アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

中国の大気汚染から呼吸法

2023-12-19 19:52:28 | 気功、導引(冥想法2)neo

◎体内の老廃物や不要エネルギーの除去

(2015-11-11)

 

2015年11月7日、中国の瀋陽の大気中の「PM2.5」の値が一時、日本の環境基準の40倍にあたる1400を超えた。(日本の基準は、1年平均値 15μg/m3以下 かつ 1日平均値 35μg/m3以下)

中国の大気汚染は、年々ひどくなり、中国全土の模式図で見れば、黒い雲霧みたいな大気汚染が、中原全体を一年中右往左往しているように見える。道者笹目秀和が見たカルマの霊界からの現実化のビジョンがこんな風だったのが思い起こされる。

こうした汚染された空気は偏西風に乗って2、3日経てば日本に降り注ぐ。昨日の雨はアスファルトに落ちて、こころなしか、いつもよりぬるぬるしていたような気がする。一衣帯水とはよく言ったものだ。

 

クンダリーニ・ヨーギ本山博によると、長く人生を歩いてきた人や心臓の悪い人の身体の中には、本当は排出されなければならないもの、消費して衰えたエネルギーがたくさんたまっているという。

これを排出する呼吸法がある。

 

達人坐あるいは蓮華座で坐り、鼻から息を吸い込む腹式呼吸で吸う。

息を腹いっぱいまで吸いこんだら、2、3秒息を止める。

次に腹から胸から体内に溜まっている不要なもの汚れたものをすべて吐き出すつもりで口からでも鼻からでも吐き出す。

一応息を出し尽くした後でも、腹と胸から徹底的に吐き出す(これがポイント)。

これを本山博は、クンダリーニ・ヨーガだから、これを七の整数倍にやることを勧める。

この繰り返しで体内の老廃物や不要エネルギーは除去され、気力の衰えた人も老人も見違えるように元気を回復するという。

これは、帰宅してから夜やる方が良いものだろう。帰宅して漫然とテレビを見るよりは、よほど本当のリラックスに入りやすいのではないか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界統一しようとする動きと国家意識のせめぎあい-2

2023-12-19 03:12:53 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-06-07

◎社会主義を沢山加味した宗教

 

世界統一勢力と国家意識のせめぎ合いに関する出口王仁三郎の追加意見。

『出口氏『矢張り然し、人類愛の上から見ても、世界に対する所謂人類愛と、国家に対する愛と、郷里に対する愛と、家族に対する愛と、個人に対する愛といふ様に、段々小さくなつて来る。日本国民としては国家に対する愛が必要であり、又広汎的に云へば世界一般の人間に対する愛が必要である。焦眉の急を要する問題として一番どれが主であるかと云へば、自分の祖先の墳墓の国である。これを愛するのが一番急務であり、大切な事であると思ふ』』

(出口王仁三郎全集 第1巻皇道編第6篇第6章 挙国更生から引用)

 

これは、大地震や大災害時に誰を真っ先に救うかという議論の延長線上にある見方である。誰か一人しか救えないとすれば、まず最も身近な者を救うのではないかと示している。世界と国をどちらを優先して救うのかと言えば、より身近な国であると示している。だがこれは、この選択をする根拠としては薄弱であり、出口王仁三郎は、「国家意識のある宗教といふものは魂の向上した人でないと分らん」と突き放している。

曰く、人間の霊魂にも階級があり、信仰の程度にも階級があり、各人は階級相応のことしかわからないが、それでよいのだと。

地球ロゴスには、永遠不壊である国家のイデアがあり、それを無視してかかる勢力は滅びるということなのだろうか。

そのヒントとしてユダヤ勢力の世界統一の野望が挙げられる。

『また一つの邪気が凝り固まつて鬼の姿をして発生したのは、猶太の土地であつた。この邪鬼は、すべての神界並びに現界の組織を打ち毀して、自分が盟主となつて、全世界を妖魅界にしやうと目論みてゐる。』

(霊界物語 第1巻第2篇 幽界より神界へ 第18章 霊界の情勢から引用)

 

社会主義多く加味せる宗教は我皇国に具はぬ曲道

国家意識夢にも説かぬ宗教の末路近みて木枯寒し

(出口王仁三郎。出典:大本史料集成2第2部 昭和期の運動第2章 昭和神聖運動 第2節 昭和青年誌(抄))

 

世界観と言えば簡単だが、万人が神知る時代は、国家があるのは自然かどうかということに議論は収斂していくのではないかと思う。千年王国時代の世界には国家があるべきなのか。あったほうが、繊細で豊穣で、楽しさの広がりがあるのではないかと思う。その辺の判断が、「魂の向上した人でないと分らん」という点なのだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界統一しようとする動きと国家意識のせめぎあい-1

2023-12-18 03:11:07 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-06-06

◎赤いフリーメーソン

 

最近、GAFAなどのグローバルIT企業、無国籍企業で有力な企業(食品、石油など)が世界で大活躍。将来のワン・ワールドを意識してか知らずか国籍や国境がないことの方がよいような宣伝報道がメディア、ネットに散りばめられていることにお気づきだろうか。

mars火星は赤で、顔の赤い猿のような者の世界統一は、さまざまな予言で見かけるものであって、赤い楯もその流れ。その統一の先に次のステップがあることも言われている。

世界を統一しようとする動きには、当然にその統一に逆らうパワーのメカニズムが働く。それが国家意識。

 

最終的には万人が神知る社会となることを前提に、出口王仁三郎は国家意識について、次のように述べている。

『出口氏『それはな、国家意識のない宗教は自然消滅しなければならぬ。今に神の政治になつてくるから、これは自然に自滅して来る、国家意識のないものは人間が相手にしなくなる。皆が更生すればさう成つて来るが、然しそれをやつつけて了ふのはいけない。一人あればみんなついて来る。大本も今は沢山ゐるが、元は教祖さん一人だつたからな。一人が八ケましく叫ばれた事がかうなつて来るのだから、矢張りこれは一人でもよいが、これ丈の団体が出来て、それが叫ぶといふ事は大変な力である、大変な効力がある事だと思ふ。

愛善会を唱導して居つて余り外の宗教がどうだとか、かうだとか云へないけれども、国家意識のない宗教は総て何教によらず、日本に於ては成立しない。自滅する事は定つて居ると信ずる』』(出口王仁三郎全集 第1巻皇道編第6篇第6章 挙国更生から引用)

※更生:神を知ること。

 

ここは、出口王仁三郎は、国家意識のない宗教は総て、日本では自滅すると信ずると、断定的ではない言い方である。

だが、これは世界を統一しようとする勢力にとっては一石を投じることになる発言である。

この世界統一勢力と国家意識のせめぎ合いの議論には、さらに追加の説明が続く。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フリーメーソンをどう見るか-2

2023-12-17 03:06:05 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-06-05

◎ユダヤ人の七不思議

 

出口王仁三郎は、ユダヤ人は善良で神に従う心が深いとポジティブに評価して、ユダヤ人の七不思議として以下のものを挙げる。

1.万世一系の皇統を戴きつつ自ら、その国を亡ぼした事、

2.亡国以来二千六百年なるにも拘らず、今日も尚依然として、吾等は神の選民也と自認している事、

3.二千六百年来の亡国を復興して、たとえ小なりと雖もパレスチナに国家を建設した事、

4.ユダヤの言語を忘却し、国語を語るものを大学者と呼びなす迄になつて居つても、ユダヤを忘れず、信仰をまげない事、

5.如何なる場合にも決して他の国民と同化しない事、

6.亡国人の身を持ちながら、不断的に世界の統一を計画している事、

7.今日の世界全体は、政治上、経済上、学術上、ユダヤ人の意のままに自由自在に展開しつつある事

 

これに対して日本の七不思議として次のものを挙げる(戦前に書かれた文章なので、今から見ると違うところもあります。)

1.万世一系の皇統を戴き、終始一貫義を以て立ち、一度も他の侵略を受けず、国家益々隆昌に赴きつつある事、

2.自ら神洲と唱えながら、自ら神の選民又は神民と称えるものの少ない事、

3.王政復古の経歴を有するも、未だ一度も国を再興したる事なき事、

4.国語を進化せしめたるも、これを死語とせし事もなく、従つて国語を復活せしめた事のなき事、

5.同化し難い国民のやうに見えるけれども、その実、何れの国の風俗にも同化し易く、且つ何れの思想も宗教も抱擁帰一し、ややもすれば我が生国を忘れようとする国民が出る事、

6.一方アメリカは、世界統一の為には手段を選ばないが、日本は常に正義公道、即ち惟神(かむながら)によつて雄飛せむとする事、

7.世界は寄つてかかつて、日本を孤立せしめむと計画しつつあれども、日本は、未だ世界的の計画を持たず、ユダヤとは趣を異にしている事

(霊界物語64巻上より)

 

とユダヤと日本の神秘的コントラストを述べた後に、天消地滅という実質的な最終章を設け、「父母の愛にも勝る無我の声」などと、無我という人間の中にはないものを打ち出して、無我つまり天が消え地が滅するという、「自分もなくあらゆる現象もない」という境地が目的とする境地であることを暗喩している。

父母の愛にも勝るという言い回しは大時代的であるが、情に勝った当時の世相にマッチしていた言い方だったかと思う。

この世の立替立直し(アセンション)は、戦いの果てに刀折れ、矢尽きたところで、人間だけの力ではどうにもならないところまで追い込まれた時に発動するという。そこでこうした日本とユダヤの特徴とは、そのどうにもならないところまで追い込むための、神のグレート・ゲームのメカニズムであるかのように見える。

すなわち出口王仁三郎は、日本とならんで、フリーメーソンも同じグレート・ゲーム=大神業を遂行する重要な組織と見ているのである。したがってユダヤの評価を自ずと前向きなものとしているように思う。

そして立替立直しは、無我(ニルヴァーナ、究極)とセットものなのである。

 

日本は神国だったはずが、今や最も神から離れてしまった国民性となってしまった。一方ユダヤも自ら神の選民と自負していたが、2600年をへて、果たして今も選民のままかどうか。さて両国民を待つ運命や如何に。

次の和歌は出口王仁三郎が大正時代に詠んだものだが、今はどうだろうか。

神職は神をさとらず僧侶また仏を知らずあさましの世や

宗教家の数のみ増えて神聖の宗教ことごとくかげ失せにけり

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フリーメーソンをどう見るか-1

2023-12-16 03:58:39 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-06-04

◎出口王仁三郎の石屋観

 

昔、麻生さんが外務大臣だった頃、日本をユダヤ人の金持ちが「住みたい」と思う国にしたいと発言して物議をかもしたことがあった。ことほど左様にユダヤ人の金持ちというとフリーメーソンと絡んで何かと話題にされるものである。

出口王仁三郎は、ユダヤ問題がわからないと駄目だ、私はユダヤのことを悪く書いたことはないと語っている。これは実に不思議なことである。

というのは昭和10年までに彼が詠んだ和歌には次のようなものがあり、とても好意的とは思えないからである。(マッソンとは石屋のことであり、フリーメイソンのこと)

マッソンは世界の隅々おちもなく 世を乱さむとたくらみており、

世の中の万事万端マッソンの計略のわなにおちいりており

 

地の上の国のことごとく占領し壊さむとするフリーメーソン

外になき是れの尊き神国を乱さんとするフリーメーソン

 

しかし他方では、非常にユダヤに同情的であり、エルサレムの嘆きの壁で慟哭するユダヤ人を見て、一種名状すべからざる悲哀の感じに襲われている。それは勿論宗教的なものでも無く、また憐愍や同情に由来するものでも無く、それは気味悪い程、根深いもので、たとえば執拗な運命に対する恐れとでも言つたら良さそうな本能的なものである。

 

その上、これも同情的である。

『是もキリストを十字架に付けた彼等(ユダヤ人)の祖先の罪業の報いとも言ふべきものだらうか。夫れにしては余り残酷過ぎると思ふ。

キリストを釘付けにしたのは彼等ばかりで無く、人類全体なのである。キリストを救世主と仰がなかつたものは彼ユダヤ人ばかりで無く、世界人類の大多数である。

聖書の予言にかなはせむが為とは云へ、余りに可哀相だ。彼等はキリストの懐に帰つて罪の赦しを乞ふこと無しに、何時までメシヤを待望して世界を放浪するのであらうか。』

(霊界物語64巻から引用)

 

このように、出口王仁三郎は、ユダヤ・フリーメーソンが日常生活の安寧、平和な市民生活を脅かすひとつの元凶であることも指摘しながら、他方で本音は同情的擁護的である理由はどこにあるのだろうか。

(続く)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宇宙空間への一時疎開

2023-12-15 03:49:38 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-06-03

◎第三の選択

 

2011年7月21日:スペースシャトル「アトランティス」が21日、米フロリダ州に予定通り着陸して、30年間に及ぶ米国のスペースシャトル計画が終了した。

シャトル帰還後、米航空宇宙局(NASA)は地球低軌道飛行事業から撤退し、民間による、人や貨物を乗せた短期間の宇宙旅行を行うための宇宙船の開発を推進する予定だそうだ。月より遠い宇宙空間へのミッションに重点を置く一方で、宇宙船の開発もを進めるという。

スペースシャトルには、宇宙開発の側面とは別に、陰謀論者が語るような、「この世の終わり」になった時に、地球のエリート支配者層が、シャトルに乗り込んで宇宙空間に一時疎開するための乗り物という側面もあったとされる。これは第三の選択とされる。

第一の選択は、ジム・キースによれば、核爆弾を大気圏で爆発させ、大気汚染と熱を宇宙に逃がすというものだったが、大気も放射能で汚染されるので、この計画は没になった。

第二の選択は巨大な地下居住域を建設し、危険な状況になった時にエリートがそこに逃げ込む計画だった。実際に1950年代、60年代にアメリカではそうした地下建造物が建設されてきたが、今ではあまりメンテナンスもされていないという報道に触れることがある。

第三の選択は、選ばれた人間を月の秘密基地経由で火星居留地へ移住させるというもので、アメリカと旧ソ連の協力関係まであったという。

(出典:宇宙人UFO大辞典/ジム・マース/徳間書店P238)

月の秘密基地やら火星の植民エリアへの移住など眉唾にしか思えないが、実はこれは当時の支配者層の意図するところの核心をついていたふしがある。

こうした発想の延長に地震兵器やらポスト核兵器があるのだと思う。

 

『「クラブ・オブ・アース」が一九八八年に出した声明では、「世界規模の人口増加を食い止めることは、核戦争を人類の日程に上げないことに次ぐ、重要な課題」としている。

富と権力や権威をもつ人々が、一般人並みにこうした状況をつい忘れてしまうことなど考えられない。状況に無知、無関心であっては富と権力の備わった地位を得ることはできないからだ。したがって、過剰人口で死にゆく地球に代わるものをどうするかといった議論が、当局最上層部では、間違いなく交わされてきているとするのが妥当な結論だろう。

この惑星間疎開計画がはじめて一般に知られるようになったのは一九七七年六月二〇日のことで、この日イギリスで『Alternative 3(第三の選択)』というタイトルのドキュメンタリードラマが放映された。制作はアングリアTVで、デイヴィッド・アンブローズとクリストファー・マイルズが脚本を書いている。

番組はインタビューと地球の状況が悪化している状況を描写したニュースシーンで構成されていた。地球を脱出し、新たな社会の構築につくすため、優れた能力をもつ多くの人間が選抜され、同時に洗脳された多くの「労働人間」を「一括積送品」として合わせて送り出し、月と火星にドーム型の基地を建設するという計画を描き出している。

この番組はイギリス国内では非人道的だとして怒りを買うことになり、すぐさまドキユメンタリー仕立のフィクションにすぎないとのテロップが流されるようになった。

また、この番組がまともに受け止められなかったそれなりの理由も、確かに数多く存在した。主なインタビュー相手は、ボブ・グローディンと称するアメリカの元宇宙飛行士となっていたが、実在する人物ではなく、アメリカ人でもなかった。そのことがばれたのは、グローディンが「We’re right out of beer!」や「Have a proper drink」といったイギリス俗語を口にしたからだった。さらに、番組内の他の登場人物もみな俳優だったのである。

イギリスの作家レスリー・ワトキンスは一九七八年に『第3の選択』(たま山版、一九八一年、梶野修平訳)と題する書籍を発表し、このTV番組のさらに先を行った。

キースが公表した手紙の中で、ワトキンスは非常に率直にこう述べている。「この作品のオリジナルであるTV版は―――本書では大々的に増補してあるが―――実際は作り話で、本来エイプリル・フールに放送する予定だった。ところがネットワークの書組編成上、放送が遅れてしまった」

しかし、UFO研究家の多くがそうしてきたように『第三の選択』を研究の価値なしとして完全に切り捨ててしまうのは早計にすぎるだろう。

ワトキンスの手紙の続きにはこうあった。「最初は基本的な前提があまりに突拍子もないので、・・・・・誰もこれをノンフィクションとは思わないだろうと考えていた。出版直後にその考えがまったくの間違いだったことがわかった。

実質的に世界中のあらゆる地域から山のような手紙が届き、権威筋の非常に知的な人物からも膨大な数の手紙をちょうだいした。

それではっきりしたことは、私は知らぬまに機密扱いの領域に足を踏み込んでしまっていたということだった・・・・・つまり簡単に言えば、この本は事実にもとづいたフィクションだったのである。しかし、今では極秘の真相にうっかり近づきすぎたと思っている」

』:(出典:宇宙人UFO大辞典/ジム・マース/徳間書店P239-241から引用)

 

文明の発展の尺度は、その文明で何人の悟った人間を出したかということである。この尺度でもって、ロトの時代やノアの時代は町や世界が破滅する一方で、ロトやノアは生き延びた。つまり、ロトやノアはこの話に出てくるような少数の富も権力も有するエリートだった。エリートだったところは同じだが、ロトもノアも「正しき人」つまり悟った人だったのに対し、現代のここでいうパワーエリートは全員悟った人なのだろうか。

少数エリート+多数の労働人間の宇宙疎開シナリオは、スペース・シャトル稼働時には、スペース・シャトルをベースにしたシナリオだったのだろう。しかしその背景にはその他大勢の人が地上で見殺しということになり、この点が非人道的という批判の的になったのだと思う。

偏見なく考えてみれば、ロトのエピソードもノアのエピソードも、その他大勢の悟っていない人を見殺しにしたという点では、非人道的ではある。だからこの宇宙疎開シナリオについては、そのシナリオはひょっとしたら神もオーソライズしているものである可能性も否定できない。ただ、その計画の遂行メンバーや受益者が、全部が全部悟っているわけではないだろうから、プラン全体として、当初神が想定していたとおりに運ぶとは限らないのだろうと思う。

また宇宙疎開した人が生身の人間かどうかについても、私は強い関心を持っている。生身でない“亡くなった”またはアストラルな人間を、文明が掃討された後の地球に転生させんがために疎開するというシナリオもあり、なのではないか。

つまり宇宙疎開した人の地上への帰還が肉体でもって宇宙船により行われるのか、それとも死後に別の肉体を乗り物として行われるのかは、このシナリオに隠された大きな疑問点の一つだと思っている。この疑問を解くカギがスペース・シャトル計画の終了だったりするのだろうか。

また神の描くシナリオもこれだけではないのではないか。

 

こういった惑星間疎開の発想は、多数の人類の死を前提にしたものであるがために、水平の道の発想ではなく、
垂直の道の発想である。
垂直の道は、霊界や超能力や天使や悪魔から入って行くが故に、現実とはかけ離れた冥想修行の技法と考えられる場合もあるかもしれないが、日常の環境政策、温暖化対策、LGBT、パンデミック対策などの背後には、表面の美名とは裏腹に、人類人口の大幅な削減という非人間的、非人道的発想が、見え隠れすることがあるものだ。
垂直の道とは、一面超能力者の道、霊能力者の道だが、意外にも様々に我々一般人の日常を苦しめ、生きづらくする様々な習慣、規制の背後に隠されていることがある場合がある。

惑星間疎開のように、こうした少数のパワーエリートだけの生き延びを目標としたシナリオの他に、現存の多くの地球人が、神を知ることによって、多くの人が肉体のまま地上天国を実現していくという方向性もある。
これは水平の道であって、生の側の道。

このように人類の未来に立ちはだかっている側面もある垂直の道だが、それは古来人類に開かれた正統な神仏に至る道である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無意識と死の側-4-地球人口削減のための諸施策-3-予言-4-マッソンが終わりの世に疫病をもたらす

2023-12-14 03:52:40 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-06-08

◎青春期の垂直の道-8

◎午頭天王とはマッソン

 

午頭天王を祀る神社仏閣が時々ある。

これによく似たのが牛頭天王だが、これは素戔嗚尊(スサノオノミコト)のことで全く異なるもの。

実は午頭天王はマツソンのこと。出口王仁三郎が、日本にマッソンが入った事始めは、吉備真備だと指摘している。

西洋でマッソンと言えば、15世紀末のスペインを源流に欧州各地に広まったというのが世の定説だが、出口王仁三郎の俯瞰では、日本に入ったのは8世紀であって、マッソン的なものは大昔からあったものだと見ている。

日本の古伝では、マッソンが終わりの世に疫病禍をもたらすと自ら宣言しており、その場合『自分は『我が在る』マッソン勢力を信奉している』旨のマントラを唱えれば疫病にかからないなどと言っている。このコロナ禍の時代に手が込んだ予言もあったものである。

まず、牛頭天王と午頭天王の違いの説明。

『牛頭天王は素盞嗚命の御事であり、午頭天王はマツソンの事である。牛頭とはソシモリと云ふ事であり、ソシは朝鮮語の牛の事である、モリは頭と云ふ事である。頭はまん丸くもり上がつて居るから、さういふ意味でもりと云ふ。牛頭(ソシモリ)これは前云ふ通り素盞嗚の大神様の事であるが、マツソンは大神様の名を僣して、まぎらはしい午頭天王などと云ふたのである。牛と午との違ひである。』

(水鏡/牛頭天王と午頭天王/出口王仁三郎から引用)

 

世界全体を魔の勢力にしようとしてきたのがマッソン午頭天王だが、太古にこれが日本に攻め込んで善玉の艮の金神を成敗してその遺骸を五カ所に封じ込めた。

その際に、終わりの世にはマッソン午頭天王が、疫病を流行させる神と成るだろう。ただし自分がソミコン(抹損(マッソン)の眷属)の子孫であると言えば、疫病の災いを免れられる、と言っている。つまり『我が在る』(マッソン)の味方だけを助けて、他の人間は疫病(パンデミック)で滅ぼすと云う自分勝手な言い分である。

出典は、(雑誌神霊界 大正九・二・一号/出口王仁三郎)。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無意識と死の側-4-地球人口削減のための諸施策-3-予言-3-聖徳太子未来記と出口王仁三郎-2

2023-12-13 03:49:30 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-06-07

◎青春期の垂直の道-7

◎世界統一

 

出口王仁三郎の挙げた未来記は、その前半部分だけ。太平記にある聖徳太子未来記には更に後半部分がある。

西鳥は近代西欧文明。東魚は日本。近代西欧文明が日本を破って後、西鳥がワン・ワールドの世界統一を3年間実現する。

その後猿に等しい者が、世界を簒奪して30余年、

その後こうした大凶変は、至福千年に変じて、一元に戻って行く。

『人王九十五代に当たり、天下一たび乱れて主安からず。

この時、東魚来たりて四海を呑む。

日、西天に没すること三百七十余箇日、西鳥来たり東魚を食う。

その後、海内一に帰すること三年、ミ猴(ミコウ:猿の意味)のごとくなるもの

天下を掠(かす)むること三十余年、大凶変じて一元に帰すなり。』

 

後半部分で、思い出されるのは、ノストラダムスの4行詩

『10巻72

 

年は一九九九年と七ヶ月

恐怖の大王が天より姿を現わすだろう

彼はアンゴルモアの大王を蘇生させ

その前後は火星が幸せに支配する』

(ノストラダムス全予言/エリカ・チータム/二見書房から引用)

 

ワン・ワールド(海内統一)の支配は3年で、その次の猿の支配は30年以上。(この年数は、既に1999年7月には何も起こらなかったように文字通りの「年」数ではないと思う。)

アンゴルモアは不詳だが、猿のことか。猿とは、人間であることをやめた人、あるいは人間であることから落っこちた人のようなものを指すのではないか。人間であることから落っこちた人というのは、超能力や権力や金力を我欲のために使うような人を指す。

いずれにしても、この未来記後半部分では、世紀末の艱難とその後の千年王国が示されている。北欧神話や聖書と同様の次の時代観である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

即位礼正殿の儀の晴れ

2023-12-12 20:42:45 | 超能力・霊能力neo

◎晴天の真贋

(2019-10-23)

 

2019年10月22日の東京地方は、台風崩れの低気圧が直撃し、ほぼ一日雨ではあるが、昼過ぎに曇りの時間帯があることが予想されてはいた。

さて午前11時35分頃から13時頃までの間の強い風雨により、正殿に向かって右奥に立てられた26本の旛のうち、菊花章大錦旛、菊花章中錦旛と、万歳旛が相次いで落ちた。

ところが、即位礼正殿の儀の始まる13時直前に日の光が顔を出し、セレモニーの関係者を驚かせた。

俗に晴れ男、晴れ女、雨男、雨女ありと申すが、雨男、雨女の優勢であるところ、即位礼正殿の儀の間だけは晴天とせしめたのだろう。

出口王仁三郎は、どこへ行っても晴れ男であった。なお彼は、晴天としたり、大雨を降らせたりすることは平気でやってのける能力があった。だが、そういう超能力であるからこそ私心のままに用いることはできないもの。

この即位礼正殿の儀の間だけは晴天とは、どんな晴天だったのだろうか。

※出口王仁三郎(日出雄)、蒙古で天候操作する(晴→大雨→晴)
『日出雄は思ふ所ありと見え、温長興を轎車に乗らしめ、自らは真澄別其他の護衛兵と共に馬に鞭ち、法衣を風に靡かせつつ下木局子に向ひ、仮殿を出発した。

一方下木局子の西北自治軍司令部にては、各分営の団長以下悉く来集し、『斯くの如き蒙古晴の空より雨を降らすなど、幾ら神様でも嘸困難であらう』などと、とりどりに噂をし乍ら、日出雄一行の来着を待ち兼ねて居た。

時しもあれ、魏副官の先導にて日出雄の一行は総員整列出迎への中を堂々と乗込んで来た。少憩の後、日出雄の目配せを合図に、真澄別が何事か黙祷すると見るや、司令部の上天俄に薄暗くなり、瞬く間に全天雨雲に蔽われ一陣の怪風吹き来ると共に、激しき暴風雨窓を破らむず計りに襲来して来た。

一同驚きあわて、窓を閉めるやら、記念撮影の為とて庭に列べてあつた椅子を持込むやら混雑一方ならず、皆々呆気に取られて、暫し言葉もなかつたのである。

稍あつて『大先生、二先生、今日は写真は駄目でせう』と、さも失望らしい声が聞える。

真澄別は日出雄の顔を見て『ナアニ五分間経てば大丈夫だ』と云へば、日出雄はやおら身を起して雨中に降り立ち、天に向つて『ウー』と大喝すれば、風勢頓に衰へ雨は漸次小降りとなり、果して向ふ五分間てふ真澄別の宣言に違はず、如何に成り行くかと案ぜられし暴風雨は、夢の如く消え去り、再び日は赫々と輝きわたり、空は元の如く晴朗に澄み切つたのである。』
(霊界物語入蒙記 第25章 風雨叱咤から引用)

※菊花章大錦旛(赤)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無意識と死の側-4-地球人口削減のための諸施策-3-予言-2-聖徳太子未来記と出口王仁三郎-1

2023-12-12 05:30:00 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-06-06

◎青春期の垂直の道-6

◎国を挙げて大祓

 

出口王仁三郎は、あれだけ膨大な文書を残しているわりに聖徳太子への言及は少ない。聖徳太子は聖徳太子で、仏教を日本に入れるために神代文字を廃絶せしめたとか、結局一族皆殺しになったのにはそれ相応の行状があったに違いないとか、ネガティブ・キャンペーンがかまびすしい。

私は、中国の禅者南嶽慧思が聖徳太子として日本へ転生してきたという伝説もあり、聖徳太子善玉説である。出口王仁三郎も当然聖徳太子善玉説であり、以下のような出口王仁三郎の文章を見ると、日本国激動の時代に宗教者として出現して、日本の水先案内の大役を務めたという点で、出口王仁三郎と聖徳太子の共通点を感じる

 

この文章は、彼の主著霊界物語全81巻の外に別巻として出された入蒙記の一節である。

出口王仁三郎はこの入蒙で明らかに次代への布石を打とうとしていた。

冒頭の「東魚来つて西海を呑む。日西天に没すること三百七十余日、西鳥来りて東魚を喰む。」が聖徳太子未来記の一節で、太平記に表れ、各時代の賢哲がその意味に首をひねってきたもの。日出雄は出口王仁三郎のこと。

『第七章 奉天の夕

 

 東魚来つて西海を呑む。日西天に没すること三百七十余日、西鳥来りて東魚を喰む。

 右の言葉は、聖徳太子の当初百王治天の安危を鑒考されて我が日本一州の未来記を書きおかれたのだと称せられ、我国古来聖哲が千古の疑問として此解決に苦みて居たのである。日出雄は右の言葉に対し、我国家の前途に横たはれる或物を認めて、之が対応策を講ぜねばならぬことを深く慮つた。

 彼は真澄別と唯二人、二月十三日午前三時二十八分聖地発列車上の人となつた。駅に見送るものは湯浅研三、奥村某の二人のみであつた。いつも彼が旅行には大本の役員信徒数十人或は数百人の送り迎へのあるのを常として居た。然るに此日は唯二人の信徒に送られて行つた事は、此計画の暫時他に漏れむ事を躊躇したからであらう。』

(霊界物語 別巻 入蒙記から)

 

恐らくこの文だけでは、解決の方向性を定めることは難しいが、古事記の以下の部分が関連あるものと思われる。

【古事記仲哀天皇の段には、仲哀天皇が皇后を依代として神託を求めたところ『金銀本位制度の西洋諸国があるが、その国を自分の国にしてしまうべし』と出た。天皇は、その西洋諸国を見てみたが、水没して海しか見えないので、黙ってしばらく何もしないでいた。

すると神託の神が怒って『この天下はあなたが統治すべきではないので、一道に向かえ』と命じた。

すると武内宿祢が『恐れ多い事です。お琴を弾きなさいませ』と促すと、天皇は、なまなまに琴を弾いていたが、まもなくトランスに入ったのか琴が聞こえなくなった。誰にも知られぬうちに闇の中での天皇崩御となったので、国を挙げて大祓を行い再び神託を求めたところ、『西欧諸国は皇后の腹中の長男が治めることになる。だがそのためには、渡って行く者たちはことごとく神を知っている者たちでなければならない』と。】

古事記の時代から西方諸国は金銀以本の国であったことは知られていたと見える。西洋は水で滅ぶとも言われていること。

さて一つの見方としては、

太古、仲哀天皇は、西方諸国をその御稜威で、臣服させる実力があった。そこで大神が西方諸国を臣従させよという命令を下したのに、「どうせ最後は海になるような国々を臣従させてもしょうがない」というように考えて、何もしないで放置していた。

大神がこのネグレクトを怒り、神事だけはちゃんとやりなさいと命じたので、神事だけはやっていたが、気がついたら誰も知らないうちに天皇家は断絶していた。

この椿事に国中驚きあわて、『国を挙げて大祓を行った』ところ、天皇家再興のめどがついたが、日本国民はなんだか群船にて西方に大挙渡ることになった。

 

さて未来記の「東魚来つて西海を呑む。」は、仲哀天皇は、西方諸国をその御稜威で、臣服させる実力があった時期のこと。

「日西天に没すること三百七十余日」は、西方諸国に対して何もしないで放置して神事ばかりやっていた時期のこと。(幕末まで)

「西鳥来りて東魚を喰む。」とは、西方諸国が日本から金をむしり国力を削ぎ日本を滅ぼすこと。

出口王仁三郎は、未来記の解釈は明かしていないが、将来の日本の艱難に対し一石を投じようという意図があったことは見える。

国を挙げて大祓とは、日本が冥想立国、神主主義になれるかどうかということだと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無意識と死の側-4-地球人口削減のための諸施策-3-予言-1-聖徳太子の未来記と猿

2023-12-11 03:43:03 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-06-06

◎青春期の垂直の道-6

◎猴(みこう)の如き者、天下を掠むること三十余年、大凶変じて一元に帰す

 

無意識と死の側とは、七つの身体論で言えば、エーテル体以上のすべてのボディと神仏の側。現実というのは肉体レベルだが、現実に対して最大の影響力を行使しているのは創造神である神仏の側である。神仏レベルから霊(微細身)のレベル、肉体レベルと下がるにつれて現実形成への影響力は弱くなる。よって、予言というのは、微細身レベル(無意識と死の側)であるから、地球人口削減のための諸施策の行く末を見るには好適な材料と言える。

 

さて元弘二年(1332年)8月4日楠正成は、戦勝の勢いに乗って大阪天王寺を参詣。宿老に、滅多に見せるものではないがと断られつつ聖徳太子の未来記を見せてもらう。

 

『当人王九十六代、天下一乱而主不安。

此時東魚来呑四海。

日没西天三百七十餘箇日。

西鳥来食東魚。

其後海内帰一三年。

如ミ猴者掠天下三十餘年。

大兇変 帰一元、云々。』

(『太平記』巻六「正成天王寺の未来記披見の事」)

 

九十六代天皇は後醍醐天皇。

出口王仁三郎は、現代が当面するのは、西鳥来りて東魚を食すのところと見る。西鳥は中国・欧米、東魚は日本。

その後世界統一が3年、その後猿の惑星30余年。

 

なぜ猿なのだろう。

 

出口王仁三郎の座談に以下がある。

『写真を三十六ペンうつしかえると、すっくり元の正体が出て来る。(中略)、西洋人なんかその手で三十六回やるとすっくり狒々(ひひ)になる、女は狼になる、大抵。そして狸になったり、狐になったり皆する。』(出口王仁三郎氏を囲む座談会 第四夜(二))

 

猿の惑星とは人間のこと。

大兇変じて一元に帰すとは、石屋が大悪に見せて大善を為すことだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イザヤの召命

2023-12-10 15:46:05 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-06-02

◎木の切り株だけ残っても

 

イザヤ書の第六章は、イザヤが神に召命されて、神のために働くことになった段。

神が誰か地上に行ってくれるかという問いを発し、これに対してイザヤが「私が行きます」と応じたところ、神から指示が出た。

その指示の内容は、「民を悟らせないで鈍いままで、愚民化しなさい。」というもの。

イザヤが、妙なことを言うものだと怪訝に思って、神に対して、いつまでですかと問うと、

国の荒れ果て、国民の9割がいなくなっても更に残った1割をも焼き滅ぼす(つまり全滅させてしまう)まで、と神は答えた。

神はすべての人々が亡くなって、木が切られて残った切り株のような状態から、聖なる種族を創造すると説明している、と読める。

イザヤ書は、ユダヤ教の聖典の一つでもある。このように、一旦人類を皆殺しして、あの世から人類復興、人間の再構築を図る考えが古来よりあるのは、日常生活を営む我々にとっては恐ろしい発想である。神から見れば当然の発想かもしれないが、人間に対する愛、悟ってないその他大勢への憐憫はないのだろうか。

 

『主は言われた、「あなたは行って、この民にこう言いなさい、

『あなたがたはくりかえし聞くがよい、

しかし悟ってはならない。

あなたがたはくりかえし見るがよい、

しかしわかってはならない』と。

 

あなたはこの民の心を鈍くし、

その耳を聞えにくくし、その目を閉ざしなさい。

これは彼らがその目で見、その耳で聞き、

その心で悟り、

悔い改めていやされることのないためである」。

 

そこで、わたしは言った、「主よ、いつまでですか」。

主は言われた、

「町々は荒れすたれて、住む者もなく、

家には人かげもなく、国は全く荒れ地となり、

 

人々は主によって遠くへ移され、

荒れはてた所が国の中に多くなる時まで、

こうなっている。

 

その中に十分の一の残る者があっても、

これもまた焼き滅ぼされる。

テレビンの木またはかしの木が切り倒されるとき、

その切り株が残るように」。

聖なる種族はその切り株である。』

(イザヤ書第六章から)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イエス・キリストができたこと、できなかったこと

2023-12-10 06:41:05 | ジェイド・タブレット外典

◎ジェイド・タブレット-外典-06-01

◎薔薇十字団、薔薇色の血の意味

 

薔薇十字団の標語に「十字架を経て薔薇へ」というのがあるという。これは、イエス・キリストは、十字架の上で犠牲の死を遂げたが、それによって、世界をその堕落の罪から救った。しかし、イエス・キリストは、世界全体を悪から解放できたわけではない。このことこそが、イエス・キリストがなし遂げられなかった事蹟である。

要するに 「十字架を経て薔薇へ」とは、イエス・キリストは、世界全体を救済する端緒を造ったのであり、そのチャレンジの完成は、薔薇という言葉で表現されている。

イエス・キリストは、神の子、アヴァターラである。神は黄金、人間は銀。神の子ならば、半分は金の混じった銀である。神の子の流す血は、エロティックな薔薇色ではないだろう。

錬金術的な言い方をすれば、神の愛はエロスではなくアガペーだから、イエスの流す血は、普通の人間の流す血よりもっと白に近いもののはずである。だから薔薇色の血とは、人間の血のことである。

また薔薇色の血は人類共通に肉体に流れるものであって、その霊、個生命の実体をも指し示す。そして個生命間で共通であることを以って、薔薇色の血は、エリクサー、万能薬のシンボルであり、万人の結合というアクエリアン・エイジ(水瓶座の時代)のテーマであることも表す。

つまり世界全体を悪から解放するためには、薔薇の血を流す必要があるとは、神の子のような一握りのエリートだけが開悟するのではなく、普通の人々が悟りを開くことが必要であることをいう。

薔薇とは、このように悪のない嘆きのない千年王国、地上天国の実現の暗喩であるが、今その前夜にあたり、何人の人がその実現を現実の可能性として見ているのだろうか。そんな大それたこと、あるいは奇想天外なことが現実のものとなると、何人の知識人、有力者が感じているのだろうか。

ほとんど感じられていないから、かくもひどい混乱の巷になっているのだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無意識と死の側-4-地球人口削減のための諸施策-2-歴史

2023-12-10 03:21:22 | ジェイド・タブレット

◎ジェイド・タブレット-06-05

◎青春期の垂直の道-5

◎自由な石屋さん、錬金術、キリスト教

◎イエス出現の成果はキリスト教に限定されない

 

自由な石屋さん、錬金術、キリスト教については、次のような印象を持っている。

紀元前からグノーシス、ユダヤ教、錬金術というのは、中近東から西に存在していた。これらは、いわゆるアトランティス密教から派生した宗教と見られ、風土や時々の聖者の出現によって、しばしば路線変更が見られた。

アトランティス密教についていえば、プラトンがソロンという神官からアトランティスのことを聞いたことで当時のアレクサンドリアの図書館にアトランティス密教の精華が残っていたらしいことが想像される。

紀元前5世紀頃、ソクラテスは只管打坐型の悟りを実現し、プラトンは、クンダリーニ・ヨーガ型の悟りを実現したことがプラトンの著作でわかる。学者さんが哲学だと言っているから哲学だと思っている人が多いが、彼らは古代ギリシアの冥想修行者である。つまり二人は、それぞれ顕教系と密教系の悟りを継承していたのだ。

イエス・キリストは、ユダヤ教の中から出てきたが、悟り候補者である以上宗派の垣根を越えて他宗派も注目し、誕生時には馬小屋に三人の博士(マギ)も集まったほど。

ダンテス・ダイジは、イエスはユダヤ教エッセネ派の中から出て来たと見ていたが、イエスは、超能力を使いまくり、クンダリーニ・ヨーガ系であるユダヤ教の継承者として存命中は活動したことがわかる。

だが当時、グノーシスも8天球という形で正当な悟り(ニルヴァーナ)を見ており、錬金術もユダヤ教と一体となった形でユダヤ教の中にあったのだろうと思われる。

最初の錬金術師としてゾシモスやマリア・プロフェティサが出たのが3世紀。マリア・プロフェティサは、ユダヤ人でありユダヤ教から出たと考えるのが自然だろう。心理学者ユングは、ゾシモスの文書を冥想法に関するものと見ており、マリア・プロフェティサの片言『一は二となり、二は三となり、第三のものから第四のものとして全一なるものの生じ来るなり』も冥想に関するものなのだろうと思う。

なおマリア・プロフェティサは物理的な錬金術の器具を発明したとされるが、中国でも漢代において物理的な錬金術である外丹は既に行われていたので、錬金術が中近東オリジナルと見ることはできない。

おそらく、グノーシスとユダヤ教の密教的(クンダリーニ・ヨーガ的)な部分が混交して錬金術という形になったのではないか。

4世紀にキリスト教がローマ帝国で公認された一方でその後、ユダヤ教とグノーシスの密教的部分は次第に衰退し、イスラム教の中に取り込まれる形で、15世紀までの長い胚胎の時期を過ごした。15世紀以降にユダヤ人が欧州各地に散って行く中で、その密教的部分に触発された運動が17世紀の薔薇十字の運動。それは自由な石屋さんの流れになっていくのだが、なぜかユダヤ教と違うシンボリズムを用いている。

勿論欧州域内では、ホイジンガの中世の秋に見るように、信仰としては安定的だったキリスト教の背後で密教的な物も時々ガス抜きをしつつ醸成されてきたところも無視できない。

薔薇は真理の象徴であり、石もまた真理の象徴であり、自由な石屋さんが薔薇のシンボルを用いるのは、真理たるニルヴァーナを標榜するまともな宗教なのだろう。

 

自由な石屋さんというのは、キリスト教神秘主義だの、西洋錬金術だの、新プラトン主義の流れを汲むものだと言われる。だが、17世紀頃さるドイツかなんかの覚者(薔薇十字団)が、21世紀の至福千年実現に向けて、それら密教的なものを再編成して自由な石屋さんというものとして始めたのではあるまいか。

一方で顕教的なキリスト教は、観想法あるいは只管打坐的な瞑想法を中心に今までどおりがんばっているわけだ。

出口王仁三郎は、基本は猶太批判を行わず、昭和神聖会の時代と第二次大本教事件前夜のみにおいて批判。ダンテス・ダイジも、自由な石屋さん側にもちゃんと悟った人間がいると見ている。

一方で歴史学者トインビーの唱えるように文明の根幹は、宗教であって、宗教が衰退すればその文明は滅亡する。近代西欧文明とは、キリスト教をバックボーンとする宗教文明であって、キリスト教が衰退滅亡すれば、近代西欧文明は終わる。

また自由な石屋さんのたくらみは、特に最近においてどんどん露見していっているのだろう。そのたくらみ群は陰謀論とひとくくりにされて論じられることも多い。

全体として見れば、イエス出現なくしては、自由な石屋さんもなかったのだろうと思う。

注目すべきは、OSHOバグワンは、薔薇十字団は、イエスのエソテリック・グループだと見ていること。エソテリック・グループとは、何代も続く高弟達の聖者護持のチームで、他にアショカ王の九秘密会が知られる。

第二次世界大戦は、一般に米英連合国対日独伊三国同盟の大戦と見られているが、キリスト教勢力(石屋系)対仏教勢力の角逐だったと見ているスピリチュアリストもいる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ノストラダムス予言-ヘルメスの後裔

2023-12-09 16:48:19 | 占星術  (冥想法6)neo

◎待望久しい人は東洋に

(2019-07-15)

 

ノストラダムス予言を見る基本は、霊界予言なのか、現界予言なのか。そして彼は人間の進化をどう見ているかというところ。

正統な予言であるからには、彼は物事は先に霊界に起きて後に現界に実現することを知っている。また世界各国の領袖だけが世界の行く末を決めているのではなく、市井の名もなきオジサン、オバサンや、子供も決めている。

そして善因善果悪因悪果であることは言うまでもない。

そして世は極まらないと反転しない。極まり始めに反転するのが上策であり、極まり終わりに反転するのは下策である。

 

改めて百詩篇を眺めてみると、第10篇にアンゴルモアなど重要な詩が集中している。

『10巻72

年は一九九九年と七ヶ月

恐怖の大王が天より姿を現わすだろう

彼はアンゴルモアの大王を蘇生させ

その前後は火星が幸せに支配する』

(ノストラダムス全予言/エリカ・チータム/二見書房から引用)

 

『X-75

待望久しい人は二度と

ヨーロッパに帰って来ないだろう。

偉大なヘルメ-ス神の血をひく一人物がアジアに出現し、

東方のすべての王のうえに権力を及ぼすだろう。』

 (新釈ノストラダムス/J.C.ド・フォンブリュヌ/講談社P291から引用)

 

東方の王が西欧を屈服させるという詩が何か所も出てくるが(前兆集40など)、東方の王には、世俗の王と聖王があり、これは聖王のこと。一緒であると考えると混乱する。

 

このヘルメス系の一人物については次の詩でも言及がある。

『日の国はメルキュールによってエクリプスを隠す

第二の空にしか置かれない

火と金属の神(ヴュルカン)により エルメスは祈らされる

日の国は純粋なきらめきとブロンドを見るだろう。

(諸世紀四巻29)』(大予言・日本編/五島勉/祥伝社から引用)

 

ヘルメスの後裔は、ダンテス・ダイジであるとも言われるが、それを確証できる力量ある人物は、人類の行く末を俯瞰できる人物であって、例えば釈迦が四禅から涅槃に入ったことを見たようなとんでもない眼力のある人物だけだろうと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする