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王君廓
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若くして無頼で郷里の鼻つまみであったが、大業末に盜となり、千餘人を集めて、長平を掠奪し夏縣に迫った。
河東丞丁榮が討伐するが撃破し、賊韋寶、鄧豹等と虞鄉を掠奪した。
隋將宋老生に敗れて逃げた。
義寧元年二月
李淵[高祖]の招聘には従わず、李密の麾下となった。
二年四月
李密に優遇されないので、淵の麾下に転じた。
上柱國、假河內太守、常山郡公食邑二千戶となった。
ついで遼州刺史となり、上谷郡公に移った。
王世充征討に従い右武衛將軍となった。
武德三年七月
軒轅羅川二縣を陥し,世充將魏隱を破り、糧道を断ち、彭國公に進んだ。
四年二月
虎牢を陥し王世充荊王王行本を捕らた。
四月
竇建徳の糧道を断ち張青特を破り捕らえた。
五年正月
劉黒闥下の洺水人李去惑が來降,君廓は千五百騎を率いて入城し共に守った。
二月
劉黑闥が洺水城を厳しく攻囲し、君廓は脱出し、羅士信が代わりに入り敗死した。
八年九月
右領軍将軍として突厥を破り高祖に激賞され、幽州都督廬江王瑗の副となった。
九年六月
太宗が即位すると反太宗派の瑗を嗾して反乱を企てさせ、形勢不利とみると裏切って瑗を討った。
功績により左領軍大將軍兼幽州都督となり、瑗の財産を賜った。
十月
加左光祿大夫,食實封千三百戶を賜った。
貞觀元年九月
在職中不法が多く、長史李玄道の弾劾にあって猜疑し、玄道の上奏文を奪うも読めず、あわてて入朝して弁明しようとしたが、途中渭南で驛史を殺し、突厥へ逃れようとして野人に殺された。
太宗は前功を考えて待遇しようとしたが、御史大夫溫彥博の弾劾にあって庶人に落とされた。
王君廓
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若くして無頼で郷里の鼻つまみであったが、大業末に盜となり、千餘人を集めて、長平を掠奪し夏縣に迫った。
河東丞丁榮が討伐するが撃破し、賊韋寶、鄧豹等と虞鄉を掠奪した。
隋將宋老生に敗れて逃げた。
義寧元年二月
李淵[高祖]の招聘には従わず、李密の麾下となった。
二年四月
李密に優遇されないので、淵の麾下に転じた。
上柱國、假河內太守、常山郡公食邑二千戶となった。
ついで遼州刺史となり、上谷郡公に移った。
王世充征討に従い右武衛將軍となった。
武德三年七月
軒轅羅川二縣を陥し,世充將魏隱を破り、糧道を断ち、彭國公に進んだ。
四年二月
虎牢を陥し王世充荊王王行本を捕らた。
四月
竇建徳の糧道を断ち張青特を破り捕らえた。
五年正月
劉黒闥下の洺水人李去惑が來降,君廓は千五百騎を率いて入城し共に守った。
二月
劉黑闥が洺水城を厳しく攻囲し、君廓は脱出し、羅士信が代わりに入り敗死した。
八年九月
右領軍将軍として突厥を破り高祖に激賞され、幽州都督廬江王瑗の副となった。
九年六月
太宗が即位すると反太宗派の瑗を嗾して反乱を企てさせ、形勢不利とみると裏切って瑗を討った。
功績により左領軍大將軍兼幽州都督となり、瑗の財産を賜った。
十月
加左光祿大夫,食實封千三百戶を賜った。
貞觀元年九月
在職中不法が多く、長史李玄道の弾劾にあって猜疑し、玄道の上奏文を奪うも読めず、あわてて入朝して弁明しようとしたが、途中渭南で驛史を殺し、突厥へ逃れようとして野人に殺された。
太宗は前功を考えて待遇しようとしたが、御史大夫溫彥博の弾劾にあって庶人に落とされた。