◎君は最高我であって、輪廻しない
現代の洗脳とは、無明(迷い、マーヤ)である方が現実だと考えていることである。
シャンカラから。
『四九 弟子は
「その無明とは何でしょうか。その対象とは何なのでしょうか。また明智によって自分の本性に立ち帰るわけですが、その明智とは何なのでしょうか」と尋ねた。
五〇 師は答えた。
「君は最高我であって、輪廻しない。それにもかかわらず『私は輪廻しています』と言って、
正反対に理解している。
また行為主体でないにもかかわらず『〔私は〕行為の主体である』、
経験の主体でないにもかかわらず『〔私は〕経験の主体である』、
〔永遠に〕存在するにもかかわらず、『〔私は永遠には〕存在しないと』と、〔正反対に考えている〕。
―――これが無明なのです。」』
(ウパデーシャ・サーハスリー 真実の自己の探求 [岩波文庫] シャンカラ/著 岩波書店P231から引用)
この『師』は、アートマン(最高我)=本尊=本守護神がここでいう私であり、行為主体であるという立場である。その立場を体感するには、ニルヴァーナという実証体験が必要となる。それはもはや体験とはいえない体験なのだが、そのことについて哲学的思弁を凝らしても今一つ勘所に届かないのではないだろうか。
マスコミもtwitterもfacebookもブログも大半が、無明の闇を拡散しているだけだが、そういう暗い海に沈没しないためには、自分を見つめる作業から入らないと。