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劉世龍・義節
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大業末には晉陽の鄉長[郷里制度の五百戸の長]であり、裴寂と親しく留守李淵[唐高祖]や、淵を監視する隋臣王威・高君雅家出入りしていた。
反乱時、威や君雅の内情を探査し李淵に密告していた。反後、銀青光祿大夫。
義寧元年十一月
長安に入り右光禄大夫.鴻臚卿となり改名義節。
恩賞國用が不足している状況を街衢や苑中の樹木を薪炭として売却することで補った。
太府卿封葛國公に移った。
武德九年十月
食實封六百戸を与えられる。
貞觀初
少府監に転じるが、故買の罪を得て除名され嶺南に配流された。
ついで欽州別駕となり卒した。
劉世龍・義節
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大業末には晉陽の鄉長[郷里制度の五百戸の長]であり、裴寂と親しく留守李淵[唐高祖]や、淵を監視する隋臣王威・高君雅家出入りしていた。
反乱時、威や君雅の内情を探査し李淵に密告していた。反後、銀青光祿大夫。
義寧元年十一月
長安に入り右光禄大夫.鴻臚卿となり改名義節。
恩賞國用が不足している状況を街衢や苑中の樹木を薪炭として売却することで補った。
太府卿封葛國公に移った。
武德九年十月
食實封六百戸を与えられる。
貞觀初
少府監に転じるが、故買の罪を得て除名され嶺南に配流された。
ついで欽州別駕となり卒した。