札や器物もその流れ。

 

つまり物そのものに価値があるのではなく、価値はむしろ精神的なものである。最近の人は自分自身の好みの有り様を自分で日夜感じているわけなので、この点で異論のある人は少ないのではないか。

 

他人に認められる価値=ブランドを手に入れるには金を払わなければならない。そして沢山金を払えば、払うほど手に入れる価値の評価は高まる。これが日本人の平均的なブランドに関する考え方ではないだろうか。(マルチ商法はここを巧みについて金を吐き出させる)

 

こうした考え方全盛では、物を離れて精神性のみに価値ありとする考え方に賛同する方は激減してしまう。現代日本で、ほとんど真の宗教性のニーズがなくなってしまったのはこのあたりにある。

 

この裏返しで、「金のない奴は、価値のない奴」という社会通念がないとは言い切れないところがあるのではないか。女性でも男性でも、相手の身につけている服装、装飾品の値定めをしない人は稀だが、人品をまず一等重視しようとする見方をとる人は少ないのではないだろうか。

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2 コメント

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Unknown (桂蓮)
2022-11-11 10:53:50
まー、一理ありますね。
日本に住んでた時に、あらゆるブランドバック、服、車を持ってました。
新作というだけで30万のバックを買ったりと、
まあ、コレッションでしたね。
それがアメリカ北部のコネチカット州住まいになって、
周りは木々しかなく
近所のスーパーまで車で30分、
習うのはバレエしかないということになって
持っているバックは押入れに入っているだけで、
ブランド服やシューズを着て出かけることもなくなって
虚しい、それにつきますね。
といってネットで売ろうにも
高価だったことが悔しいし
ブランドも都会暮らしでしか意味がないのかと。

ブログスタイル変わったようにみえますが、
新しくなったスタイルが私はいいですね。


桂蓮
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桂蓮殿へ (湖南)
2022-11-12 07:40:55
コネチカットで今頃の季節においしい牡蠣を食べたことがあります。晩秋まではよいけれど冬は厳しそうですね。

『アヴァターラ・神のまにまに』では、わかりやすさを前面に出して進めています。

現代では、相当数の人がブランドを欲しがる時期がありますが、それを卒業できないと先には行けません。卒業できれば良いですね。
ブランドを卒業するということは社会への恐怖と裏腹ですが、静かに卒業に向かわざるを得ないのではないかと思います。
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