えーと、事務連絡です。
何がどうなっているのか分からないのですが、2月8日を最後にコメント欄にメールが届かなくなっているようです。
自分でも送ってみたのですが、送ったことになっていてもBOXには届かないようです。
2月8日以降、コメント送信したのに反映されない、また返事が来ない、という方、申し訳ありません。
ほとぼりが冷めてから?もう一度試してみてください。
本当にすみません。
今日は北京原人の化石の話題です。
北京原人の絵でも描こうかしら、と思い画像を集めてみたのですが・・・。
うーん、なんか描くの面倒だなあ。
北京原人には大変失礼ながら、対象への感情移入が多少なりともないと、なにしろこちとらシロート絵描きなもので。
描いていて楽しい(ブログもね)ものしか、わたしは描かんっ!
というわけで、WIKIから引っ張ってきたフリー画像でお茶を濁してしまいます。
このシナントロプス・ペキネンシス。
1927年(昭和2年)、中国、北京市の西南地方にある周口店の石灰岩洞窟から発見されました。
60万年から15万年前の世界最古の人骨と言われ、世界考古学界の最大の遺産、と言われます。
そのころこの化石は北京の北京協和医学院の新生代研究所に保管されていました。
この医学院は米国ロックフェラー財団の系列だったため、日中戦争の間も日本軍の接収を免れていたのですが、
いよいよ日米間の雲行きが険悪になってきたことから、ある日密かにアメリカに移送されることになりました。
このときに運搬の役を担ったのがプレジデント・ハリソン号。
ニューヨークの造船所で1921年に建造された1万509トンの貨客船です。
人類の遺産を乗せてハリソン号は出港します。
時に1941年12月8日―
ちょうどこの開戦当日、北京原人の化石のために、一か八かで日本軍制圧下にある上海に入港していたハリソン号は、上海港内で開戦を知ります。
すぐさま錨をあげ、脱出を図るのですが、
哨戒中の日本軍機に気づかれ、通報を受けた東亜海運の長崎丸に猛烈に追跡されるうち、
上海沖の小島に乗り上げてしまいました。
ここまでは、事実です。
さて、北京原人の化石、でグーグル検索をかけると
「日本軍が化石を略奪したのですか?極東の憲兵と言われた日本がそんなことをするとは思えないのですが」
という、ちびっこの微笑ましい質問が(かな?)あるのですが、
略奪目的でなく、どさくさで紛失する前に保護しなければ、という理由で、実は12月8日の朝、
陸軍はこの医学院になだれ込み、金庫という金庫を開けさせているのです。
勿論、当時の日本もこの化石の重要性を知りぬいていたためです。
このとき、古い人骨らしきものを全て回収し、意気揚々と引きあげた日本軍でしたが、持って帰ってみれば
皆石膏模型ばかりだったという、まことにあっちょんぶりけな話が残されています。
さて、結論から申しますと、化石はこの日を境に消えてしまったのでした。
いずこへ?
当時の噂はこのようなものでした。
一、いったんハリソン号に積みこまれたのだが、日本側に追跡された際、ハシケで脱出しようとして転覆、
そのまま海の藻屑に
二、北京から上海までの陸送の途中で、中国人の手に渡り、粉々に砕かれて不老長寿の薬になってしまった
三、日本軍がめでたく戦利品として内地に持ち去ったが、空襲で焼けてしまった
四、ハリソン号は囮で、別の船がそれを運んでいたが、ちょうど真珠湾攻撃の時間にそこにいたため沈められた
五、米国人医師が持っていたのを中国国内で日本軍に奪われ、
それを乗せた阿波丸が米国艦に撃沈されて海の底に
さて、どれもありそうななさそうな噂です。
二番の「不老長寿の薬」ですが、人体、とくにミイラ化した人体を粉薬にしたものを不老長寿の薬として売買する、
というバカげた仕業は北京原人のみならず、ミイラに対しても行われました。
エジプトの墓盗掘の目的はこれであった業者もいますし、このためにずいぶんたくさんのミイラが
「すりつぶされてしまった」と言われています。
しかし、両国がその重要性を知りぬいていながら、いや、いたからこそでしょうが、
我こそはとそれを保護しようとしたため、この紛失は起こってしまったのです。
「不老長寿の薬」並みの愚行だった、と言わせていただきたいと思います。
さて、このとき捕獲されてしまったハリソン号、開戦当日の日本軍の獲物として、
「勝鬨丸」と名前を変えて海軍から一般に貸与されました。
日本側への引き継ぎのとき、おそらく「海の男」としての誇りと義務から、ハリソン号の船員たちは
惜しみない協力をして働いたそうです。
しかし、彼らはやがてやってきた海軍兵に「目に余るような仕打ち」を受け、連行されて行きました。
エリス中尉は「海軍ファン」自認する立場の者ですが、これは言っておかなくてはなりません。
海軍軍人が一般の船員、特に徴用船にされた船の船員に対する蔑視は、酷いものであったと言われます。
対等どころか、その傲慢な仕打ちの数々を、生存している一般船員の多くが証言しています。
自国の船員に対してすらこのようなのが普通だったそうですから、
このアメリカ人船員たちへの扱いも想像がつこうというものです。
そして、その船員たちの怨嗟が残っていたのか、
それともハリソン号、彼女自身が日本のものになるのを拒んでいたためか、
勝鬨丸となった後、そのタンクに残っていた揚子江の汚水が、いくら清掃しても除去できず、
三名の死者を含む下痢患者が続発します。
その後、駆逐艦と衝突、修理を終えてドックを出たところで座礁。
船内ではなぜか事故が多発しました。
そのようにしてさんざん駄々をこね、日本に使われるのを拒み続けた勝鬨丸、いやハリソン号。
ある日米国潜水艦の放った魚雷、たった一発によって一瞬にして彼女は海中に姿を消してしまいました。
まるでかつての母国にとどめを刺してもらうのを待っていたかのように。
さて、北京原人に話を戻して。
その後、同じ場所から発掘された数編の骨を組み合わせ、みごと一つの頭がい骨が再現されました。
冒頭画像は、このとき紛失した頭がい骨のレプリカです。
戦争は人類の愚挙中の愚挙ですが、せめて明日に遺すべき遺産だけは英知を以て守りぬいて欲しいものです。
ちびっこの質問にあったように「日本軍が紛失した」ということになっているらしいのも、
「保護するために強奪とか、いらんことしようとするからじゃあ!」という日本への抗議から産まれた噂でしょう。
まあ、確かに余計なことしないほうがよかったのかも・・・・。
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日付 |
2007年3月 |
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原典 |
Self work |
作者 |
José-Manuel Benito Álvarez (España) —> Locutus Borg |