唐史話三眛

唐初功臣傳を掲載中、約80人の予定。全掲載後PDFで一覧を作る。
その後隋末・唐初群雄傳に移行するつもりです。

大暦の軍乱13 河陽の乱

2017-09-29 20:28:20 | Weblog
大暦10年2月
[新]丙子,河陽軍亂,逐三城使常休明。
[旧]是日河陽軍亂,逐城使常休明,迫牙將王惟恭為留後,軍士大掠數日,休明奔東都。
[通]河陽三城使常休明,苛刻少恩。其軍士防秋者歸,休明出城勞之,防秋兵與城内吏合謀攻之,休明奔東都;軍士奉兵馬使王惟恭為帥,大掠,數日乃定。上命監軍冉庭蘭慰撫之。

大暦11年3月
[通]戊子,河陽軍亂,逐監軍冉庭蘭出城,大掠三日。庭蘭成備而入,誅亂者數十人,乃定。
[旧]戊子,河陽軍復亂,大掠三日,監軍使冉廷蘭率兵斬其亂首。方定。

[背景]
河陽は東都から河北への黄河渡河地点で、重要な要塞です。相州の軍乱の影響[魏博田承嗣の指嗾もあったと思います]と、無能な軍使常休明に反発して軍乱を起こしました。また翌年2/3月にも再発しました。

[結果]
河陽軍自体は小規模ですし、唐朝軍ですので、監軍の慰撫により治まりました。しかし中途半端な処置は再度の軍乱を招くことになりました。監軍の努力と新使馬燧の権威によりやがて落ち着き、以降の征討では力を発揮する存在となりました。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大暦の軍乱12 田承嗣の反乱 | トップ | 大暦の軍乱14 陝州の乱 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事