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竇琮
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軌弟、武才があり隋左親衛となった。
大業末に罪を受けて太原の李淵[唐高祖]のもとに逃亡した。
最初は世民[太宗]と対立していたがやがて親しくなった。
反乱に参加し大將軍統軍となった。
西河を攻めて霍邑を陥し功績により、金紫光祿大夫封扶風郡公となった。
義寧元年十二月
劉文靜に従い段志玄と隋屈突通將桑顯和を破り、通を捕らえた。
陝縣を降し、太原倉を取って右領軍大將軍となった。
隋河陽都尉獨孤武潛が歸國を図り、琮は支援を命ぜられるが遲留して失敗し除名された。
武德初
赦されて右屯衛大將軍、また右領軍大將軍に転じた。
王世充征討時、陝城留守で糧運を監督した。
世充驍將羅士信が来襲したが説得して降した。
武德四年九月
左屯衛大將軍として突厥の并州に侵攻を防いだ。
右領軍大將軍檢校晉州總管となった。
武德五年
ついで皇太子に従い劉黑闥を討ち、封譙國公となった。
未幾卒した。贈左衛大將軍,謚曰敬。
永徽五年
重贈特進。
竇琮
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軌弟、武才があり隋左親衛となった。
大業末に罪を受けて太原の李淵[唐高祖]のもとに逃亡した。
最初は世民[太宗]と対立していたがやがて親しくなった。
反乱に参加し大將軍統軍となった。
西河を攻めて霍邑を陥し功績により、金紫光祿大夫封扶風郡公となった。
義寧元年十二月
劉文靜に従い段志玄と隋屈突通將桑顯和を破り、通を捕らえた。
陝縣を降し、太原倉を取って右領軍大將軍となった。
隋河陽都尉獨孤武潛が歸國を図り、琮は支援を命ぜられるが遲留して失敗し除名された。
武德初
赦されて右屯衛大將軍、また右領軍大將軍に転じた。
王世充征討時、陝城留守で糧運を監督した。
世充驍將羅士信が来襲したが説得して降した。
武德四年九月
左屯衛大將軍として突厥の并州に侵攻を防いだ。
右領軍大將軍檢校晉州總管となった。
武德五年
ついで皇太子に従い劉黑闥を討ち、封譙國公となった。
未幾卒した。贈左衛大將軍,謚曰敬。
永徽五年
重贈特進。